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チャールズ・ヴェイン

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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チャールズ・ヴェイン
Charles Vane
生誕 1680年
英国
死没 1720年3月(39 - 40歳没)
ジャマイカポート・ロイヤル
海賊活動
種別海賊
活動期間1716年1721年
階級船長
活動地域西インド諸島
指揮ラーク号
レンジャー号 (砲6門 スループ)
キャサリン号 (砲24門 スループ)
レンジャー号 (砲12門 ブリガンティン)

チャールズ・ヴェイン(Charles Vane、1680年 - 1720年3月29日)は、イギリス出身の海賊。イギリス船とフランス船を略奪した。海賊としての活動は1716年~1720年。ブリガンティン「レンジャー」を旗艦とした。ポート・ロイヤルの絞首台で最期を迎えた。

バハマニュープロビデンス島のイギリス入植地が1713年に放棄されると、海賊船長たちが拠点を置くようになった。ヴェインもその一人である。1718年にバハマ総督ウッズ・ロジャーズが2隻のイギリス海軍船で海賊を脅かした時、ヴェインは単身抵抗し、奪ったフランスの焼き討ち船で海軍艦艇を撃退した。ヴェインは高速スループ「レンジャー」(大砲6門)に乗り、総督に発砲し、帰還を予告して逃げ去った。

キャリア

ジェニングスの部下として

ヴェインの初期の人生についてはほとんど知られていない。彼は海賊になる前、恐らくスペイン継承戦争の最中にポートロイヤルに渡ったとされる。1715年、スペインの銀製品を積んだガレオン船の船団がフロリダ湾で難破した。スペイン人はこの内の一部を回収してハバナに運んだが、残りの財宝をヘンリー・ジェニングス率いる海賊団が奪ってしまった[1]。ヴェインはこの時ジェニングスの部下として働いていたとされ、1717年には独立した船長として活動を始めた。

王の恩赦

1718年、ジョージ1世が全ての海賊に対して足を洗うことを条件に恩赦を申し出た。ジェニングス含む多くの海賊がこの申し入れを受け入れる中、ヴェインはこれを拒否した。2月23日、ピアース船長が指揮するフェニックス号に拘束されるが、ベンジャミン・ホーニゴールドジョサイア・バージェスらの働きかけにより解放される[2]。だがヴェインと配下の海賊たちは再び海賊行為を再開する。その中には"キャラコ・ジャック"・ラカムエドワード・イングランドも含まれている。

その後、ヴェインはバハマ周辺の海域を荒らしまわり、その残酷さで悪名を轟かせた。ヴェインとその乗組員たちは襲った船の船員たちが降伏したにも関わらず、彼らに暴行を加えた。時には拷問を加えて金目の物の在り処を聞き出したりもした。

総督に反抗するチャールズ・ヴェイン Allen & Ginterのシガレットカード「Pirates of the Spanish」(N19)シリーズ

7月22日、新たなバハマ総督ウッズ・ロジャーズがナッソーに到着した際、ほとんどの海賊が投降して赦免を求めたが、ヴェインの一味は例外であった。ナッソーの港は前面に小島があるために二つの入口があり、ロジャーズの2隻の軍艦は一方の入口を封鎖し、もう一方は開けたままであった。これを見たヴェインは碇の綱を切り、拿捕して港に留めていたフランス船に火を放ち、軍艦に砲火を浴びせながら出港した[3]。ロジャーズはホーニゴールドおよびジョン・コックラム私掠船の指揮官に任命し、武装したスループ船を与えてヴェインを追跡させたが、ついに彼を捕らえることはできなかった[4]。ヴェインはその後もロジャーズにメッセージを送り付け、「護衛船を焼いて御礼する」「戻って貴様を追い出してやる」と脅迫し、ロジャーズの悩みの種となったが、結局プロビデンス島に戻ることは二度となかった[5]

ヴェインは次々と船を奪っては乗り換えている。まずバルバドスのスループを拿捕し、配下のイェーツ他25名を乗り込ませた。次には大砲12門搭載のブリガンティン、船名は「レンジャー」と改名された。ヴェインはその性格ゆえに嫌われていた。彼はイェーツのスループ船とそれに乗船している乗組員に対して横柄であり、いつも蔑ろにした。人手の少ないイェーツの船に多数の黒人奴隷を積み込んだことも彼らの反感を買う要因となり、嫌気がさしたイェーツはついにヴェインの一味から離脱して国王の赦免を受けることを決めた[6]

その頃、スティード・ボネット討伐のため、サウスカロライナ植民地のロバート・ジョンソン総督によって派遣されたウィリアム・レット大佐が、ヴェインに物資を掠奪されてしまったという船に出会った。彼らはレットに一味が南に向かったという情報を話したが、これはヴェインの嘘であり、実際には北進していた。これによりヴェインはレットの手から逃れる[7]

1718年10月、ノースカロライナオラコーク島に向かったヴェインは、そこで黒髭ことエドワード・ティーチと出会った。彼らは空高く大砲を発射してこれを礼砲とした。ヴェインはその後1週間もの間、黒髭とともに祝賀会を楽しんだ[8]

落日

ヴェインはニューヨークに向けて北上し、進路をカリブ海への南に転じるまでの間、また何隻かの船を掠奪した。11月末、フランス軍艦と遭遇したが、軍艦相手では歯が立たないと考えたヴェインは逃げることを主張し、攻撃しなかった。乗組員たちはこれをヴェインの臆病の発露ととらえ、投票によってヴェインは船長の地位を追われることとなる。操舵手のキャラコ・ジャックが新たな船長となり、ヴェインに小さなスループ船としばらく生きていけるだけの食糧や弾薬を与えて追放した[9]。ヴェインはより大きな船を奪うことで、彼の海賊としての格を再上昇させる決意を固めた。

いくつかの船を襲って船員を仲間に加えた後、ホンジュラス湾のボナカ島でジャマイカ籍のスループ船を奪い、これを海賊船とした。だがヴェインに最期の時が迫っていた。1719年2月、ヴェインの船は嵐で難破してホンジュラス湾の無人島に漂着した。数ヶ月後、ようやく船が通りがかったが、この船の船長はかつて海賊だったホルフォードという人物で、ヴェインの顔見知りであった。ヴェインは救助を求めたが、彼の性根を知っているホルフォードはこれをにべもなく拒否して行ってしまった。その後また別の船が通りがかり、今度は救助されるが、その船の船長はホルフォードの知り合いであった。正体を見破られたヴェインは足かせをはめられてジャマイカに連行され、裁判ののち絞首刑に処された[10]。彼は自らの罪を悔いる言葉はいっさい言わずに死んだ[11]

ヴェインが登場する作品

脚注

  1. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P30
  2. ^ http://www.cindyvallar.com/hornigold.html
  3. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P179
  4. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P194-P199
  5. ^ ブラック P140
  6. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P181
  7. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P182
  8. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P183
  9. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P184-185
  10. ^ チャールズ・ジョンソン『海賊列伝(上)』P186-188
  11. ^ クリントン・V・ブラック『カリブ海の海賊たち』増田義郎訳、新潮選書、1990年、149-150頁。

参考資料

  • Menefee, S.P. "Vane, Charles," in Oxford Dictionary of National Biography, vol. 56 (2004): pp. 94-95.
  • Pickering, David. Pirates. CollinsGem. HarperCollins Publishers, New York, NY. (2006):p-75.
  • チャールズ・ジョンソン(著)、朝比奈一郎(訳)、『海賊列伝(上)』2012年2月、中公文庫
  • クリントン・V・ブラック『カリブ海の海賊たち』増田義郎訳、1990年9月、新潮選書

外部リンク