カントリー・ミュージック
カントリー・ミュージック Country music | |
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様式的起源 | アパラチアン・フォーク, ブルース, ケルト・フォーク, オールド・タイム・ミュージック |
文化的起源 | アメリカ合衆国南部 |
使用楽器 | ヴォーカル, アコースティック・ギター, ドラム, フィドル, ベース・ギター, マンドリン, バンジョー, ダブル・ベース, ピアノ, オルガン, ドブロ, エレキ・ギター, スティール・ギター, ペダル・スティール・ギター, ハーモニカ |
派生ジャンル | ロカビリー, ダンスバンド, ルーツ・ロック, サザン・ロック, ハートランド・ロック |
サブジャンル | |
ベイカーズフィールド・サウンド - ブルーグラス - クローズ・ハーモニー - ホンキートンク - ジャグ・バンド - プログレッシブ・カントリー - ラバック・サウンド - ナッシュビル・サウンド - ネオトラディショナル・カントリー - アウトロウ・カントリー - レッド・ダート - ウエスタン・スウィング - テキサス・カントリー | |
融合ジャンル | |
オルタナティヴ・カントリー - カントリーロック - サイコビリー - ロカビリー - ゴザビリー - カウパンク - カントリー・ラップ - カントリー・ポップ - カントリー・ソウル - Sertanejo - サザン・ソウル - サザン・ヒップホップ | |
関連項目 | |
カントリー・ミュージシャン - カントリー・ミュージックの年表 | |
2024年のカントリー・ミュージック |
カントリー・ミュージック(英語: Country Music)は、1920年代にアメリカ合衆国南部ジョージア州アトランタで発祥した音楽のジャンル[1]。アメリカン・フォーク・ミュージックとウエスタン・ミュージックの南西部のジャンルをルーツとしている。当初よりブルース・モードが広く用いられている[2]。アパラチアン・ミュージック、マウンテン・ミュージック、ヒルビリー、カントリー&ウエスタンなどと呼ばれた時期を経て、現在の名称となった。 ヨーロッパの伝統的な民謡やケルト音楽などが、スピリチュアルやゴスペルなど霊歌・賛美歌の影響を受けて1930年代に成立した。ブルーグラス、ジャグバンドなどの分野とは、相互に影響を与え合って発展してきた。主流の保守的なカントリーに対して、オルタナ・カントリー、アウトロー・カントリーなどのジャンルもある。また近年、アメリカーナという新しいジャンルも音楽界に創設された。バンジョー、エレクトリック・ギター、アコースティック・ギター、フィドルなどの弦楽器やハーモニカなどを用いてシンプルなハーモニーを形成し、バラードからダンス音楽まで幅広い音楽性を持つ[3][4][5]。これまで「ヒルビリー・ミュージック」と呼ばれていた音楽が、20世紀半ばに発展した類似したルーツを持つウエスタン・ミュージックを包括し、1940年代、「カントリー・ミュージック」という言葉で定着してきた。現在「カントリー・ミュージック」という言葉は多くのスタイルやサブ・ジャンルを含めた総称となっている。カントリー・ミュージックの起源は主にポピュラー・ソング、アイルランド音楽やケルト音楽のフィドルの旋律、伝統的バラード、カウボーイ・ソングやヨーロッパからの移民コミュニティでの様々な伝統的音楽をブレンドした労働者階級の白人のフォーク・ミュージックである。2009年、カントリー・ミュージックはアメリカ合衆国の夕方の帰宅ラッシュ時間にラジオで最もよく聴かれ、朝の通勤時間には2番目によく聴かれている[6]。
概要
演奏に使われる楽器
演奏には当初、ギター、マンドリン、フィドル(ヴァイオリン)、バンジョー、リゾネーター・ギター(ドブロ)、ペダル・スティール・ギター、ウッドベース、オートハープ、アコーディオン、ハーモニカなどが用いられ、時にはジャグ・バンド同様に金属製のバケツやたらい、洗濯板やのこぎりなど生活用品や工具や農機具なども使われた。
現在のカントリーバンドの構成は、いわゆる“普通のロックバンド”と同じ、ギター、ベース、ドラム、キーボード等が中心で、そこにフィドルやバンジョー、スティール・ギターなどを加えて、俗に言う“カントリーらしい味付け”をする場合も多いが、必ずしもそれらの楽器が必要というわけではない。
イメージ
西部開拓時代やカウボーイを連想する人も多いが、それはあくまでもハリウッドの映画産業やブロードウェイ・ミュージカルなどが作り上げた西部劇の影響であり、元々はそれほど深い関係にはない。そもそもカウボーイ全盛の19世紀にはまだ「カントリー」という概念は存在せず、20世紀に入ってからの西部劇で演奏された曲も、クラシック音楽の作曲家が民謡などをベースに作った映画音楽・舞台音楽の類で、厳密に言うとカントリーというジャンルにも当てはまらない場合が多い。 後に一部のカントリー・ミュージシャンがそのイメージと人気にあやかり、カウボーイハットやブーツを身に付け、西部劇風の演出を取り入れる様になる。 しかし現代のカントリー・ミュージシャンは西部劇で描かれるような世界観ではなく、むしろ現在のカウボーイのイメージを確立し、ピックアップトラックやATV、釣り具や銃器・狩猟具関連のテレビCMなどで頻繁に彼らの曲が使われる。
人種
現在カントリー・ミュージックは、シーンの中心であるアメリカのほかに、カナダ、ヨーロッパ、日本やオーストラリアでも一部のファンに人気がある。それでもファンやミュージシャンには白人系が圧倒的に多く、アメリカ南部やアパラチア発祥の音楽のため、一部では「人種差別と関係が深い音楽」と誤解されがちである。 実際、戦前や少し古い時代の曲の中には人種差別的な歌詞が入ったものや、現在でもアンダーグラウンドな演奏場所では、差別用語・放送禁止用語を連発する過激な歌手も一部に存在する。 しかしながら、あくまでもそれは一部の心ない人間がおこなっているものであり、カントリーは共和党系で保守的ではあっても人種差別を目的とした音楽ではない。 現在のカントリー業界は、アメリカ音楽産業でも人気のあるジャンルであり、さらにそれを他の国に少しでも広めていこうという方針を採っているので、あからさまな人種差別を避けるよう心がけている。 特に1970年代以降、アフロ・アメリカンのチャーリー・プライド(黒人歌手)(Charley Pride)やフィリピン系のニール・マッコイ(Neal McCoy)など有色人種のアーティストたちも第一線で活躍し、さらにバンドメンバーに目を向ければ、ヒスパニック系や黒人、アジア系も見受けられる。
保守・愛国
現在のカントリーは、音楽的には様々な価値観を取り入れて発展しているが、アーティストやファンの政治的スタンスや歌詞に込められた心情の面では保守的な部分が強い。 元々が開拓民の民謡から派生しているため、自分の家族や故郷の州や町、また田舎の素朴さ、暖かさ、荒々しさなどを愛し、カウボーイやレッドネックといった自分の田舎臭いキャラクターを誇りとし、それを主張する内容の歌詞が多く、その裏には東部や都会に対する対抗意識や反発も表現される。 そしてそれが更に大きくなると、パトリオティズム(Patriotism:愛国心)やナショナリズムと結びつき、アメリカ的価値観やアメリカ的自由を推奨する形として現れる。 その代表曲が1980年代初頭にヒットしたリー・グリーンウッド(Lee Greenwood)の"God Bless The USA"である。
2001年の9月11日に発生したアメリカ同時多発テロ事件以降、その保守傾向はますます強くなり、元軍人である父親を尊敬し、自身も軍事基地などで慰問コンサートを開くトビー・キース(Toby Keith)の"Courtesy of the Red, White and Blue (The Angry American)" や"American Soldier" 、イラク戦争開戦前後に、反戦派に対して「もう忘れたのかい? あの日の怒りと悲しみを・・・・・。」とアメリカ同時多発テロ事件を持ち出して戦争支持を主張するダリル・ウォーリー(Darryl Worley)の"Have You Forgotten? " などがリリースされ、それぞれ大ヒットとなる。
また同時期に、女性カントリー・トリオ、ディクシー・チックスのボーカル、ナタリー・メインズ(Natalie Maines)がコンサート中に、イラク戦争に絡みジョージ・W・ブッシュ大統領について「合衆国大統領が(私たちと同じ)テキサス出身である事を恥じる。」と発言したのが波紋を呼び、中西部から南部を中心に 全米の多くのラジオ局で彼女たちの曲が外され、カントリー・ファンや大統領支持派によるCDの不買・廃棄キャンペーンなどが行われ、ファンや業界の保守・愛国思想が露骨に現れた。 また、本人や関係者に対する嫌がらせや脅迫も相次ぎ、事実上 業界から干される格好となり、更に育児なども重なり、活動を一時的に停止する。 しかしながら2006年には、この騒動を綴ったドキュメンタリー映画『Shut Up & Sing (公式webサイト)(黙って歌ってろ!)』が公開され話題となり、また"Not Ready To Make Nice"「まだ(皆の望むような)よい子にはなれない。」というタイトルのシングル曲(MVの映像は、ナタリーが“異端審問”や“思想矯正手術”にかけられるイメージになっている。)を含めたアルバムも発表され、カントリー以外の音楽業界やリベラル派のファンの支持を受け、2007年のグラミー賞においては、最優秀アルバム賞を含む5冠を獲得して復活を遂げた。
ダンス
アメリカには、田舎、都会に限らず各地にカントリー・バーやホンキートンク(Honky-tonk)と呼ばれるナイトクラブが約5000軒以上存在し、それらのほとんどがダンス・フロアを設けており、カントリー・ダンスが盛んに踊られている。 その世界最大のものが、テキサス州フォートワースにあるBilly Bob's Texasである。ところが、カントリーがまだ民謡だった時代のフォークダンスはさておき、現行のカントリー・ダンスの歴史は意外に浅い。 一説には、大都会ヒューストンのバーでロデオマシーンに興じる若者の青春を描いたジョン・トラヴォルタ主演の映画、『アーバン・カウボーイ』(Urban Cowboy 1980年)が起源とも言われる。カントリー・ダンスは大まかに分けて、ラインダンスとツーステップの2種類がある。
- ラインダンス:フロアに整列し、一斉に同じステップを踏むダンス。コレオグラファーや有名ダンスインストラクターなどが創作した振りをステップシートにおこし、それが各地のディスコやナイトクラブ、ホンキートンクなどでそれぞれ広められる。 カウントや曲ごとに振り付けが決まっていて全員がほぼ同じ振りをする。カウントやステップ、あて曲などに地域差があるが、エレクトリック スライド(Electric Slide)やトゥシュ プシュ(Tush Push)などは世界中どこででも通用する有名なステップである。 大抵の場合、DJが曲中のMCで「さぁ~っ ホットなカウガールたちの為に次はヒップホップでいくぜっ! 次は"Men In Black"だっ!」というような感じで、次の曲のステップを予告する場合が多い。 1990年代に、ドワイト・ヨーカムの"Crazy Little Thing Called Love" のミュージック・ビデオとアパレルブランド、GAPのテレビCMが影響してか、ラインダンスが一世をふうびし、カントリーに限らず ビートの効いたヒップホップやロックスタイルのステップも流行したが、現在はかなり下火になっている。 しかし最近では、hpがiPodのテレビCMにラインダンスを登場させたり、シャナイア・トゥエインの"I Ain't No Quitter" や、マドンナの"Don't Tell Me"、ジェシカ・シンプソンの"These Boots are Made for Walkin" などをはじめとする多くの最新カントリーやポップス・ダンス系のミュージック・ビデオの中でラインダンスを踊るシーンを盛んに盛り込むなど、「ラインダンス・ブームが再燃するのでは」とのうわさもある。 また既出のカウボーイ・トロイ(Cowboy Troy)のように、MVの中で踊られているステップの“インストラクション動画”を公開しているアーティストもいる。
- ツーステップ(Two-Step):男女のペアで踊るカップルダンスの一つ。
男女が「クイック、クイック、スロー、スロー」のリズムでダンスフロアをドーナツ状に時計回りし踊る、社交ダンスに似たもの。 このツーステップ以外にもワルツ、スウィング、チャチャ、ポルカ、チークダンス(Slow dance)、それにラインダンスのように振りやステップが決まっているカップルダンスなど、男女のペアで踊るダンスが現在の主流になっている。
聖地
カントリー・ミュージックの聖地は、かつてのアメリカ音楽産業の中心地で、カントリーに関しては今もその力を失っていない街、テネシー州ナッシュビルにあるライマン公会堂。 そこで毎週末に開かれていたグランド・オール・オープリーというライブイベントや、そのラジオ放送(後にテレビも加わる)が名物であったが、現在このイベントは場所を移し、郊外に新しく造られたグランド・オール・オープリー・ハウスというコンサートホールで行われている。
歴史
6世代に亘るカントリー・ミュージック
約300年前、ヨーロッパからの移民が北アメリカのアパラチア山脈南部に音楽と共にやってきた。カントリー・ミュージックは「南部の一大事件として世界に紹介された」[7]。1920年代初頭、第1世代として、カントリーのミュージシャンが最初にプロとして活躍するのにアトランタのミュージック・シーンが大きな役割を担った。1923年頃、フィドリン・ジョン・カーソンがオーケー・レコードからヒルビリー・ミュージックのレコードを出版し、続いて1924年、サマンサ・バンガーナーがコロムビア・レコードから、1927年、カーター・ファミリーとジミー・ロジャーズがRCAレコードから出版した[8]。1920年代、クリフ・カーライルなどを含む多くのヒルビリー・ミュージシャンがブルースを収録した[9]。
1930年代から1940年代の第2世代、ラジオが娯楽として人気になり、南部を中心に北はシカゴ、西はカリフォルニア州までカントリー・ミュージックに合わせて「バーン・ダンス」を踊るようになった。最重要なのは、1925年にテネシー州ナッシュビルの[[::en:WSM (AM)|WSM]] で『グランド・オール・オープリー』が始まり、現在も続いていることである。1930年代と1940年代、1920年代から収録されたカウボーイ・ソングやウエスタン・ミュージックがハリウッドで製作された映画で使用されて人気が高まった。グレートプレーンズ出身のボブ・ウィルズは「ホット・ストリング・バンド」のリーダーとして人気を博し、西部劇の映画にも出演した。彼のカントリーとジャズをミックスしたスタイルはダンス・ホールで流されるようになり、ウエスタン・スウィングとして知られるようになった。1938年、ウィルズはバンドに初めてエレクトリック・ギターを取り入れたカントリー・ミュージシャンとなった[10]。1939年、カントリー・ミュージシャンはブギを収録するようになり、ジョニー・バーフィールドが『Boogie Woogie 』を収録し、カーネギー・ホールで演奏した。
1950年代から1960年代の第3世代が第二次世界大戦終戦後に開始し、『グランド・オール・オープリー』でロイ・エイカフに紹介されたレスター・フラットとアール・スクラグスと共に登場したビル・モンローにより演奏されたマウンテニア・ストリング・バンド・ミュージックがブルーグラスとして知られるようになった。カントリー・ミュージックの中でもゴスペルの人気は健在であった。特にテキサス州やオクラホマ州の貧困白人の間ではギター、ベース、ドブロ、スティール・ギター、ドラムを使用したベーシックなアンサンブルや様々なムードのシンプルで粗野な音楽が人気があった。これがウエスタン・スウィングやメキシコや国境近くのランチェラをルーツにホンキートンクとして知られるようになった。1950年代初頭までにウエスタン・スウィング、カントリー・ブギ、ホンキートンクが多くのカントリー・バンドで演奏されるようになった。1950年代にはカントリー・ファンの間ではロカビリーが最も人気となり、1956年は「ロカビリーの年」と呼ばれた。1950年代中期から1960年にかけてテネシー州ナッシュビルがナッシュビル・サウンドで数100万ドルを生み出す産業中心地となった。1960年代後期、伝統主義者はこの反動で別のジャンルに派生した。ブリティッシュ・インヴェイジョンの影響で多くの人々が古いタイプのロックンロールを好むようになった。それと同時にナッシュビルで生産されるカントリーへの熱狂も薄れてきた。この結果カントリーロックというジャンルが生まれた。
1970年代から1980年代の第4世代、ナッシュビル・サウンドの派生であるカントリーポリタン、フォーク・ミュージック、ソフトロックをルーツとするアウトロウ・カントリー、カントリー・ポップ、ソフト・ポップが主流となった。1972年から1975年、歌手でギター奏者のジョン・デンバーがカントリーとフォーク・ロックをブレンドした数々のヒット曲を生み出した。1980年代初頭、カントリー・アーティストの曲がポップ・チャートに登場し続けた。1980年、ネオカントリー・ディスコ・ミュージックが人気となった。1980年代中期、ラジオやチャートで伝統的な曲への回帰が起こり、多くの新人アーティストの洗練されたカントリー・ポップは流されなくなった。
1990年代の第5世代、カントリー・ミュージックはガース・ブルックスの人気に乗じて世界的人気となった。1990年代から2000年代初頭、ディクシー・チックスが最も人気のあるカントリー・バンドの1つとなった。
2000年代から現在の第6世代の代表的なカントリー歌手はキャリー・アンダーウッドである。2000年代後期および2010年代初頭、カントリーでのロックの影響は顕著になった。パンクとカントリーの融合のパイオニアはジェイソン&スコーチャーズや、ロング・ライダーズなどの1980年代の南カリフォルニアのカウパンク・バンドであった。ヒップホップもカントリー・ミュージックと融合し、カントリー・ラップとなった[11]。この時期にヒットしているカントリー曲はレディ・アンテベラム、フロリダ・ジョージア・ライン、テイラー・スウィフトなどのカントリー・ポップである[12]。
1920年代、第1世代: 源流と成立
北米大陸へ移住してきたアイルランド・スコットランド・イングランドなどのケルト系やアングロ・サクソン系を中心とした西欧・北欧・東欧系の移民が持ち込んだ音楽、特にケルト音楽やヨーデル、ポルカなどがアパラチア山脈一帯やアメリカ北東部からアメリカ南部にかけての山岳丘陵地帯の農村などで様々な音楽の影響を受け、オールドタイム・ミュージックやヒルビリー・ミュージックと呼ばれるアメリカ民謡の基礎を形成する。 それが19世紀後半の鉄道網の発達、蓄音機の発明、20世紀前半のラジオの普及になどにともなって北米大陸全土に広まり、その伝統民謡的な部分を保ち続け1940年代にビル・モンロー(Bill Monroe)等により確立された民謡スタイルの音楽をブルーグラスと呼び、逆に様々な音楽を取り入れ大衆音楽化して、変化し続けているタイプの音楽をカントリー・ミュージックと呼ぶ。
1920年代初頭、多くのアパラチア山脈の人々がアトランタの紡織工場に働きにやってきて音楽をもたらし、アトランタの音楽シーンはカントリーの初期の歴史の重要な役割を担った。アトランタは約20年間、レコード産業の中心地、約40年間、ライヴ活動の中心地となり、1950年代にはローカル・テレビ局で最初のカントリー番組が放送された[13]。
アトランタのいくつかのレコード会社は農業労働者向けの音楽としてフィドリン・ジョン・カーソンなどの初期のアーティストを受け入れなかった[14]。1922年6月30日に収録され、1923年4月に出版されたフィドル奏者のヘンリー・ギリランド&エック・ロバートソンによる『[[::en:The Arkansas Traveler (song)|Arkansas Traveler]] 』と『[[::en:Turkey in the Straw|Turkey in the Straw]] 』がカントリーで最初の商業的レコーディングとされている[15][16]。1924年頃からコロムビア・レコードは15000D "Old Familiar Tunes"シリーズのヒルビリー・ミュージックのレコードを出版し始めた[8]。
1923年6月14日、フィドリン・ジョン・カーソンはオーケー・レコードで『[[::en:The Little Old Log Cabin in the Lane|Little Log Cabin in the Lane]] 』を収録した[17]。1924年5月、『[[::en:Wreck of the Old 97|Wreck of the Old 97]] 』でヴァーノン・ダルハートが全米で有名な最初のカントリー歌手となった[18][19]。B面の『Lonesome Road Blues 』もとても人気になった[20]。1924年4月、サマンサ・バンガーナーとイーヴァ・デイヴィスがカントリーの曲を収録および出版した最初の女性ミュージシャンとなった[21]。
約10年間、1930年代に入るまでクリフ・カーライルなどの多くのヒルビリー・ミュージシャンはブルースの曲を収録してきた[9]。この時期の他の重要なプロのアーティストにはライリー・パケット、ドン・リチャードソン、フィドリン・ジョン・カーソン、アンクル・デイヴ・メイコン、アル・ホプキンス、アーネスト・ストンマン、チャーリー・プール・アンド・ノース・カロライナ・ランブラーズ、ザ・スキレット・リッカーズなどがいる[22]。西海岸でジミー・タールトンが著名なハワイのギタリストであるフランク・フェレラと出会い、1922年頃からスティール・ギターがカントリー・ミュージックで使われるようになった[23]。
1930年代に活躍したジミー・ロジャースやカーター・ファミリーなどがカントリー・ミュージシャンの初期の重要人物とされている。1927年8月1日、テネシー州ブリストルで行われた、タレント・スカウトで録音技術士のラルフ・ピアが同席した歴史的なブリストル・セッションで彼らの曲が初めて収録された[24][25]。2000年の映画『オー・ブラザー!』でこの当時の似た出来事を描写したシーンがある。
ロジャーズはヒルビリー・カントリー、ゴスペル、ジャズ、ブルース、ポップ、カントリー、フォークを融合し、『Blue Yodel 』などのヒット曲を作曲し[26]、100万枚以上を売り上げ、初期のカントリー・ミュージックの創始者といわれている[27][28]。
1927年初頭から約17年間、カーター・ファミリーは300曲もの古いバラード、伝統的な曲、カントリー曲、ゴスペル聖歌を収録し、それらはアメリカ南東部の文化の代表となっている[29]。
1930年代-1940年代、第2世代
世界恐慌の影響でレコードの売上は減少した。ラジオが娯楽としての人気が上がり、南部から北はシカゴ、西はカリフォルニアまでカントリー・ミュージックを使った「バーン・ダンス」の番組が放送された。
最も重要なのは、1925年にテネシー州ナッシュビルのWSMが『グランド・オール・オープリー』の放送を開始し、現在も続いていることである。『オープリー』の初期のスターにはアンクル・デイヴ・メイコン、ロイ・エイカフ、アフリカ系アメリカ人ハーモニカ奏者デフォード・ベイリーなどがいる。1934年当時、WSMの5万ワットのシグナルにより、全米で聴くことができることもあった[30]。
多くのミュージシャンが様々な形態で演奏および収録を行なった。例えばムーン・ムリカンはウエスタン・スウィングで演奏していたが、ロカビリーでの収録も行なっていた。1947年から1949年、カントリー・クルーナーのエディ・アーノルドは8曲がトップ10にランクインした[31]。
シンギング・カウボーイおよびウエスタン・スウィング
1930年代から1940年代、1920年代から収録されてきたカウボーイ・ソングまたはウエスタン・スウィングがハリウッドで製作される映画で人気が上がった。当時人気のあったシンギング・カウボーイにはジーン・オートリー、サンズ・オブ・ザ・パイオニアズ、ロイ・ロジャーズなどがいる[32]。カントリー・ミュージックとウエスタン・ミュージックは同じラジオ局で放送されることがあり、「カントリー・アンド・ウエスタン」という言葉が生まれた。
カウボーイだけでなく、カウガールが参加する家族バンドも存在した。パッツィ・モンタナは歴史的な曲『I Want To Be a Cowboy's Sweetheart 』で女性アーティストの活動の場を広げた。これは女性にもソロとしてのキャリアを伸ばす機会が与えられる革命的な出来事となった。
グレートプレーンズ出身のボブ・ウィルズは「ホット・ストリング・バンド」のリーダーとしてとても人気があり、西部劇の映画にも出演した。ダンス・ホール音楽としてスタートした彼のカントリーとジャズをミックスしたスタイルはウエスタン・スウィングとして知られるようになった。スペイド・クーリーやテックス・ウイリアムズもとても人気があり、映画にも出演していた。ウエスタン・スウィングの人気の高さはビッグバンド・スウィング・ミュージックの人気に匹敵するものであった。
楽器の変遷
初期のカントリー・ミュージシャンにはドラムは「騒々しい」「新鮮でない」として敬遠されていたが、1935年、ウエスタン・スウィング・ビッグバンドであるテキサス・プレイボーイズのリーダーのボブ・ウィルズはドラムを取り入れた。1940年代中期、『オープリー』はプレイボーイズがドラムを使用することを受け入れなかった。1955年までにロカビリーではドラムを使用することが普通になっていたが、『オープリー』ほど保守的でない『ルイジアナ・ヘイライド』は1956年にはまれにドラムを使うことがあった。1960年代初頭までにはカントリー・バンドにドラムがないことの方が珍しくなった[33]。
1938年、ボブ・ウィルズはカントリーで初めてエレクトリック・ギターをバンドに追加した[10]。10年後の1948年、アーサー・ギター・ブギ・スミスはMGMレコードから『[[::en:Guitar Boogie (song)|Guitar Boogie]] 』でカントリー・チャートのトップ10だけでなくポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットし、エレクトリック・ギターの将来性を提示した。数十年、ナッシュビルのスタジオ・ミュージシャンはギブソンやグレッチのアーチトップの温かみのある音を好んでいたが、1950年代初頭より、「ホットな」フェンダーの音がカントリーの特徴的なギターの音として浸透した[33][34]。
ヒルビリー・ブギ
1939年、ジョニー・バーフィールドがカーネギー・ホールで『Boogie Woogie 』を演奏すると、カントリー・ミュージシャンはブギの収録を始めた。これらは当初「ヒルビリー・ブギ」「オーキー・ブギ」(のちに「カントリー・ブギ」と改名)と呼ばれ、1945年後期から流行り始めた。この当時の代表曲はデルモア・ブラザーズの『Freight Train Boogie 』などで、ロカビリーの前の、カントリー・ミュージックとブルースの展開の1つとされている。1948年、アーサー・ギター・ブギ・スミスがMGMレコードからの『Guitar Boogie 』や『Banjo Boogie 』でカントリー・チャートのトップ10にランクインし、ポップ・チャートでもクロスオーバー・ヒットした[35]。他のカントリー・ブギのアーティストにはメリル・ムーアやテネシー・アーニー・フォードなどがいる。1950年代までヒルビリー・ブギの人気は続き、21世紀にもカントリーの多くのサブ・ジャンルの1つとされている。
ブルーグラス、フォーク、ゴスペル
第二次世界大戦終結前、『オープリー』においてロイ・エイカフにより紹介されたレスター・フラットとアール・スクラグスにビル・モンローが参加し、「マウンテニア」・ストリング・バンドの音楽はブルーグラスと融合した。ゴスペルもカントリー・ミュージックの一部として人気があった。大戦後最大のカントリー・スターであったレッド・フォリーは『[[::en:Peace in the Valley|Peace in the Valley]] 』でゴスペルで初の100万枚の売り上げを達成し、ブギ、ブルース、ロカビリーも歌った。
戦後、カントリー・ミュージックは商取引の場では「フォーク」、音楽産業業界では「ヒルビリー」と呼ばれた[36]。1944年、『ビルボード』誌は「ヒルビリー」を「フォーク・ソング・アンド・ブルース」と記し、1949年には「カントリー」または「カントリー・アンド・ウエスタン」と記すようになった[37][38]。
ホンキートンク
テキサス州やオクラホマ州の貧困白人の間で、ギター、ベース、ドブロまたはスティール・ギター、ドラムを使用したベーシックなアンサンブルや様々なタイプの粗野な音楽が人気となった。これらは特にテキサス州で南部のブルースと共に、ウエスタン・スウィング、メキシコや国境近くのランチェラをルーツとしたホンキートンクとして知られるようになった。ボブ・ウィルズと彼のバンドであるテキサス・プレイボーイズはこの音楽について「これを少し、あれを少し、黒人音楽を少し、白人音楽を少し…考えすぎない程度に、ウイスキーを注文できる程度にうるさい」と解説した[39]。テキサス州東部出身のアル・デクスターは『Honky Tonk Blues 』を、また7年後に『[[::en:Pistol Packin' Mama|Pistol Packin' Mama]] 』をヒットさせた[40]。アーネスト・タブ、キティ・ウェルズ(初のメジャーな女性カントリー・ソロ歌手)、テッド・ダファン、フロイド・ティルマン、マドックス・ブラザーズ・アンド・ローズ、レフティ・フリッツェル、ハンク・ウィリアムズなど、これらの「ホンキートンク」の曲は酒場で流行り、のちに「トラディショナル」・カントリーと呼ばれるようになった。ジョージ・ジョーンズなどのホンキートンク・スターが新たに誕生する一方で、特にウィリアムズなどがチャック・ベリーやアイク・ターナーと同様にエルヴィス・プレスリーやジェリー・リー・ルイスなどのロックンロールの多くのパイオニアに多大な影響を与えた。1950年代、ウエブ・ピアスは13曲のシングルが計113週第1位を獲得し、常にチャートのトップに君臨するカントリー・アーティストとなった。約10年間で48曲がチャート入りし、うち31曲がトップ10に、さらにそのうち26曲が第4位以内に入った。
1950-1960年代、第3世代
1950年代中盤に入ると、R&B、ジャズ、ブルース、ゴスペルといった、現在の軽音楽の母体となる黒人音楽との融合が始まり、“ロックンロールの王様”エルヴィス・プレスリーに代表される、ロカビリー(ロックとヒルビリーの融合)スタイルのミュージシャンを多く生み出し、さらにスウィングやブギといったジャズのリズムを取り入れることにも成功、カントリー自体が様々な方向へと多様化・細分化し始める。 また、このころを境に、民謡やヒルビリー(丘陵地帯の田舎者)音楽という概念は薄れ始め、女性歌手を中心にソフトなラブソングやバラードなどで女性的、又は都会的なイメージを強調する路線や、男性は馬ではなくピックアップトラックやトラクターを運転する現代的なカウボーイやレッドネック(南部の粗野な田舎者)のイメージ、さらにロカビリーの影響で不良青年やヤクザ者を強調する路線も追加される。 そして60年代にはフォーク・リヴァイヴァル・ムーブメントの影響もあり、カントリーの人気が更に盛り上がる。この頃から“聖地”ナッシュビルとは別に、カリフォルニア州ベーカーズフィールドやテキサス州などから新しいサウンドが生まれ新たな流れを作り始めた。バック・オーウェンス・アンド・ヒズ・バッカルーズはその代表的な存在であり、カントリーとは無縁なクラシックの“聖地”カーネギー・ホールでコンサートを行い、大成功を収めた。
1950年代初頭までに、ウエスタン・スウィング、カントリー・ブギ、ホンキートンクの融合が多くのカントリー・バンドにより演奏されるようになった。1950年代後期、南西部やメキシコ北部のカウボーイ・バラードやテハノ・ミュージックの影響を受けたウエスタン・ミュージックは人気が最高潮となった。特に1959年9月にマーティ・ロビンズにより収録された『[[::en:El Paso (song)|El Paso]] 』が知られている。
カントリー・ミュージック・シーンは楽器編成や起源の類似に関わらず、フォーク・リバイバルとフォークロックは距離を保っていた。例えばバーズが『オープリー』に出演した際は観客からヤジが飛んだ。大きな問題は政治的なことであった。バール・アイヴス、ジョン・デンバー、カナダのミュージシャンであるゴードン・ライトフットはフォーク・リバイバルが廃れた後、カントリー・ミュージックにクロスオーバーした。
1950年代中期、カントリー・ミュージックの新たなスタイルが人気となり、のちにロカビリーと呼ばれるようになった[41]。
ロカビリー
1950年代、カントリー・ファンの間でロカビリーは最も人気があり、1956年は「ロカビリーの年」とも呼ばれた。ロカビリーはロックンロールとヒルビリー・ミュージックの合成語である[42]。この頃、当時音楽業界で大きな役割を担っていたエルヴィス・プレスリーがカントリー・ミュージック界に進出した。この年の『ビルボード』年間チャートの第2位はプレスリーの『ハートブレイク・ホテル』、第3位はジョニー・キャッシュの『[[::en:I Walk the Line|I Walk the Line]] 』、第4位はカール・パーキンスの『ブルー・スエード・シューズ』であった[43]。
1958年、キャッシュの『Guess Things Happen That Way/Come In, Stranger 』が第3位、プレスリーの『Don't/I Beg of You 』が第5位となった[44]。プレスリーはリズム・アンド・ブルースの影響を受けており、彼のスタイルについて彼は「私が物心つく前から有色人種の方々が演奏してきたものを今私がやっているだけ」と語った。しかし彼はさらに「私のスタイルはカントリーをテンポよくしただけ」とも語っている[39]。数年の間で多くのロカビリー・ミュージシャンが流行りのスタイルに回帰し、それ以外の者が独自路線を確立した。
1955年から1960年、ミズーリ州スプリングフィールドからテレビ局ABCおよびラジオの『[[::en:Ozark Jubilee|Ozark Jubilee]] 』が全米放送され、カントリー・ミュージックの番組が増えた。1956年、ウエブ・ピアスは「昔々、ニューヨークなどではカントリーは売れなかった。現在テレビ局は私たちをどこにでも連れて行き、カントリーのレコードは大都市を含めてどこででも売られるようになった」と語った[45]。
1950年代後期、ラボック・サウンドが登場したが、終盤、その反動でレイ・プライス、マーティ・ロビンズ、ジョニー・ホートンなどの伝統的なアーティストが1950年代中期に影響を受けたロック界からシフトし始めた。
ナッシュビル・サウンドおよびカントリーポリタン・サウンド
1950年代中期から1960年代初頭をピークに、ナッシュビル・サウンドがテネシー州ナッシュビルを数百万ドルのカントリー・ミュージック産業の中心地にした。チェット・アトキンス、ポール・コウエン、オウエン・ブラッドリー、ボブ・ファーガソン、のちにビリー・シェリルなどのプロデューサーの指示のもと、様々な趣向の観客にカントリー・ミュージックを届け、商業的に落ち着いてきたカントリー・ミュージックの再建に加担した[46]。
1950年代からこのサブジャンルは、派手で洗練されたヴォーカル、弦楽器やコーラスのいるバンドでポップのスタイルを汲むようになった。楽器演奏の「リック」のソロはあまり主張しないようになった。このジャンルの著名なアーティストにはジム・リーヴズ、スキータ・デイヴィス、ザ・ブラウンズ[47]、パッツィー・クライン、エディ・アーノルドなどがいる。スタジオ・ミュージシャンのフロイド・クレイマーの「スリップ・ノート」のピアノ奏法はこのスタイルの重要な要素であった。
ナッシュビルのポップ・ソングの構成はより認知され、カントリーポリタンと呼ばれる形に変形した。カントリーポリタンは市場の主流を直に狙い、1960年代後期から1970年代初頭まで売上を伸ばした(ただしこの時代、ブリティッシュ・インヴェイジョンによりアメリカのポピュラー音楽は打撃を受けた)。主なアーティストにはタミー・ワイネット、リン・アンダーソン、チャーリー・リッチや元「ハード・カントリー」のレイ・プライス、マーティ・ロビンズなどがいる。
ナッシュビル・サウンドの台頭にも関わらず、ロレッタ・リン、マール・ハガード、バック・オウエンズ、ポーター・ワゴナー、ソニー・ジェイムズなどトラディショナル・カントリーのアーティストも登場し、活躍した。
カントリー・ソウル-クロスオーバー
1962年、レイ・チャールズがカントリー・アンド・ウエスタン・ミュージックに転向し、シングル『[[::en:I Can't Stop Loving You|I Can't Stop Loving You]] 』、アルバム『[[::en:Modern Sounds in Country and Western Music|Modern Sounds in Country and Western Music]] 』.[48]を出版し、『ビルボード』誌のポップ・チャートで第1位および年間チャートで第3位を獲得してポップ業界を騒がせた[49]。
ベイカーズフィールド・サウンド
カリフォルニア州ロサンゼルスから北北西112マイル (180 km)のベイカーズフィールドを発祥とする、ウエスタン・スウィングの流れを汲むハードコア・ホンキートンクの新たなジャンルが広がってきた。西海岸居住歴のあるボブ・ウィルズ、レフティ・フリッツェルの影響により、1966年までにベイカーズフィールド・サウンドと呼ばれるようになった。この時代のカントリーの他のサブジャンルよりもフェンダー・テレキャスターなどのエレクトリックな楽器やアンプを使用し、シャープでハードで力強く、シンプルで最先端の音であった。このスタイルのミュージシャンにはバック・オウエンズ、マール・ハガード、トミー・コリンズ、ゲイリー・アラン、ウィン・スチュワートなどがいたが、それぞれが違ったスタイルであった[50][51]
カントリー・ロック
1960年代後期、カントリーが様々なジャンルに分化した結果、ユニークなブレンドが生まれた。ブリティッシュ・インヴェイジョンの後、古い体系のロックに回帰するようになった。同時にナッシュビルで生産されるカントリーへの熱狂が減少してきた。このクロスオーバーしたジャンルがカントリーロックとして知られるようになった。
1960年代および1970年代に流行したこの新しいスタイルの初期の導入者にはカントリーへ回帰した第一人者のボブ・ディランなどがおり、1967年にアルバム『ジョン・ウェズリー・ハーディング』を出版し[52]、次の『ナッシュヴィル・スカイライン』はよりカントリー色が濃い。続いてジーン・クラーク、クラークが以前所属していたバーズ(グラム・パーソンズの『[[::en:Sweetheart of the Rodeo|Sweetheart of the Rodeo]] 』を含む)、そのスピンオフのフライング・ブリトー・ブラザーズ(グラム・パーソンズが所属)、ギター奏者のクラレンス・ホワイト、マイク・ネスミス(モンキーズ、ファースト・ネイション・バンド)、グレイトフル・デッド、ニール・ヤング、コマンダー・コディ、オールマン・ブラザーズ・バンド、マーシャル・タッカー・バンド、ポコ、バッファロー・スプリングフィールド、イーグルスなどがいる。ローリング・ストーンズも『ホンキー・トンク・ウィメン』、『[[::en:Dead Flowers (The Rolling Stones song)|Dead Flowers]] 』でカントリー・ロックに参入した。
オールミュージックに「カントリー・ロックの父」と称された[53]グラム・パーソンズの1970年代初頭の作品はその新鮮さと伝統的カントリー・ミュージックへの敬意で称賛された[54]。1973年に突然亡くなった彼の遺志は友人でデュエット・パートナーでもあったエミルー・ハリスに引き継がれた。1975年にハリスはカントリー、ロックンロール、フォーク、ブルース、ポップを融合してソロ・デビューした。
カントリーとロックという対局する2つのジャンルが融合し、その結果サザン・ロック、ハートランド・ロックが生まれ、その後オルタナティブ・カントリーが生まれた。
その後数十年の間にジュース・ニュートン、アラバマ、ハンク・ウイリアムズ・ジュニア(およびその子ハンク・ウイリアムズ・サード)、ゲイリー・アラン、シャナイア・トゥエイン、ブルックス&ダン、フェイス・ヒル、ガース・ブルックス、ドワイト・ヨアカム、スティーヴ・アール、ドリー・パートン、ロザンヌ・キャッシュ、リンダ・ロンシュタットなどがカントリーからロック寄りの影響を受けている。
ウエスタン・ミュージックとカウボーイ・バラードの下降
1960年代後期までにウエスタン・ミュージック、特にカウボーイ・バラードの人気は下降していった。人気のあったウエスタンのスターに成功させないため「カントリー・アンド・ウエスタン」のジャンルはマーケティング代理店により格を落とされた[要出典]。ロックンロールの売上が優勢で、ハリウッドのレコーディング・スタジオはウエスタンのアーティストを手掛けなくなった[要出典]。カントリー・ミュージック関連会社は「カウボーイ」アーティストや近年のベイカーズフィールド・サウンドで優勢なナッシュビル・サウンド、カントリー・ロック、ロカビリーの本拠地であるナッシュビルへ移行した[要出典]。ベイカーズフィールド・サウンドはバック・オウエンズ、マール・ハガードの他数少ないバンドだけに限られた[要出典]。このプロセスにおいて、カントリー・アンド・ウエスタンのジャンルはサウスウエスタン、ランチェラ、テハノの影響をなくしていった。しかし1970年代、テキサス州やオクラホマ州からカウボーイ・バラードとホンキートンクは復活して再解釈され「アウトロウ・カントリー」として人気が上がった[要出典]。
1970-80年代、第4世代
1950~60年代の急激な変化で巻き起こったブームの終焉により、1970年代に入るとカントリーは田舎の保守的な音楽と見られる傾向にあった。しかしイーグルス(Eagles)やCCR、ジョン・デンバー(John Denver)、マーシャル・タッカー・バンド、ケニー・ロジャース、クリスタル・ゲイル、スターランド・ヴォーカル・バンド、ハリー・チェイピン、ビリー・スワン、クリス・クリストファーソン、ベラミー・ブラザーズなど、カントリーの流れを受け継ぐロック系やフォーク系のアーティストたちが活躍したことにより、人気を保ち続けることができた。
1980年代に入ると共和党政権の復活もあり、カントリー人気が再燃し始め、1990年代から現在に至るまでアメリカ白人の間で人気のある音楽ジャンルに位置づけられている。その後、ネオ・トラディショナル・カントリーと呼ばれるカントリーのジャンルも誕生した。ジョージ・ストレイト、リーバ・マッキンタイア、ランディ・トラヴィス、ドワイト・ヨーカムら が、このジャンルの代表的なシンガーである。
アウトロウ・カントリー
レイ・プライス(彼のバンドであるチェロキー・カウボーイズにはウィリー・ネルソン、ロジャー・ミラーが所属)を代表とする1950年代後期から1960年代の伝統的なウエスタンとホンキートンクに由来し、サブカルチャーを無視するアメリカに対する怒りをミックスしたカントリー・ミュージックの革命的なジャンルをアウトロウ・カントリーと呼ぶようになった。
ウィリー・ネルソンは「1970年代初頭に私がナッシュビルを離れた後、私はテキサス州かオクラホマ州辺りに住んで、演奏したい曲を落ち着いて演奏したかった。ウエイロンと私は大学の頃からアウトロウのイメージがあり、レコード販売を始めて私たちはそれでよかった。アウトロウであること全ては音楽と関係なく、時々記事に書かれるように若者たちは「クール」だと言う。そして聴き始める」と語った[55]。
アウトロウ・カントリーでは当初ハンク・ウイリアムズ・ジュニア、ウィリー・ネルソン、ウェイロン・ジェニングス、デイヴィッド・アラン・コー、[[::en:Whitey Morgan and the 78's|Whitey Morgan and the 78's]] 、ジョン・プライン、ビリー・ジョー・シェイヴァー、ゲイリー・スチュワート、タウンズ・ヴァン・ザント、クリス・クリストファーソン、マイケル・マーティン・マーフィが活躍し、のちにジョニー・キャッシュもこれに加わった。女性歌手は少なく、ジェシ・コルター、サミ・スミスなどがいた。彼らの曲は1976年のアルバム『[[::en:Wanted! The Outlaws|Wanted! The Outlaws]] 』に収録された。またこのサブジャンルにレッド・ダートがある。
カントリー・ポップ
1970年代にカントリーポリタン、フォーク、ソフトロックをルーツとするカントリー・ポップまたはソフト・ポップというサブジャンルが登場した。当初トップ40ラジオに登場するカントリー・ミュージックの曲やアーティストに関して言及していたが、のちによりアダルト・コンテンポラリー・ミュージックとのクロスオーバーに近づいた。グレン・キャンベル、ボビー・ジェントリー、ジョン・デンバー、オリビア・ニュートン=ジョン、アン・マレー、マリー・オズモンド、B・J・トーマス、ベラミー・ブラザーズ、リンダ・ロンシュタットなどのポップ歌手がカントリー・チャートでヒットするようになった。
1972年から1975年の間、歌手でギター奏者のジョン・デンヴァーがカントリーとフォーク・ロックのブレンドで『[[::en:Rocky Mountain High|Rocky Mountain High]] 』、『[[::en:Sunshine on My Shoulders|Sunshine on My Shoulders]] 』、『[[::en:Annie's Song|Annie's Song]] 』、『[[::en:Thank God I'm a Country Boy|Thank God I'm a Country Boy]] 』、『[[::en:I'm Sorry (John Denver song)|I'm Sorry]] 』など数々の大ヒット曲を生産し、1975年、CMAアワードの最高賞であるエンターテイナー・オブ・ザ・イヤーを受賞した。前年、オーストラリアのポップ歌手であるオリヴィア・ニュートン・ジョンがCMAアワードの女性ヴォーカリスト賞を受賞していた。ジョージ・ジョーンズ、タミー・ワイネットなどのナッシュビルの伝統的カントリー・アーティストはこの新しいトレンドに不満であり、1974年にカントリー・エンターテイナー協会を組織したが短命に終わった。
1960年代後期からカントリーで高い成功をおさめていたドリー・パートンが、1970年代中期にポップ・ミュージックへのクロスオーバーを大々的に行ない、1977年に『[[::en:Here You Come Again (song)|Here You Come Again]] 』がカントリー・チャートで第1位、ポップ・チャートで第3位に達した。デュエット・パートナーのケニー・ロジャースは逆にポップ、ロック、フォーク・ミュージックで成功した後にカントリー・チャートへのランクインを目指し、同年『[[::en:Lucille (Kenny Rogers song)|Lucille]] 』がカントリー・チャートで第1位、ポップ・チャートで第5位に達した。1980年代に入ってからもパートンとロジャースは共にカントリーとポップで成功し続けた。クリスタル・ゲイル、ロニー・ミルサップ、バーバラ・マンドレルなどもポップ・チャートでの成功を目指した。
1975年、作家のポール・ヘンフィルは『Saturday Evening Post 』で「カントリー・ミュージックはもはや本物のカントリーではなく、アメリカの人気のある音楽全ての融合と言っても過言ではない」と語った[56]。
1980年代初頭、カントリー・アーティストはポップ・チャートでのヒットを目指し続けた。この頃、『ビルボード』誌のシングル・チャートにおいて、ウィリー・ネルソンの『[[::en:Always on My Mind|Always on My Mind]] 』が1992年に第5位、『[[::en:To All the Girls I've Loved Before|To All the Girls I've Loved Before]] 』が1984年に第5位、ジュース・ニュートンの『[[::en:Queen of Hearts (Hank DeVito song)|Queen of Hearts]] 』が1981年に第2位、『[[::en:Angel of the Morning|Angel of the Morning]] 』が1981年に第4位を獲得した。他に1980年晩秋にケニー・ロジャースの『[[::en:Lady (Kenny Rogers song)|Lady]] 』が第1位を獲得し、1981年初頭にドリー・パートンの『[[::en:9 to 5 (Dolly Parton song)|9 to 5]] 』とエディ・ラビットの『[[::en:I Love a Rainy Night|I Love a Rainy Night]] 』がかわるがわる第1位を獲得し、1983年にビージーズの[[::en:Barry, Robin & Maurice Gibb|Barry, Robin & Maurice Gibb]] が作曲したパートンとロジャースのデュエット『[[::en:Islands in the Stream (song)|Islands in the Stream]] 』も第1位を獲得してポップとカントリーのクロスオーバーでヒットした。ニュートンの『Queen of Hearts 』ももうすぐ第1位を獲得するところであったが、ダイアナ・ロスとライオネル・リッチーのポップ・バラード『エンドレス・ラブ』に阻まれた[57]。1980年代後半にはクロスオーバーでヒットした曲は少なくなり、1989年にはロイ・オービソンの『[[::en:You Got It|You Got It]] 』が唯一ポップ・チャートとカントリー・チャートの両方でトップ10にランクインした[58][59]。
レコード売上において、プラチナ認定バンドのアラバマがACMアワードで1980年代のアーティスト・オブ・ザ・ディケイドを受賞した。
ネオカントリー
1980年、映画『アーバン・カウボーイ』でチャーリー・ダニエルズ・バンドの『[[::en:The Devil Went Down to Georgia|The Devil Went Down to Georgia]] 』などのより伝統的な曲とともに、「ネオカントリー・ディスコ・ミュージック]]のスタイルの人気が上がった[60][61]。関連するサブジャンルにはテキサス・カントリー・ミュージックがある。
1981年にはレコード店の売上が2億5千万ドルにまで跳ね上がり、1984年までにラジオ局900か所がカントリーやネオカントリー・ポップを専門に流すようになった。突然の流行であったが、1984年までには1979年の売上までに下がった[60]。
トラック・ドライビング・カントリー
トラック・ドライビング・カントリー・ミュージックはカントリー・ミュージックのジャンルの1つであり[62]、ホンキートンク、カントリー・ロック、ベイカーズフィールド・サウンドのフュージョンである[63]。カントリー・ロックのテンポとホンキートンクの感情を持ち[63]、歌詞はトラック運転手のライフスタイルに焦点をあてている[64]。トラック・ドライビング・カントリーはしばしばトラックと愛について歌われる[63]。トラック・ドライビング・カントリーで知られるアーティストにはデイヴ・ダドリー、レッド・ソヴァイン、ディック・カーレス、レッド・シンプソン、デル・リーヴズ、ウイリス・ブラザーズ、ジェリー・リード、C・W・マコール(ビル・フライズ)、クレダス・マガード(ジェイ・ハガリー)などがいる[63]。ダドリーはトラック・ドライビング・カントリーの父として知られている[64][65]。
ネオトラディショナル・ムーブメント
1980年代中期、多くの新人アーティストが洗練されたカントリー・ポップではなく、より伝統的な「ベーシックへの回帰」をしてラジオやチャートで人気が出るようになった。1986年、ランディ・トラヴィスがアルバム『[[::en:Storms of Life|Storms of Life]] 』でデビューして400万枚を売り上げ、1987年、『ビルボード』誌の年間カントリー・アルバム・チャートで第1位を獲得した。1980年代後半、多くのアーティストが伝統的ホンキートンク、ブルーグラス、フォーク、ウエスタン・スウィングなどを歌った。ネオトラディショナル・カントリーの特徴的なアーティストにはトラヴィス・トリット、キース・ウィットリー、アラン・ジャクソン、リッキー・スキャグス、パティ・ラヴレス、キャシー・マッティア、ジョージ・ストレイト、ザ・ジャッズなどがいる。
現在のカントリー・ミュージック
人気
ロックなどの影響を強く受け、今や若者を含めた幅広い世代の絶大な支持を得て、アメリカでは最も人気のある音楽ジャンルの一つとなっている。 例としては、花火やワイヤーアクションを使い、まるでハードロックのような派手なコンサート演出を取り入れたガース・ブルックスが、既に全アルバム売上総数1億2,800万枚に達している(ちなみに、アメリカ音楽史上、ガース以外で米国内売り上げ1億枚以上を達成しているのは、エルビス・プレスリーとビートルズ、レッド・ツェッペリンのみである)。 また、カナダ出身の女性シンガーで、ポップスタイルを定着させたシャナイア・トゥエインも、アメリカ世帯の3軒に1軒が彼女のアルバムを所有しているというほどの売り上げを誇っており、彼らはもはや世界的ポップスターのマイケル・ジャクソンやマドンナなどの歴代総売り上げを超えている。 グループでは、女性トリオのディクシー・チックスが既に3,000万枚以上のCDを売り上げ、女性グループとしては史上最多セールスとなっている。
音楽スタイル
最近のカントリーは、いわゆるロックやポップスの影響を大きく強く受けているが、中にはヒップホップ調、ファンク調やドゥーワップ調などのスタイルの曲があったり、NASCARレースのファンやハーレーダビッドソンにまたがるバイカー達に人気の ブルース・ロックやサザン・ロック風の曲も多い。 また、多くの他ジャンルのミュージシャン(例:ボン・ジョヴィやキッド・ロック、ネリー、ジェシカ・シンプソンなど)とのジャンルの垣根を越えたフィーチャリングも盛んに行われており、曲中にラップを多用するカントリー・ラップ(Country-rap)に、ヒップホップとロックとテハーノ音楽の要素を融合させ、Hick-Hop(hickとは「田舎」を意味する。)と称する 独自のジャンルを確立したテキサス出身の黒人ラッパーであるカウボーイ・トロイ(Cowboy Troy)も、れっきとしたカントリー・アーティストに位置付けられている。
現在は、この様なカントリーのポップ化が進んでおり、「カントリーの産業化」と揶揄されることもあるが、“正統派”と言われるものや、昔から安酒場で歌われ続けている様な往年のホンキートンクスタイル、テキサス州などを中心とした地域色の強いスタイル、ブルーグラスやフォークソングなどもいまだ健在で、また十分な人気を保っており、そちらの方向へ回帰する者もいれば、その中間をうまく渡り歩くミュージシャンも多い。
日本の現状
日本国内では、カントリーという音楽ジャンルとしての規模が非常に小さいが、カントリーに影響を受けた他ジャンルのミュージシャンは多く、またプロのカントリーミュージシャンも少なからず存在する。 毎年 秋に熊本県阿蘇の巨大野外ステージで開かれる『カントリーゴールド(COUNTRY GOLD)』というイベントをプロデュースし、自身も出演する チャーリー永谷はその草分け的な存在。 しかしながら、そんな日本人カントリーミュージシャンたちの多くは、戦後間もない時期に進駐軍やFEN(米軍極東放送)などを通してカントリーに触れ、ロカビリーブーム到来と共にバンドを組み、朝鮮戦争やベトナム戦争当時、アジア各地の米軍キャンプやその周辺のクラブで演奏していた世代、もしくは多少若くても40代から団塊の世代にかけてがほとんどのため、アメリカの最新流行とは多少のズレが生じている。(カントリーへの造詣が深いことで有名なフォークシンガー なぎら健壱はその普及にも熱心だが、彼にも同様のことが言える)
ただ、カントリー自体の認知度が低かったり、一、二世代前のイメージが残る日本でも、映画「パール・ハーバー」や フジテレビ系列で放送されたテレビドラマ「薔薇の十字架」の主題歌を歌ったフェイス・ヒル、映画「コヨーテ・アグリー」の挿入歌やアテレコを担当し、自身も本人役でカメオ出演したリアン・ライムス、ポップ・カントリーで旋風を巻き起こしたシャナイア・トゥエインなどのアルバムはそれぞれヒットとなった。最近も、ディズニーのアニメーション映画「カーズ」にサントラに参加したラスカル フラッツ(Rascal Flatts)や、FOXテレビの人気アイドルオーディション 番組『アメリカン・アイドル』で優勝し デビューを果たした キャリー・アンダーウッドや、ケリー・ピックラー(Kellie Pickler)、10代を中心に若者からの人気が高く、立て続けにヒット曲を生み出しているテイラー・スウィフトなどもかなりの人気を得ている。 しかしこれらは日本ではマーケティング戦略上、ポップ音楽や映画のサントラに位置付けられている場合が多く、決してカントリー自体の知名度やジャンルの規模が拡大しているとは言えない。
メディア
テレビ
現在、アメリカにおいてカントリーミュージックの最もメジャーな情報発信源となっているのは、巨大メディア複合企業、バイアコム(Viacom)傘下のカントリー・ミュージック・テレビジョン(CMT)というケーブルTVチャンネル。まさに“カントリー版MTV”といった感じの構成で人気を博している。 CMTのウェブサイトでは、各ミュージシャンのミュージック・ビデオ等、ストリーミング配信を無料で視聴することも可能。
また、このCMT以外にもGACやVH1 Countryなど、カントリー専門のケーブルテレビ局は複数ある。
ラジオ
自動車社会、アメリカではカーラジオの聴取率が高く、カントリー専門のラジオ局も各地に多数(地上波だけで2000局以上)あり、オンラインでも聴取可能な局や、オンライン専門局も多数存在する。
- KKGO 105 : GO COUNTRY 105(公式ホームページ(英語)- ロサンゼルス地域で全米一位の聴取率を誇っていたローカル局の93.9 KZLAがアダルト・コンテンポラリーへフォーマットを変更したことによって生じたこのエリアにおける半年間の“カントリーの空白”を埋める形で2007年2月26日からカントリー・フォーマットをスタートさせたロサンゼルスのFM局。
- KPLX 99.5 :99.5 the Wolf(公式ホームページ(英語)) - テキサス州ダラス/フォートワース都市圏を聴取エリアとするカントリー専門FM局の中で最も人気のある局。地元密着型。 現在、カントリーフォーマットの局としては、この局が全米聴取率一位の座にある。
- WSM 650 :650 WSM(公式ホームページ(英語)) - カントリーの聖地、テネシー州ナッシュビルにあるローカルAM局。1925年からグランド・オール・オープリーを放送している。 (テレビ配信はGAC)
雑誌
- COUNTRY WEEKLY(英語): 多数ある専門誌の中でも、書店以外に、スーパー、コンビニ、売店などで、普通のゴシップ週刊誌と一緒に売られているほどの人気を誇る週刊誌。
- MOON SHINER(日本語):1983年以来発行されている月刊ブルーグラス音楽専門誌。カントリーやフォークを含め、アメリカン・ルーツ音楽に関する日本唯一の専門月刊雑誌。
アーティスト
往年の代表的なアーティスト (1930年代~70年代)
- チャーリー・プライド
- ロイ・ロジャース(Roy Rogers)
- マール・ハガード(Merle Haggard)
- ケニー・ロジャース
- ロレッタ・リン
- ジョン・デンバー
- コンウェイ・トウィッティ
- ドン・ギブソン
- エディ・アーノルド
- レイ・スティーブンス
- マーティー・ロビンス
- アール・トーマス・コンリー
- ドナ・ファーゴ
- ジェニー・C・ライリー
- チェット・アトキンス
現在の代表的なアーティスト (1980年代前半~現在)
男性アーティスト&男性ボーカルグループ
- ジョージ・ストレイト(Kenny Rogers)
- ガース・ブルックス
- ブルックス&ダン(Brooks & Dunn)
- アラバマ(Alabama)
- ビリー・ギルマン(Billy Gilman)
- クリス・ヤング(歌手)
- キース・アーバン
- ジェイソン・アルディーン(Jason Aldean)
- ビリー・レイ・サイラス(Billy Ray Cyrus)
- ケニー・チェズニー(Kenny Chesney)
- ティム・マッグロウ(Tim McGraw)
- モンゴメリー・ジェントリー(Montgomery Gentry)
- ダイアモンド・リオ
- ゲーリー・アラン(Gary Allan)
- ブレーク・シェルトン(Blake Shelton)
- ジョシュ・ターナー(Josh Turner)
- ザック・ブラウン・バンド(Zac Brown Band)
- イーライ・ヤング・バンド(Eli Young Band)
- アラン・ジャクソン(Alan Jackson)
- リッキー・スキャッグス
- ブラッド・ペイズリー(Brad Paisley)
- ビッグ&リッチ(Big & Rich)
- カウボーイ・トロイ(Cowboy Troy)
- ラスカル・フラッツ
- ジョー・ニコルス(Joe Nicols)
- ランディ・トラヴィス
- トラヴィス・トリット(Travis Tritt)
- ローンスター(Lonestar)
- ジェイソン・ロジャース
- クリント・ブラック(Clint Black)
- トレース・アドキンス(Trace Adkins)
- ジョン・マイケル・モンゴメリー(John Michael Montgomery)
- リッキー・ヴァン・シェルトン
- ドワイト・ヨーカム
- ロドニー・アトキンス(Rodney Atkins)
- ダリアス・ラッカー(Darius Rucker)
- オークリッジ・ボーイズ
- ロニー・ミルサップ
- イーストン・コービン
- フロリダ・ジョージア・ライン(Florida Georgia Line)
女性アーティスト&女性ボーカルグループ
- リーバ・マッキンタイア
- グレッチェン・ウィルソン(Gretchen Wilson)
- シェリー・オースティン(Sherrie Austin)
- ジェシカ・アンドリュース(Jessica Andrews)
- トリーシャ・イヤウッド(Trisha Yearwood)
- トリック・ポニー(Trick Pony)
- シェリー・ライト(Chely Wright)
- リアン・ライムス
- マルティナ・マクブライド(Martina McBride)
- シャナイア・トゥエイン
- フェイス・ヒル
- メアリー・チェーピン・カーペンター(Mary Chapin Carpenter)
- ライラ・マッキャン(Lila McCann)
- ジェーミー・オニール(Jamie O'Neal)
- シュガーランド(Sugarland)
- ケリー・ピックラー(Kellie Pickler)
- キャリー・アンダーウッド
- アリソン・クラウス(Alison Krauss)
- ジョーディー・メッシーナ(Jo Dee Messina)
- ディキシー・チックス
- パティー・ラヴレス(Patty Loveless)
- シー・デイジー
- ミンディ・マクリーディー(Mindy McCready)
- ディーナ・カーター(Deana Carter)
- ケリー・コーフィー(Kellie Coffey)
- サラ・エヴァンス(Sara Evans)
- テリー・クラーク(Terri Clark)
- ミランダ・ランバート(Miranda Lambert)
- キャロライン・ドーン・ジョンソン(Carolyn Dawn Johnson)
- レッカーズ(Wreckers)
- ローリー・モーガン
- テイラー・スウィフト
関連項目
- グランド・オール・オプリ
- ブルーグラス
- ヨーデル
- カウボーイ・ソング(Cowboy songs)
- ロックンロール
- ロカビリー
- ブルース
- ゴスペル
- カントリーロック
- サザン・ロック
- カントリー・ブルース(Country blues)
- クラシック・カントリー(Classic country)
- テキサス・カントリー(Texas country)
- ナッシュビル・サウンド(Nashville sound)
- ベーカーズフィールド・サウンド(Bakersfield sound)
- ウェスタン・スウィング(Western swing)
- ホンキートンク
- アウトロー・カントリー(Outlaw country)
- オルタナティブ・カントリー(Alternative country)
- ケイジャン / ザディコ
- テクスメクス / テハーノ
- ラグタイム / マーチ / デルタ・ブルース
- リズム・アンド・ブルース / ソウル
- ワーシップ(Worship) / コンテンポラリー・クリスチャン(Contemporary Christian)
脚注
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