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* [[1889年]](明治22年)6月1日 - 上記3村が合併し、中洲村を新設。役場を水江に置く。 |
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当時の管轄地域は、現在の地域では以下の通り。いずれも倉敷市。 |
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: 水江・酒津 |
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2024年4月15日 (月) 22:26時点における最新版
なかすちょう 中洲町 | |
---|---|
廃止日 | 1944年1月1日 |
廃止理由 |
編入 中洲町 → 倉敷市 |
現在の自治体 | 倉敷市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 中国地方(山陽地方) |
都道府県 | 岡山県 |
郡 | 都窪郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,147人 (国勢調査、1940年) |
中洲町役場 | |
所在地 | 岡山県都窪郡中洲町 |
座標 | 北緯34度35分01秒 東経133度44分28秒 / 北緯34.58369度 東経133.74122度座標: 北緯34度35分01秒 東経133度44分28秒 / 北緯34.58369度 東経133.74122度 |
ウィキプロジェクト |
中洲町は、かつて岡山県都窪郡にあった自治体である。発足当時は窪屋郡中洲村であった。
中洲町であったエリアは、現在は倉敷市倉敷の中洲・中島地区に分かれる。
沿革
[編集]→「中洲地区 (倉敷市)」および「中島 (倉敷市)」も参照
- 1883年(明治16年)2月 - 窪屋郡水江村・酒津村・中島村が三村連合を設置。
- 1889年(明治22年)6月1日 - 上記3村が合併し、中洲村を新設。役場を水江に置く。
- 1900年(明治33年)4月 - 郡の統合により都窪郡中洲村となる。
- 1907年(明治40年) - 高梁川の改修工事が起工する。
- 1925年(大正14年)4月 - 高梁川の改修工事が竣工、東高梁川が廃川となる。
- 1927年(昭和2年)5月 - 廃川地に倉敷絹織(クラレ)倉敷工場が造成される。
- 1940年(昭和15年)12月1日 - 町制を施行し、中洲町となる。
- 1944年(昭和19年)1月1日 - 旧倉敷市に編入合併する。
当時の主要施設
[編集]この節の加筆が望まれています。 |
- クラレ(倉敷絹織)倉敷工場
- 総神社
- 多聞寺
当時の産業
[編集]- 花えん
- 人工絹糸
- 醤油
- 米
- 麦
- イグサ
- レンコン
地域
[編集]当時の管轄地域は、現在の地域では以下の通り。いずれも倉敷市。
参考文献
[編集]- 巌津政右衛門『岡山地名事典』日本文教出版社
- 岡山県大百科事典編集委員会『岡山地名事典』山陽新聞社
- 下中直也 『日本歴史地名体系三四巻』(1981年)平凡社