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この時の活躍が認められ、当時の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]監督[[オレグ・ブロヒン]]から[[2006 FIFAワールドカップ]]のメンバーに選ばれた。しかし、UEFA U-21欧州選手権で痛めた太腿痛の影響で出番はなかった。 |
この時の活躍が認められ、当時の[[サッカーウクライナ代表|ウクライナ代表]]監督[[オレグ・ブロヒン]]から[[2006 FIFAワールドカップ]]のメンバーに選ばれた。しかし、UEFA U-21欧州選手権で痛めた太腿痛の影響で出番はなかった。 |
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2006-07シーズンは不動のレギュラーの座を獲得し、弱冠20歳にしてキャプテンに昇進した。しかし[[ウクライナ・プレミア・ディビジョン|ウクライナリーグ]]では2位に終わり、[[ウクライナカップ]]も決勝で[[FCディナモ・キ |
2006-07シーズンは不動のレギュラーの座を獲得し、弱冠20歳にしてキャプテンに昇進した。しかし[[ウクライナ・プレミア・ディビジョン|ウクライナリーグ]]では2位に終わり、[[ウクライナカップ]]も決勝で[[FCディナモ・キーウ]]に1-2で敗れた。翌2007-08シーズンにはウクライナリーグとウクライナ・カップの2冠を獲得し、カップ決勝の最優秀選手にも輝いている。その後はウクライナ代表でも不動の地位を固め、2008-09シーズンはシャフタール・ドネツクでチームを[[UEFAヨーロッパリーグ|UEFAカップ]]優勝へと導いていた。 |
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2009年8月、[[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]]・[[FCバルセロナ]]に移籍。移籍金は2500万ユーロ(約33億円)の5年契約とされている。移籍の直前に[[UEFAスーパーカップ]]でシャフタールの選手としてバルセロナ戦に出場。これが同選手のシャフタール最後の試合となった。 |
2009年8月、[[プリメーラ・ディビシオン|リーガ・エスパニョーラ]]・[[FCバルセロナ]]に移籍。移籍金は2500万ユーロ(約33億円)の5年契約とされている。移籍の直前に[[UEFAスーパーカップ]]でシャフタールの選手としてバルセロナ戦に出場。これが同選手のシャフタール最後の試合となった。 |
2024年7月11日 (木) 23:00時点における最新版
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名前 | ||||||
本名 |
ドミトロ・アナトリヨヴィチ・チグリンスキー Dmytro Anatoliyovych Chygrynskiy | |||||
ラテン文字 | Dmytro Chygrynskiy | |||||
ウクライナ語 | Дмитро Анатолійович Чигринський | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | ウクライナ | |||||
生年月日 | 1986年11月7日(37歳) | |||||
出身地 | イジャスラウ | |||||
身長 | 190cm | |||||
体重 | 85kg | |||||
選手情報 | ||||||
在籍チーム | イオニコスFC | |||||
ポジション | DF | |||||
背番号 | 16 | |||||
利き足 | 右足 | |||||
ユース | ||||||
UFKリヴィウ | ||||||
クラブ1 | ||||||
年 | クラブ | 出場 | (得点) | |||
2002 | カルパティ・リヴィウ | 2 | (0) | |||
2002-2005 | シャフタール-2 | 43 | (2) | |||
2002-2009 | シャフタール | 83 | (7) | |||
2005-2006 | → メタルルフ・Z (loan) | 15 | (2) | |||
2009-2010 | バルセロナ | 12 | (0) | |||
2010-2015 | シャフタール | 37 | (4) | |||
2015-2016 | ドニプロ | 15 | (1) | |||
2016-2021 | AEKアテネ | 83 | (5) | |||
2021- | イオニコス | 35 | (1) | |||
代表歴 | ||||||
2002 | ウクライナ U-16 | 4 | (1) | |||
2002-2003 | ウクライナ U-17 | 5 | (0) | |||
2003-2004 | ウクライナ U-18 | 7 | (0) | |||
2004 | ウクライナ U-19 | 4 | (0) | |||
2004-2006 | ウクライナ U-21 | 16 | (2) | |||
2007-2011 | ウクライナ | 29 | (0) | |||
1. 国内リーグ戦に限る。2022年11月5日現在。 ■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
ドミトロ・アナトリヨヴィチ・チグリンスキー(ウクライナ語: Дмитро Анатолійович Чигринський, 1986年11月7日 - )は、ウクライナ・フメリニツキー州イジャスラウ出身のサッカー選手。イオニコスFC所属。ポジションはDF。
経歴
[編集]地元のFCカルパティ・リヴィウでプレーしていたが、14歳の時にウクライナの名門であるFCシャフタール・ドネツクの下部組織へ移籍。2003-04シーズンにトップチームデビューを果たす。2005-06シーズンにFCメタルルフ・ザポリージャへレンタル移籍。ここでの活躍が認められ、半年でシャフタールに復帰した。シャフタールでの後半戦では、レギュラーを奪取しリーグ優勝に貢献した。
シーズン終了後、UEFA U-21欧州選手権に出場。リーダーシップを発揮しチームを決勝へ導いていたが最後はオランダに敗れたものの、大会ベストイレブンに選出された。
この時の活躍が認められ、当時のウクライナ代表監督オレグ・ブロヒンから2006 FIFAワールドカップのメンバーに選ばれた。しかし、UEFA U-21欧州選手権で痛めた太腿痛の影響で出番はなかった。
2006-07シーズンは不動のレギュラーの座を獲得し、弱冠20歳にしてキャプテンに昇進した。しかしウクライナリーグでは2位に終わり、ウクライナカップも決勝でFCディナモ・キーウに1-2で敗れた。翌2007-08シーズンにはウクライナリーグとウクライナ・カップの2冠を獲得し、カップ決勝の最優秀選手にも輝いている。その後はウクライナ代表でも不動の地位を固め、2008-09シーズンはシャフタール・ドネツクでチームをUEFAカップ優勝へと導いていた。
2009年8月、リーガ・エスパニョーラ・FCバルセロナに移籍。移籍金は2500万ユーロ(約33億円)の5年契約とされている。移籍の直前にUEFAスーパーカップでシャフタールの選手としてバルセロナ戦に出場。これが同選手のシャフタール最後の試合となった。
しかしバルセロナでは怪我などもありジョゼップ・グアルディオラ監督の信頼は得られなかった。2010年7月、加入後約1年で、シャフタールへ復帰。移籍金は約1500万ユーロ(約16億6000万円)とされている。
人物
[編集]- 趣味のギターをかき鳴らして余暇を過ごすことが多い。ニルヴァーナやピンク・フロイド、レッド・ホット・チリ・ペッパーズといったロックバンドが好きである[4]。
- 経営学の修士号を持つ[4]。
所属クラブ
[編集]- FCシャフタール・ドネツク 2004-2009
- → FCメタルルフ・ザポリージャ (loan) 2005-2006
- FCバルセロナ 2009-2010
- FCシャフタール・ドネツク 2010-2015
- FCドニプロ 2015-2016
- AEKアテネFC 2016-2021
- イオニコスFC 2021-
タイトル
[編集]クラブ
[編集]- FCシャフタール・ドネツク
- ウクライナ・プレミアリーグ : 2005-06, 2007-08, 2010-11. 2011-12, 2012-13
- ウクライナカップ : 2003-04, 2007-08, 2010-11, 2011-12, 2012-13
- ウクライナスーパーカップ : 2008, 2010, 2011, 2012, 2013
- UEFAカップ : 2008-09
- FCバルセロナ
- リーガ・エスパニョーラ : 2009-10
- FIFAクラブワールドカップ : 2009
- A.E.K
- スーパーリーグ : 2017-18
個人
[編集]- UEFA U-21欧州選手権チーム・オブ・ザ・トーナメント : 2006
脚注
[編集]- ^ “Ukraine's Chygrynskiy signs for Dnipro”. (9 February 2015) 2022年11月8日閲覧。
- ^ “Ukraine's Chygrynskiy signs for Dnipro”. (9 February 2015) 6 March 2015閲覧。
- ^ “Παίκτης του Ιωνικού ο Τσιγκρίνσκι” (ギリシア語). (9 September 2021)
- ^ a b uefa.com (2009年9月2日). “バルサの岩となるロック好きの新戦力”. 2009年9月3日閲覧。