孝寧大君
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孝寧大君 | |
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孝寧大君遺影 | |
各種表記 | |
ハングル: |
칭호:효령대군 호:연강 자:선숙 |
漢字: |
称号:孝寧大君 号:蓮江 字:善叔 |
発音: |
シンホ:ヒョリョンテグン ホ:ハンガン チャ:ジョンヒョ |
日本語読み: |
しょうごう:こうねいたいくん ごう:れんこう あざな:ぜんじょ |
各種表記(本名) | |
ハングル: | 이보 |
漢字: | 李補 |
発音: | イ・ホ |
日本語読み: | り・ほ |
孝寧大君(ヒョリョンテグン、효령대군、1396年9月16日-1486年5月11日)は李氏朝鮮前期の王族。政治家。字は「善叔」、号は「蓮江」、諡号は「靖孝」。父太宗の次男であり、母元敬王后の子である。世宗の次兄にあたり、91年間生きた。 また崇儒抑仏政策に反対し、仏教を保護し、王室の元老として政治に参加した。任士洪は孫娘婿で、李梁は五代孫にあたり、また六代孫には仁順王后、沈義謙、沈忠謙などがいる。
生涯
1396年9月16日元敬王后(驪興閔氏)の次男に生まれ、12歳で鄭易の娘である蘂城府夫人(海州鄭氏)を迎えた。17歳で孝寧大君に封じられた。幼い頃より文学に励み、30歳頃には書道の名人とも言われるほどであった。弓術に長け、太宗も寵愛を受けていた。彼は早くから子をもうけ、蘂城府夫人との間に六男二女、妾との間に一男一女もうけた。また次第に仏教に興味を抱き、研究したりした。円覚経、般若心経、法華経、楞厳経、禪宗永嘉集を翻訳したりした。儒佛心法同一原を唱え、1464年には円覚寺の建立なども行った。死後はソウル特別市瑞草区方背洞清権祠に祀られている。