海軍カレー
海軍カレー(かいぐんカレー)とは、旧日本海軍の糧食に由来する、カレーおよびカレーライスのことである。
歴史
食文化研究家の多くは、カレーライスの原型に近いものはイギリスから入ってきたと見ている[1]。もともとカレーライスは、明治35年頃までは西洋料理店のみで食べられるような高級メニューの部類だったが、明治36年から37年にカレー粉が発売されるようになってから、一般家庭や陸海軍の給食にカレー粉が出現するようになったと見られている[2]。
明治時代初めのころ、海軍における病死数で最大原因となっていたのは脚気だった。海軍軍医の高木兼寛は、長期洋上任務の艦内において、白米中心の栄養バランスが偏った食事が原因と考え、英国海軍の兵食を参考にして糧食の改善を試みたところ、脚気が激減した。スパイス(生薬)をふんだんに使うカレーは、「寒さ暑さへの適応力」「新陳代謝の促進」などの健康効果が期待できた[3]。
海軍の文献でカレーライスが確認できる最も古い物は1908年(明治41年)発行の『海軍割烹術参考書』であり、チキンライスとともに「カレイライス」の作り方が掲載されている[4]。1918年(大正7年)に海軍経理学校が作った『海軍五等主厨厨業教科書』には「ライスカレー」が出てくるが、レシピは『海軍割烹術参考書』の「カレイライス」とあまり変わっていない。1932年(昭和7年)の『海軍研究調理献立集』には「浅利のカレーライス」「伊勢海老カレーライス」「チキンカレー」など様々なカレーのアレンジ種類が登場してくるようになる[5]。
海軍でのカレーの普及は民間でのカレーの普及に比例したものであり「カレーは海軍が発祥」といった説には根拠がない[6]。
日露戦争当時、主に農家出身の兵士たちに、白米を食べさせることとなった海軍の横須賀鎮守府が、調理が手軽で肉と野菜の両方がとれるバランスのよい食事としてカレーライスを採用し、海軍当局が1908年(明治41年)発行の海軍割烹術参考書に掲載(後述)して普及させ、帝国海軍内以外では脚気の解消が、世界中で全くできていない中において、海軍内の脚気の解消に成功した。さらにその後の第一次世界大戦を通じ、その普及に努めた。また、この段階でカレーライスに牛乳が付いたとされる。
材料のうち、調味料を醤油と砂糖に変えると、そのまま「肉じゃが」になる。そのため補給の面でも具合がよく、それも軍隊食として普及した理由である。肉は主に牛肉で、第二次世界大戦時には食糧事情の変化で豚肉も使われた。
現在も海上自衛隊では、毎週金曜日はカレーライスを食べる習慣になっている[7][注 1]。同じ曜日に同じメニューを食べることで、長い海上勤務中に曜日感覚をなくさないようにするためである[7]、という説明が伊藤俊幸海将のときに広報から誤って発せられ世間に広まってしまったが、本当のところは翌週に持ち越せない残り物の食材を休み前の最後のメニューで使い切るためであり、大抵の食材を混ぜて入れても味が破綻しないからカレーなのである。ただし、金曜日にカレーライスを出すようになったのは、週休2日制の導入以後で、それ以前は土曜日だった[8]。土曜日は午前中だけの半日勤務(いわゆる半ドン)であったので、給養員も午後には業務を終えての上陸・外出等に対応するため、土曜日の昼食には調理の準備や後片付けの時間が短縮できるメニューとしてカレーが選ばれていた[7]、あるいは、準備や後片付けが簡単な料理の中からカレーが選ばれた理由も、旧海軍時代から栄養バランスの良い料理としてカレーが定着していたためである[7]、というのも海自広報によって広められたストーリーであり、本当の理由ではない。このことは伊藤俊幸海将が退官後に各所で語っている。
現在の海軍カレー
海上自衛隊で食されているものは「海上自衛隊カレー」[注 3]とまとめて呼ばれる。現在は、各艦艇・部署ごとに先任者から独自の秘伝レシピが伝えられているため、作られるカレーは艦艇・部署ごとに異なり、単一の味・レシピは存在しない。「XXXスーパーカレー」(XXXは艦艇番号など)というような呼び方をする。
2008年1月1日より海上自衛隊は「海上自衛隊レシピページ」上において、カレーライス[9]など、隊内で提供される食事のレシピを公開している[10]。
2017年8月17日より海上自衛隊はYouTubeでの「防衛省 海上自衛隊 公式チャンネル」上において、【週刊海自TV・レシピ動画】として海軍割烹術参考書に紹介されている「カレイライス」を現代風にアレンジを加え再現した「元祖海軍カレイライス」レシピを公開している[11]。
免許取得による現役海上自衛官の特例昇任制度のほか、不定期に一般からの採用を行っている技術海曹として、初任で1等海曹の管理栄養士や2等海曹の栄養士を擁する海上自衛隊では、カレーライスだけでは不足するカルシウムと葉酸を補うため、牛乳でカルシウムを、サラダで葉酸を補充、さらにタンパク質補強に卵、ビタミンC補強に果物を加えるなど、栄養学的に献立に工夫を加えている。てつのくじら館にて食事献立模型が無料公開展示されているように潜水艦のカレーライスには太陽光の紫外線を浴びない不自然的な長期勤務中にて起こりうるビタミンD欠乏の予防に椎茸の揚げ物を加えるなど科学的根拠に基づいてさらに多くの副食が付く。
護衛艦は大型冷凍貯蔵設備を有し、食材は一般の洋食店と同等の鮮度が維持されている。一方、常温保存可能な玉葱は、てつのくじら館にて公開の通り、食堂の長椅子下の中に詰め込むなど潜水艦のように限られた狭い空間であっても工夫で補い、全ての部署の職員が可能な限り、手作り調理のカレーライスを毎週1回食す伝統が維持されている。なお、海上自衛隊ではカレーライスの調理に限らず、災害事故防止のため調理目的でガスを用いるのは禁止されており、護衛艦でのカレー大鍋は水蒸気、潜水艦では電気による加熱がなされている。念のための非常食としてレトルトカレーも用意されている[12]。
海上自衛隊カレーには、各部隊・各艦艇で独特の隠し味があり、赤ワイン、ミロ、茹で小豆、インスタントコーヒー、コカコーラ、チョコレート、ブルーベリージャム、福神漬の汁等さまざまである。また陸上の基地では地元特産の野菜を使うなど、地域色の強いカレーが提供されている。このように工夫を凝らしていることもあり味の評価が高く、護衛艦や基地の一般開放では、曜日にかかわらず試食用のカレーが提供される。
自衛隊艦隊の所属を自衛官が決定するきっかけを、供されるカレーライスの美味しさに求めるという例もあり、カレーライス調理の腕が大会で競われることもある。給養員は勤務において実務経験を得ることができ、調理師の資格取得が可能である[13]。
オリジナルレシピ
海軍割烹術参考書によるオリジナルレシピは以下の通り[14]。
- 作り方
初メ米ヲ洗ヒ置キ牛肉(鶏肉)玉葱、人参、馬鈴薯ヲ四角ニ恰モ賽ノ目ノ如ク細ク切リ別ニ「フライパン」ニ「ヘッド」ヲ布キ麥粉ヲ入レ狐色位ニ煎リ「カレイ粉」ヲ入レ「スープ」ニテ薄トロノ如ク溶シ之レニ前ニ切リ置キシ肉野菜ヲ少シク煎リテ入レ(馬鈴薯ハ人参玉葱ノ殆ンド煮エタルヲ入ル可シ)弱火ニ掛け煮込ミ置キ先ノ米ヲ「スープ」ニテ炊キ之ヲ皿ニ盛リ前ノ煮込ミシモノニ塩ニテ味ヲ付ケ飯ニ掛ケテ供卓ス此時漬物類即チ「チャツネ」ヲ付ケテ出スモノトス — 海軍割烹術参考書 1908年9月1日[注 4]
炊飯やルー作りに使う「スープ」に関する記述がないが、牛骨やテール、鶏ガラなどをくず野菜とともに煮て、濾したもの(簡易ブイヨン)を使ったと推察される。
よこすか海軍カレー
かつて旧海軍の横須賀鎮守府が置かれ、現在も海上自衛隊横須賀基地が置かれている神奈川県横須賀市は、現在「カレーの街」を宣言し、海軍割烹術参考書のレシピを導入している店舗を「よこすか海軍カレー」の名称を使用できる店舗として認定するとともに、キャラクター「スカレー」を起用し、横須賀市のウェブサイトに「カレーの街よこすか」というウェブページを設け、京浜急行電鉄とコラボレーションしたキャンペーンを行うなど、海軍カレーで街おこしを行っている[15]。これは、鎮守府が海軍カレーを採用していたことから、カレーライスは横須賀から全国に広がったと横須賀市が捉えたためである。
横須賀市以外でも、小麦粉を煎ったものを混ぜたカレー粉が市販されているので、家庭でも容易に作ることができる[注 5]。よこすか海軍カレーは原則として、カレーライス・サラダ・牛乳の3点をセットで提供する。
2010年8月、『よこすか海軍カレー』のスピンアウト作品として『すこやか軍艦カレー』が横須賀市内で販売開始された。
大湊海自カレー
かつて旧海軍の大湊警備府が置かれ、現在は海上自衛隊の大湊地方隊が置かれている青森県むつ市でも、護衛艦で食べられているカレーをご当地グルメとして普及させようという試みが行われている[16]。2017年2月6日に、むつ市とむつ商工会議所、大湊地方総監部との間で事業連携協定が締結された[17]。提供されるのは市内の10店舗で、護衛艦8隻と地上2部隊のレシピが各飲食店に伝授される[18]。3月2日には提供する店舗の抽選がむつ市内で行われ、各店舗で提供するカレーが決定した[19]。
呉海自カレー
明治時代に呉鎮守府が開庁され、呉海軍工廠のあった呉市内には、全国でもいち早く明治期にカレーを提供する店が市内に存在していた。中通のビアホール「日英館」がそれで、この店のコックは海軍出身者が多く、当時の海軍レシピそのままにカレーを提供していた。その伝統を引き継ぎ、呉基地所属の艦艇等で食べられているそれぞれの「海自カレー」を市内の店で再現し食べ比べる「海自カレーグランプリ&フェスタ」が2015年より開催されている[20][21]。
また、呉市は肉じゃが発祥の地の一つでもあり、海軍のカレーと合わせた「肉じゃがカレー」のレトルト食品を販売する企業も存在している[22]。
派生
- よこすか海軍カレーパン - 日本全国ご当地パン祭り第一回で優勝。
脚注
- 注釈
- 出典
- ^ 高森直史, p.55
- ^ 高森直史, p.73
- ^ 海上自衛隊カレーの秘密 艦めし
- ^ 高森直史, p.28
- ^ 高森直史, p.30
- ^ 高森直史, pp.30-32
- ^ a b c d 「海上自衛隊をより深く理解するためのトリビアル情報 10」『MAMOR』第67号、扶桑社、2012年9月、26-28頁。
- ^ フジテレビトリビア普及委員会『トリビアの泉〜へぇの本〜 2』講談社、2003年。
- ^ 海上自衛隊レシピページ・過去のカレーレシピ(海上自衛隊)
- ^ 海上自衛隊レシピページ・本日のオススメレシピ(海上自衛隊)
- ^ 【週刊海自TV・レシピ動画】元祖海軍カレイライス「防衛省 海上自衛隊 公式チャンネル」
- ^ レトルトカレー|うみはちカレー|八戸カイジめし - 八戸航空基地
- ^ インタビュー:舞鶴航空基地隊厚生班給養係・久須美由香海士長 海上自衛隊第23航空隊
- ^ 高森直史, p.58
- ^ “よこすか海軍カレー情報”. 横須賀集客促進実行委員会. 2013年2月10日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年6月23日閲覧。
- ^ “海自大湊秘伝カレー提供へ むつ市など事業”. どうしんウェブ. (2017年2月7日) 2017年3月6日閲覧。
- ^ “「大湊海自カレー」普及へ協定締結”. デーリー東北. (2017年2月7日) 2017年3月6日閲覧。
- ^ “<海自カレー>秘伝レシピ むつの店に伝授”. 河北新報. (2017年2月22日) 2017年3月6日閲覧。
- ^ “海自カレー 10店の味決定”. YOMIURI ONLINE. (2017年3月3日) 2017年3月6日閲覧。
- ^ 木戸俊久「編集長の鍋」『KURE:BAN』6月号、TME出版、2015年。
- ^ 『るるぶ広島 宮島 尾道 呉'17』JTBパブリッシング、2016年、102頁。ISBN 9784533112881。
- ^ 宮内見「呉海軍亭肉じゃがカレー」『ご当地レトルトカレーを食べつくせ!中国&四国編』ブックビヨンド、2016年。ISBN 9784907373795。
参考文献
- 高森直史『海軍カレー伝説』(潮書房光人新社)
関連項目
- 肉じゃが - 海軍由来の料理
- 竜田揚げ - 海軍由来の料理
- ヨコスカネイビーバーガー - 海軍カレーに続き、横須賀市が町おこしに用いているグルメブランド。
- 年中夢中コンビニ宴ス - 海軍カレーに対抗し、陸上自衛隊のレシピで作った「市ヶ谷陸軍カレー」をコンビニ「ドンチッチ」で販売した。