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Wikipedia:削除の復帰依頼/history20221110

Wikipedia:削除の復帰依頼/history20221110/ヘッダ

削除の復帰依頼

この依頼は議論の結果、取り下げにてクローズしています。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。この依頼は編集しないでください


Wikipedia:削除依頼/Shigeru-a24によるWP:FOP違反画像での議論を経て、Wikipedia:屋外美術を被写体とする写真の利用方針の条件1違反として2版が版指定削除されましたが、この2版の復帰を依頼します。

  • まず、この画像はトリミングの際、記念碑の創作性があると言える部分が除去されたため、著作権が生じるのは「ルドルフ・レーマンの写真」の部分だけです。したがって、記念碑の作者を検討する必要がありません。
  • 続いて、レーマンの写真の作成日と発行日を検討します。写真の作成者に関する情報は私では見つかりませんでした。
    • 作成日:レーマンが1914年2月4日に死去したため、この日またはそれ以前に作成されたことが確実です。
    • 発行日:1939年/1940年に発行された書籍にて同じ写真が確認できる(Meißner, Kurt (1939). Deutsche in Japan 1639-1939 (PDF) (ドイツ語) (2nd ed.). Berlin: Deutsche Verlagsanstalt Stuttgart. p. 64. Ostasiatische Gesellschaftより。)ので、少なくとも1940年にはドイツで発行されたことになります。また、日本ではRudolph Lehmann (1842 - 1914) - ein Lebensbild, p. 35から、『京都薬科大学八十年史』(1964年)で発行されたことがわかります。いずれも、それ以前に発行されたことがあったかは証明できません。
  • 最後に、著作権の状況を検討します。
    • 日本:c:Template:PD-Japan-oldphotoでの条件を満たす(1946年以前に撮影された)ため、パブリックドメインにあります。
    • アメリカ:著作権法 (アメリカ合衆国)#著作権の保護期間によれば、著作権表示と更新手続の有無によります。上記1939年/1940年に発行された書籍の最初と最後の数ページを読む限りでは(見落としがあるかもしれませんが)著作権表示(All rights reservedまたはそれに類する記述、および著作権マーク)が見つかりませんでしたため、パブリックドメインにあるものと判断します。
    • ドイツ:c:Commons:Copyright rules by territory/Germanyによれば、著作権者が後に判明したかによります。できる限りの調査をしたが、写真の作成者に関する情報が最後までわからなかったため、無名の著作物と仮定します。無名の著作物の保護期間はドイツでは発行から70年間なので、現在ではパブリックドメインにあります。
  • したがって、レーマンの写真は日本、アメリカ、ドイツにおいてパブリックドメインにあると判断します。
  • なお、ファイル:ルドルフ・レーマンの記念碑.jpgについては記念碑の著作権が存続しています。解像度を下げた第3版はFOP条件1を満たしますが、写真の下にある文章がほとんど読めないので、FOP条件4を満たせそうになく、復帰すべきではないと判断します。

ただし、『京都薬科大学八十年史』に写真の出典が記載されているかは私では確認ができないので、それを調査することによって写真の作成者と最初の発行日が判明する可能性もあります。--ネイ会話2021年9月12日 (日) 18:27 (UTC)[返信]

  • コメント 詳細を把握している訳ではないのですが、削除された版の画像は、縦横ピクセル数の積が1,396,329であり、「310,000以下とする」(WP:FOP)という規定を満たしていないので、認められないのではないでしょうか。--Viator Liber会話2021年10月30日 (土) 11:02 (UTC)[返信]
  • 復帰 Wikipediaに直接アップロードされた画像は、全て面積が制限されていると誤認しておりました。上記の著作権の説明を信じるなら、2版を削除する理由が存在しないので、復帰を支持致します。ただし、完全にパブリック・ドメインであるなら、Wikimedia Commonsにアップロードする事を推奨致します(WP:WCP#ウィキメディア・コモンズにアップロードできないファイル)。--Viator Liber会話2021年10月31日 (日) 02:54 (UTC)[返信]
  • コメント『京都薬科大学八十年史』を確認しました。当該肖像写真は2か所、1枚目は序文の前にあり、Rudolph Lehmann (1842 - 1914) - ein Lebensbild, p. 35の画像がキャプションを含め、そのままの掲載であり、写真についてのそれ以外の情報はありませんでした。2枚目は当該文献のP.279に、Deutsche in Japan 1639-1939, P64の画像が「リュードルフ・レーマン先生(クルト・マイスネル、ドイツチェ インヤパーンから掲載)」のキャプションと共に掲載されており、それ以外の情報はありませんでした。当該キャプションは、Kurt Meißner, Deutsche in Japanの読みから推定し、Deutsche in Japan 1639-1939, P64を示しているもので間違いないと考えます。これらを踏まえると、Deutsche in Japan 1639-1939の著作に関わる団体である、OAGドイツ東洋文化研究協会が原本となる肖像写真の所有者である可能性が高いように感じます。ちなみにOAGが1956年に出版した、85 JAHRE O.A.G., P.12やウェブサイトの歴代会長でもレーマンの肖像が確認できます。以上、情報提供まで。--Junknote会話2021年11月1日 (月) 00:51 (UTC)[返信]
    • 調査していただき、どうもありがとうございます。『京都薬科大学八十年史』では最初の発行日に関する情報がない、ということになります。「OAGが肖像写真の所有者である」という推測には私も同意しますが、今回は著作権者不明の場合と著作権者がOAGだと仮定した場合の保護期間が同じだと思います(すなわち、OAGのスタッフによる職務著作物とした場合でも写真がパブリックドメインにあります)。--ネイ会話2021年11月2日 (火) 14:44 (UTC)[返信]
  • コメント ドイツにおいては、肖像写真の著者が、調べた限りにおいて示されておらず、また今後、既存の文献で著作者が明らかとなる可能性は僅少であると考え、c:Commons:Copyright rules by territory/Germanyにおける公開から70年の保護期間の条件に合致し、現在パブリックドメインにあると判断します。ただ、アメリカでの著作権においては、Wikipedia:アメリカ合衆国以外の国と地域で公表された著作物の著作権についてから考えると、1996年時点ではドイツの著作権保護期間であり、公表から95年のアメリカの著作権保護期間が適用されるように思えるのですが杞憂でしょうか。本件、ご教示いただければ幸甚に存じます。--Junknote会話2021年11月4日 (木) 00:43 (UTC)[返信]
    • 取り下げ その後、さらなる調査を試みましたが、本依頼で言及された以上の情報は得られませんでした。したがって、著作権の復活に関しては該当する可能性があるとして、今回は取り下げます。ファイルページではライセンスを屋外美術から米国著作権継続に変更し、ノートページで本依頼への誘導を置いておきます。--ネイ会話2021年11月24日 (水) 06:48 (UTC)[返信]
  • × 今回は取り下げにより終了とします。(投稿時点で)ライセンス的に問題がなければ再度依頼をお願いします。--アルトクール会話2021年12月9日 (木) 03:52 (UTC)[返信]

この依頼は議論の結果、復帰せずにてクローズしています。さらなる議論が必要な場合は当該ページのノートで行ってください。この依頼は編集しないでください


「百科事典的な記事に成長する見込みのないもの」「百科事典に記載するほどの著名性・特筆性がない記事」、初版作成者が長期荒らしとしてブロックされたことなどを理由として、Wikipedia:削除依頼/アトゥカチキニ川が提出され、2021年9月23日 (木) 16:10にNnh会話 / 投稿記録 / 記録さんによって削除されましたが、削除前直近の版でsv:Rio Atacatuquiniからの翻訳を行いましたため、その時点で削除する要件を満たさなくなったと考えます。こちらもバックアップはとっていなかったため当記事の復帰を依頼いたします。Wikipedia:削除依頼/特筆性を欠くアマゾナス州の川の河川(あ)でのOpen-boxさんのご指摘にありますように「アタカトゥキニ川」のほうが適切であるように思いますが…--F.M.H会話2021年11月23日 (火) 11:25 (UTC)[返信]

Wikipedia:削除依頼/石原さとみ20061230を経て削除されたノートページです(後に再作成)。削除理由はケースB-2(非公開の本名掲載)でした。しかしながら、この削除により冒頭の合意テンプレートにおける過去ログリンクがリンク切れになっており、過去に合意がなされた経緯が(削除版を閲覧できない利用者には)確認できません。当時は版指定削除ができなかったため、やむなく全削除になったと思われます(例えば、2005年1月24日 (月) 15:06 (UTC)の初版は明らかにケースB-2に該当しません)。削除された354版(2007年5月に特定版削除された版を含む)をすべて精査するのは困難なので、必要な調査を減らすべく下記の復帰のみを求めます。

  • 2005年1月24日 (月) 15:06 (UTC)から2006年2月27日 (月) 03:23 (UTC)までの239版の投稿者名と編集の要約
    • 要約欄に「○○」の記述はありますが、「本名は○○」といった記述はありません。不適切な利用者名は特に見あたりません。
  • 2006年1月16日 (月) 13:40 (UTC)と2006年2月26日 (日) 17:29 (UTC)の2版の本文
    • いずれも2006年12月以前に過去ログ用にリンクされた版です。

私が直接削除された版から転記してもよさそう(個々のコメントには署名があるので、履歴継承の代わりになる)ですが、「精査漏れにより削除が必要な版を増やしてしまうことを回避したい」「他利用者が転記の正確さを確認できる」の理由により、復帰依頼を提出しています。

コメント 対処を「中抜きの特定版削除」とするという意味でよいでしょうか。履歴継承などについては(削除合意もあるため)問題ないとみられますが、現行ノートの「削除ログ」に中抜き版を残してもよいのでしょうか。対処変更ということになるならば、現行履歴を退避したうえで削除版全版を復帰→今回の復帰指定範囲外をすべて版指定削除としたほうが良いかと思われますが、いかがでしょうか。--アルトクール会話2021年12月5日 (日) 22:36 (UTC)[返信]
返信 復帰依頼を提出した目的が「消えてしまった合意経緯のサルベージ」なので、依頼を提出したときは過去ログ化以降の版を検討しませんでした。
特定版削除にすべきか:現行の削除方針に従うと、全削除や特定版削除の可能性がかなり低く、おそらく版指定削除になるでしょう。さらに特定版削除の面倒さや中抜き版を置く場所などの問題を鑑みると、「移動せずに全版を復帰→復帰指定範囲外をすべて版指定削除」がやりやすいのではないかと思います。
復帰指定範囲外の版:不適切な利用者名は見あたりません。要約欄では出身校に関する記述があるものの、卒業して久しいので、現在ではケースB-2の対象外であると認識しています。したがって、利用者名と要約欄の復帰に問題はないと判断します。本文はこれ以上検討が必要な事柄を増やさないよう、今回では復帰を求めません。--ネイ会話2021年12月6日 (月) 05:22 (UTC)[返信]
  • 対処 削除されたすべての版(2005-01-24T15:06:27~2007-01-01T16:00:10まで354版)を復帰し、そのうえで2006-01-16T13:40:03及び2006-02-26T17:29:54の2版を除き、削除されていた版を版指定削除で対応します。変則的ですが、版指定削除するためネイさんと私以外の管理者に適切な版の削除が行われているかの確認をお願いします。--アルトクール会話2021年12月8日 (水) 04:46 (UTC)[返信]
    • (確認)アルトクールさんの対処により、2005年1月24日 (月) 15:06 (UTC) の版から 2007年1月1日 (月) 16:00 (UTC) の版まで(ただし、本ノート過去ログリンク先である 2006年1月16日 (月) 13:40 (UTC) by 220.215.126.40 の版および 2006年2月26日 (日) 17:29 (UTC) by Kanoe‎ の版を除く)の本文が版指定削除されており、本ノートページに復元されずに削除されたままの版がないことを確認しました。--Kurihaya会話2021年12月8日 (水) 08:56 (UTC)[返信]
  • Wikipedia:削除依頼/SLクリスマス号ケースEということで削除されています。しかし、あいまいさ回避のページであり記事ではないのでケースEを適用するのは間違いです。依頼者のキャンターさんは削除依頼の中で「曖昧さ回避ページとしてもリダイレクトとしても過剰なもの」という表現を使っておられますが、削除依頼自体が「過剰なもの」だと考えます。--Mythomania会話2021年12月23日 (木) 19:34 (UTC)[返信]
    • コメント 曖昧さ回避ページで挙げられていた2つの列車について、ともに運行日しか解説がなされておらず、曖昧さ回避が無意味なものとして削除を依頼しました。--キャンター ◀︎会話▶︎ 2021年12月23日 (木) 22:02 (UTC)[返信]
  • コメント ケースEが「ケース E: 百科事典的でない記事」であることは明らかなのに、依頼者だけではなくその後の関係者も気が付かなかったのは不思議です。ルールの作成者は考えがあって記事という言葉を入れているはずなので、無視するのはまずいでしょう。あるいは、方針やガイドラインなどについて呼び方だけが独り歩きして肝心のルール自体は読まなくなっているという悪い癖が横行していることを反映しているのかもしれません。あるいは、運用実態がルールとは違って来ているのかもしれませんが、もしそうなら運用実態をルールに反映させるべきでしょう。運用実態とルールが食違って来ているとしても、まずはこの削除を一旦元に戻してからルールを修正するべきでしょう。--Mythomania会話2021年12月24日 (金) 13:53 (UTC)[返信]
    • コメント 復帰の方針の何に該当し、「復帰させるメリット」について説明していただけませんか。方針を理由とするなら、方針に則った依頼を提出してください。仮にWP:DEL#Eとして削除されたのが誤りであるとしても、WP:DEL#Zで削除できる状況であるならば、ことさら復帰して再審議でコストを払う必要性を見出せません。百科事典として成長の見込みがないというのは、百科事典のページとしてはこの段階では認められなかったことになります。WP:DEL#Eにある「記事」が「曖昧さ回避ページを対象外とする」かについては、明確にされたことはなかったかと思いますので、Wikipedia‐ノート:削除の方針で議論として提起されてはいかがですか。--アルトクール会話2021年12月27日 (月) 07:39 (UTC)[返信]

「Wikipedia:削除依頼/Category:日本のサッカー選手(都道府県別)」での議論により削除されたカテゴリー

Wikipedia:削除依頼/Category:日本のサッカー選手(都道府県別)での議論により削除されたカテゴリー(複数)です。Qbwr8296さんにより「LTA:ELLSが作成したと思われるページ」として依頼されました。(しかし、カテゴリーの削除依頼をするときにLTA:ELLSの疑いを示すことはよく見られるようなので、本当にLTA:ELLSなのかどうかははっきりしません。依頼者も「思われる」と書いているだけです。)依頼者は依頼文の中で「Category:愛知県のサッカー選手は手嶋秀選手がありますがそれ以外は全て空ページです。」と説明しています。「過剰なカテゴリ」という意見もあります。しかし、英語版には対応するカテゴリーが存在し、例えばen:Category:Association football people from Aichi Prefectureであれば現時点で131の記事が含まれています。当然日本語版にも該当する選手の記事が多数あるので、今後、少しずつ気が付いた利用者が追加していくことで、意味のあるカテゴリーに成長することが期待できます。--Mythomania会話2021年12月27日 (月) 07:00 (UTC)[返信]

  • コメント カテゴリの再作成をしたいということであれば、プロジェクト:サッカーあたりで作成しても問題ないかを話し合われては?先の削除依頼では「過剰なカテゴリ」として合意の上削除されていますので、「LTAの投稿とみられる」という理由のみが考慮されて削除されているわけではありません。他言語版に存在するのは日本語版あるべき十分条件の一つであっても必要条件にはなりません。カテゴリの場合、創作性は考慮されないので、復帰ではなく必要に応じた再作成で対応してください。--アルトクール会話2021年12月27日 (月) 07:18 (UTC)[返信]

コメント 削除についてプロジェクト:サッカーで議論されていないようです。復帰について、ここだけで決められないのでしょうか。--Mythomania会話2021年12月27日 (月) 07:23 (UTC)[返信]

コメント 削除の審議は削除依頼の対象です。復帰依頼は「ページを元に戻す(削除されたものを戻す)」というもので、再作成許可の合意形成をする場所ではありません。先ほども述べた通り、「削除の合意」は得られているので、それを覆すだけの理由と復帰の方針の何に該当して再作成ではなく復帰という手段を用いるべきなのかを説明しなければここでの対応はありません。単に再作成を行えば、WP:CSD#全般5で削除されると思われますので、再作成するなら合意形成をしたほうが良いといえます。再作成するかどうかについての議論をどこでするかは決まってはいませんが、復帰依頼の場所で行うものではありません。そのため、管轄のウィキプロジェクトとしてプロジェクト:サッカーのノートで議論するのがほかの利用者の目に留まりやすいので、先ほどの案内となります。--アルトクール会話2021年12月27日 (月) 07:45 (UTC)[返信]