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「新大久保駅乗客転落事故」の版間の差分

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== 事故概要 ==
== 事故概要 ==
山手線新大久保駅で、泥酔した男性が[[プラットホーム]]から[[線路 (鉄道)|線路]]に転落した。その男性を救助しようとして、線路に飛び降りた[[日本人]][[カメラマン]]と[[大韓民国#国民|韓国人]][[留学生]]イ・スヒョンが、折から進入してきた[[列車]]にはねられ、3人とも即死した。
[[山手線]][[新大久保駅]]で、泥酔した男性が[[プラットホーム]]から[[線路 (鉄道)|線路]]に転落した。その男性を救助しようとして、線路に飛び降りた[[日本人]][[カメラマン]]と[[大韓民国#国民|韓国人]][[留学生]]イ・スヒョンが、折から進入してきた[[列車]]にはねられ、3人とも即死した。


人命救助のために[[自己犠牲|自らの命を投げ出した]]この件は、日韓両国で大きく報道されるとともに<ref>{{KBS NEWS|155109|국경 넘은 살신}}(KBSニュース9、2001年1月27日)</ref><ref>{{Cite news |title=살신성인 일본 유학생 이수현 |newspaper=[[MBCニュースデスク]] |date=2001-01-27 |publisher=[[文化放送 (韓国)|文化放送]] |language=朝鮮語 |url=https://imnews.imbc.com/replay/2001/nwdesk/article/1873593_30743.html |accessdate=2022-09-01}}</ref>、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが、新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには[[日本語]]と[[朝鮮語|韓国語]]で事故の経緯が記されている。その後、救出を試みた2人の遺族には[[内閣総理大臣]][[森喜朗]]より書状が贈られ<ref>{{Cite web|和書|date=2001-01-29 |url=https://www.kantei.go.jp/jp/topics/2001/0129choui.html |title=勇気ある行為を称える辞(森総理からの弔意) |publisher= [[総理大臣官邸|首相官邸]]ホームページ |accessdate=2022-01-26}}</ref>、[[警察庁]]からは[[警察協力章]]が授与された<ref>{{Cite news |和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131004/k10015031011000.html |title=救助しようとして死亡の女性に紅綬褒章 |newspaper=NEWSWEB |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=2013-10-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131007010332/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131004/k10015031011000.html |archivedate=2013年10月7日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。
人命救助のために[[自己犠牲|自らの命を投げ出した]]この件は、日韓両国で大きく報道されるとともに<ref>{{KBS NEWS|155109|국경 넘은 살신}}(KBSニュース9、2001年1月27日)</ref><ref>{{Cite news |title=살신성인 일본 유학생 이수현 |newspaper=[[MBCニュースデスク]] |date=2001-01-27 |publisher=[[文化放送 (韓国)|文化放送]] |language=朝鮮語 |url=https://imnews.imbc.com/replay/2001/nwdesk/article/1873593_30743.html |accessdate=2022-09-01}}</ref>、事故の犠牲者を追悼・顕彰する[[プレート]]が、新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには[[日本語]]と[[朝鮮語|韓国語]]で事故の経緯が記されている。その後、救出を試みた2人の遺族には[[内閣総理大臣]][[森喜朗]]より書状が贈られ<ref>{{Cite web|和書|date=2001-01-29 |url=https://www.kantei.go.jp/jp/topics/2001/0129choui.html |title=勇気ある行為を称える辞(森総理からの弔意) |publisher= [[総理大臣官邸|首相官邸]]ホームページ |accessdate=2022-01-26}}</ref>、[[警察庁]]からは[[警察協力章]]が授与された<ref>{{Cite news |和書|url=http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131004/k10015031011000.html |title=救助しようとして死亡の女性に紅綬褒章 |newspaper=NEWSWEB |publisher=[[日本放送協会|NHK]] |date=2013-10-04 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131007010332/http://www3.nhk.or.jp/news/html/20131004/k10015031011000.html |archivedate=2013年10月7日 |deadlinkdate=2017年10月 }}</ref>。


しかし、事故に遭ったカメラマンと暮らしていた母親は、国や市からの表彰について、近所の知人に対して「本当はそっとしておいてほしい」「息子が死んだことには変わりがない」と嘆き、事故から数年後に[[孤独死]]した<ref>{{Cite news |和書 |url=http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310050009/ |title=JR横浜線踏切事故:学ぶべきものは/神奈川 |newspaper=[[神奈川新聞]] |date=2013年10月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131006012044/http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310050009/ |archivedate=2013年10月6日}}</ref>。
しかし、事故に遭ったカメラマンと暮らしていた母親は、国や市からの表彰について、近所の知人に対して「本当はそっとしておいてほしい」「息子が死んだことには変わりがない」と嘆き、事故から数年後に[[孤独死]]した<ref>{{Cite news |和書 |url=http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310050009/ |title=JR横浜線踏切事故:学ぶべきものは/神奈川 |newspaper=[[神奈川新聞]] |date=2013年10月5日 |archiveurl=https://web.archive.org/web/20131006012044/http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1310050009/ |archivedate=2013年10月6日}}</ref>。


事故の翌年、[[明仁|天皇]](現[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]])は死亡した韓国人留学生の両親を、[[皇居]]に招待して慰労した<ref>{{Cite news |和書 |title=天皇夫妻、5年前の約束守る…李秀賢氏追悼映画試写会に出席 |newspaper=[[中央日報]] |date=2007-01-26 |url=http://japanese.joins.com/article/073/84073.html |accessdate=2022-01-26}}</ref>。留学生の父親は後に[[奨学金]]財団を設立し、[[アジア]]出身の学生を援助した。2015年には[[日本国政府]]から[[旭日章|旭日双光章]]が贈られた。父親が2019年に死去した際、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[河野太郎]]は弔意を表し、親子の遺志を受け継ぐよう努力すると述べた<ref>{{Cite news |和書 |title=新大久保事故 留学生の父死去 日韓の懸け橋、親子をしのぶ |newspaper=[[東京新聞]] |author=境田未緒 |date=2019-03-25 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019032502000126.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330071942/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019032502000126.html |archivedate=2013-03-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019-03-22 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007230.html |title=日李盛大LSHアジア奨学会名誉会長の逝去を受けた河野外務大臣による弔意メッセージの発出 |publisher=[[外務省]] |accessdate=2022-01-26}}</ref>。また2019年[[10月22日]]には、新大久保駅を訪問した大韓民国[[国務総理 (大韓民国)|首相]][[李洛淵]]が、追悼プレートにて献花を行っている<ref>{{Cite news|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102200608|title=韓国首相、新大久保駅で献花=人助けで事故死の留学生しのび|newspaper=[[時事通信社|時事ドットコム]]|date=2019-10-22|accessdate=2020-05-16}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。
事故の翌年、[[明仁|天皇]](現[[上皇 (天皇退位特例法)|上皇]])は死亡した韓国人留学生の両親を、[[皇居]]に招待して[[慰労]]した<ref>{{Cite news |和書 |title=天皇夫妻、5年前の約束守る…李秀賢氏追悼映画試写会に出席 |newspaper=[[中央日報]] |date=2007-01-26 |url=http://japanese.joins.com/article/073/84073.html |accessdate=2022-01-26}}</ref>。留学生の父親は後に[[奨学金]]財団を設立し、[[アジア]]出身の学生を[[援助行動|援助]]した。2015年には[[日本国政府]]から[[旭日章|旭日双光章]]が贈られた。父親が2019年に死去した際、[[外務大臣 (日本)|外務大臣]][[河野太郎]]は弔意を表し、親子の遺志を受け継ぐよう努力すると述べた<ref>{{Cite news |和書 |title=新大久保事故 留学生の父死去 日韓の懸け橋、親子をしのぶ |newspaper=[[東京新聞]] |author=境田未緒 |date=2019-03-25 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019032502000126.html |archiveurl=https://web.archive.org/web/20190330071942/https://www.tokyo-np.co.jp/article/national/list/201903/CK2019032502000126.html |archivedate=2013-03-30}}</ref><ref>{{Cite web|和書|date=2019-03-22 |url=https://www.mofa.go.jp/mofaj/press/release/press4_007230.html |title=日李盛大LSHアジア奨学会名誉会長の逝去を受けた河野外務大臣による弔意メッセージの発出 |publisher=[[外務省]] |accessdate=2022-01-26}}</ref>。また2019年[[10月22日]]には、新大久保駅を訪問した大韓民国[[国務総理 (大韓民国)|首相]][[李洛淵]]が、追悼プレートにて献花を行っている<ref>{{Cite news|和書 |url=https://www.jiji.com/jc/article?k=2019102200608|title=韓国首相、新大久保駅で献花=人助けで事故死の留学生しのび|newspaper=[[時事通信社|時事ドットコム]]|date=2019-10-22|accessdate=2020-05-16}}{{リンク切れ|date=2022年1月}}</ref>。


== 対策 ==
== 対策 ==
[[ファイル:emargency_train_stop_button.jpg|thumb|列車非常停止ボタンの設置例(JR東日本)]]
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[[ファイル:JR Yamanote-Line Shin-Okubo Station Platform (20210410).jpg|thumb|事故後の2013年に当駅に設置されたホームドア]]
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この事故を受けて[[国土交通省]]は、列車の速度が高く、かつ本数の多い駅について「駅ホーム上に[[列車非常停止ボタン]]を設置、または転落検知マットを整備する」「プラットホーム床下に退避スペースを確保する」2点の対策を取るよう全国の[[鉄道事業者]]に指導した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/tetudo/pamphlet/1..pdf|format=PDF|title=魅力ある鉄道をめざして|author=国土交通省鉄道局(監修)|publisher=鉄道・運輸機構|accessdate=2013-10-08}}</ref>。その結果、[[2006年|2006]](平成18)年度末まで列車非常停止ボタンが全国の約1,700駅に設置された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyoeikasai.co.jp/kpa/agent/monosiri2008-15.htm |title=駅での転落事故防止 |publisher=[[共栄火災海上保険]]<!--(毎日新聞社)--> |accessdate=2022-09-01}}</ref>。
この事故を受けて[[国土交通省]]は、列車の速度が高く、かつ本数の多い駅について「駅ホーム上に[[列車非常停止ボタン]]を設置、または[[転落]][[検知]][[マット]]を整備する」「プラットホーム床下に[[退避]][[スペース]]を確保する」2点の対策を取るよう全国の[[鉄道事業者]]に指導した<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.mlit.go.jp/tetudo/pamphlet/1..pdf|format=PDF|title=魅力ある鉄道をめざして|author=国土交通省鉄道局(監修)|publisher=鉄道・運輸機構|accessdate=2013-10-08}}</ref>。その結果、[[2006年|2006]](平成18)年度末まで列車非常停止ボタンが全国の約1,700駅に設置された<ref>{{Cite web|和書|url=http://www.kyoeikasai.co.jp/kpa/agent/monosiri2008-15.htm |title=駅での転落事故防止 |publisher=[[共栄火災海上保険]]<!--(毎日新聞社)--> |accessdate=2022-09-01}}</ref>。


新大久保駅では事故のあった年に、転落者が逃げ込めるようホーム下に避難スペースを設ける工事が行われた<ref>{{Cite journal |和書 |title=ズームアップ/鉄道 新大久保駅退避所新設工事(東京都)--ホームの下に"逃げ場"を造る |date=2001-08-10 |journal=日経コンストラクション |issue=285 |publisher=[[日経BP]] |pages=26-29}}</ref>。
新大久保駅では事故のあった年に、転落者が逃げ込めるようホーム下に[[避難]]スペースを設ける工事が行われた<ref>{{Cite journal |和書 |title=ズームアップ/鉄道 新大久保駅退避所新設工事(東京都)--ホームの下に"逃げ場"を造る |date=2001-08-10 |journal=日経コンストラクション |issue=285 |publisher=[[日経BP]] |pages=26-29}}</ref>。


[[2013年]](平成25年)に、当駅に[[ホームドア]]が設置された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsukensetsu.jp/construction/pdf/H26kouken-winter2.pdf|format=PDF|title=山手線新大久保駅可動式ホーム柵新設に伴う乗降場改良工事|publisher=[[交通建設]]|accessdate=2022-02-18}}</ref>。
[[2013年]](平成25年)に、当駅に[[ホームドア]]が設置された<ref>{{Cite web|和書|url=https://www.kotsukensetsu.jp/construction/pdf/H26kouken-winter2.pdf|format=PDF|title=山手線新大久保駅可動式ホーム柵新設に伴う乗降場改良工事|publisher=[[交通建設]]|accessdate=2022-02-18}}</ref>。
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* 『[[あなたを忘れない]]』([[2007年]]) - この事故を題材に創作された[[映画]]。
* 『[[あなたを忘れない]]』([[2007年]]) - この事故を題材に創作された[[映画]]。
* 『[[横道世之介]]』([[2009年]]) - [[吉田修一]]の小説。主人公・世之介は日本人カメラマンがモデルになっている。
* 『[[横道世之介]]』([[2009年]]) - [[吉田修一]]の小説。主人公・世之介は日本人カメラマンがモデルになっている。
* 「STEP! 〜李秀賢(イ・スヒョン)26年の生涯に捧ぐ〜」 - [[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]の曲。アルバム『[[安全地帯XII]]』([[2011年]])収録。
* 「STEP! 〜李秀賢(イ・スヒョン)26年の[[生涯]]に捧ぐ〜」 - [[安全地帯 (ロックバンド)|安全地帯]]の曲。アルバム『[[安全地帯XII]]』([[2011年]])収録。
* 『かけはし』(2017年) - ドキュメンタリー映画<ref>{{Cite news|和書 |title=「日韓の架け橋」は息子からの宿題…人助けで事故死した留学生の母、22年間の思いとは |newspaper=東京新聞 |date=2023-02-05 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/229382 |access-date=2023-02-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230205041510/https://www.tokyo-np.co.jp/article/229382 |archive-date=2023-02-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://kakehashi-movie.net/ |title=ドキュメンタリー映画「かけはし」 |access-date=2023-02-06 |website=ドキュメンタリー映画『かけはし』公式WEBサイト}}</ref>。
* 『かけはし』(2017年) - ドキュメンタリー映画<ref>{{Cite news|和書 |title=「日韓の架け橋」は息子からの宿題…人助けで事故死した留学生の母、22年間の思いとは |newspaper=東京新聞 |date=2023-02-05 |url=https://www.tokyo-np.co.jp/article/229382 |access-date=2023-02-06 |archive-url=https://web.archive.org/web/20230205041510/https://www.tokyo-np.co.jp/article/229382 |archive-date=2023-02-05}}</ref><ref>{{Cite web|和書|url=https://kakehashi-movie.net/ |title=ドキュメンタリー映画「かけはし」 |access-date=2023-02-06 |website=ドキュメンタリー映画『かけはし』公式WEBサイト}}</ref>。
* 『[[映像の世紀 バタフライエフェクト]]』([[2023年]]) - 「危機の中の勇気」の冒頭で本事故が紹介された。
* 『[[映像の世紀 バタフライエフェクト]]』([[2023年]]) - 「危機の中の勇気」の冒頭で本事故が紹介された。

2024年7月17日 (水) 03:07時点における版

新大久保駅乗客転落事故
現場となった新大久保駅(2008年2月 撮影)
現場となった新大久保駅(2008年2月 撮影)
発生日 2001年(平成13年)1月26日
発生時刻 19時14分 ごろ (JST)
日本の旗 日本
場所 新大久保駅 構内(新宿区
路線 山手線
運行者 JR東日本
事故種類 人身事故
原因 泥酔客を救助しようとし、線路に進入
統計
列車数 205系0番台 11両編成 (ATC搭載車)
死者 3人(日本人2人、韓国人1人。いずれも駅利用者)
テンプレートを表示

新大久保駅乗客転落事故(しんおおくぼえきじょうきゃくてんらくじこ)は、2001年平成13年)1月26日(金曜日)の19時14分頃に東日本旅客鉄道(JR東日本)山手線新大久保駅で発生した鉄道人身障害事故である。

事故概要

山手線新大久保駅で、泥酔した男性がプラットホームから線路に転落した。その男性を救助しようとして、線路に飛び降りた日本人カメラマン韓国人留学生イ・スヒョンが、折から進入してきた列車にはねられ、3人とも即死した。

人命救助のために自らの命を投げ出したこの件は、日韓両国で大きく報道されるとともに[1][2]、事故の犠牲者を追悼・顕彰するプレートが、新大久保駅のホームと改札の間の階段に設置された。このプレートには日本語韓国語で事故の経緯が記されている。その後、救出を試みた2人の遺族には内閣総理大臣森喜朗より書状が贈られ[3]警察庁からは警察協力章が授与された[4]

しかし、事故に遭ったカメラマンと暮らしていた母親は、国や市からの表彰について、近所の知人に対して「本当はそっとしておいてほしい」「息子が死んだことには変わりがない」と嘆き、事故から数年後に孤独死した[5]

事故の翌年、天皇(現上皇)は死亡した韓国人留学生の両親を、皇居に招待して慰労した[6]。留学生の父親は後に奨学金財団を設立し、アジア出身の学生を援助した。2015年には日本国政府から旭日双光章が贈られた。父親が2019年に死去した際、外務大臣河野太郎は弔意を表し、親子の遺志を受け継ぐよう努力すると述べた[7][8]。また2019年10月22日には、新大久保駅を訪問した大韓民国首相李洛淵が、追悼プレートにて献花を行っている[9]

対策

列車非常停止ボタンの設置例(JR東日本)
事故後の2013年に当駅に設置されたホームドア

この事故を受けて国土交通省は、列車の速度が高く、かつ本数の多い駅について「駅ホーム上に列車非常停止ボタンを設置、または転落検知マットを整備する」「プラットホーム床下に退避スペースを確保する」2点の対策を取るよう全国の鉄道事業者に指導した[10]。その結果、2006(平成18)年度末まで列車非常停止ボタンが全国の約1,700駅に設置された[11]

新大久保駅では事故のあった年に、転落者が逃げ込めるようホーム下に避難スペースを設ける工事が行われた[12]

2013年(平成25年)に、当駅にホームドアが設置された[13]

この事故を題材とした作品

脚注

  1. ^ 국경 넘은 살신 - KBS NEWS(韓国放送公社(韓国語)(KBSニュース9、2001年1月27日)
  2. ^ “살신성인 일본 유학생 이수현” (朝鮮語). MBCニュースデスク (文化放送). (2001年1月27日). https://imnews.imbc.com/replay/2001/nwdesk/article/1873593_30743.html 2022年9月1日閲覧。 
  3. ^ 勇気ある行為を称える辞(森総理からの弔意)”. 首相官邸ホームページ (2001年1月29日). 2022年1月26日閲覧。
  4. ^ 救助しようとして死亡の女性に紅綬褒章」『NEWSWEB』NHK、2013年10月4日。オリジナルの2013年10月7日時点におけるアーカイブ。
  5. ^ JR横浜線踏切事故:学ぶべきものは/神奈川」『神奈川新聞』2013年10月5日。オリジナルの2013年10月6日時点におけるアーカイブ。
  6. ^ 天皇夫妻、5年前の約束守る…李秀賢氏追悼映画試写会に出席」『中央日報』2007年1月26日。2022年1月26日閲覧。
  7. ^ 境田未緒「新大久保事故 留学生の父死去 日韓の懸け橋、親子をしのぶ」『東京新聞』2019年3月25日。オリジナルの2013年3月30日時点におけるアーカイブ。
  8. ^ 日李盛大LSHアジア奨学会名誉会長の逝去を受けた河野外務大臣による弔意メッセージの発出”. 外務省 (2019年3月22日). 2022年1月26日閲覧。
  9. ^ 韓国首相、新大久保駅で献花=人助けで事故死の留学生しのび」『時事ドットコム』2019年10月22日。2020年5月16日閲覧。[リンク切れ]
  10. ^ 国土交通省鉄道局(監修). “魅力ある鉄道をめざして” (PDF). 鉄道・運輸機構. 2013年10月8日閲覧。
  11. ^ 駅での転落事故防止”. 共栄火災海上保険. 2022年9月1日閲覧。
  12. ^ 「ズームアップ/鉄道 新大久保駅退避所新設工事(東京都)--ホームの下に"逃げ場"を造る」『日経コンストラクション』第285号、日経BP、2001年8月10日、26-29頁。 
  13. ^ 山手線新大久保駅可動式ホーム柵新設に伴う乗降場改良工事” (PDF). 交通建設. 2022年2月18日閲覧。
  14. ^ 「日韓の架け橋」は息子からの宿題…人助けで事故死した留学生の母、22年間の思いとは」『東京新聞』2023年2月5日。オリジナルの2023年2月5日時点におけるアーカイブ。2023年2月6日閲覧。
  15. ^ ドキュメンタリー映画「かけはし」”. ドキュメンタリー映画『かけはし』公式WEBサイト. 2023年2月6日閲覧。