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ハブセンター・ステアリング

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

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Vyrus 985 C3のハブセンター・ステアリング

ハブセンター・ステアリング(Hub Center Steering/HCS)とは、オートバイサスペンションステアリング機構の一つである。

ハブセンター・ステアリングはメーカーや技術者により幾つかの形式が存在するが、基本的には通常のオートバイで用いられるフロントフォークを持たず、エンジンの下部または側面に設けられたスイングアーム状のサスペンションアームが前輪のハブを支持している事が特徴である。メーカーや技術者によってはセンターハブ・ステアリング(Center Hub Steering)やバーチャル・ステアリング(Virtual Steering)と呼ばれる事もある。

概要

ビモータ・テージのハブセンター・ステアリング3Dモデル

通常のオートバイで用いられるテレスコピック式フロントフォークはブレーキを掛けた際のブレーキングフォースで大きく沈み込み、その間は路面の凹凸を処理するサスペンションとしての機能が低下してしまう。また、このような状況下ではサスペンションのジオメトリーが大きく変化している為にステアリング特性自体も大きく変化してしまう。フォークが縮む事で前輪とステアリングの距離が縮まる為にハンドルバーの舵角に対して前輪は急激に切れ込む事になり、コーナーへの進入時にブレーキングを同時に行う事には転倒などの大きなリスクを伴う事となる。更には再加速時にはフォークは大きく伸びきる為にステアリング特性はルーズな方向へと変化し、ライダーに複雑な状況判断を強いる事にもなる。

オートバイのサスペンションにおいてはこのような動きの事をノーズダイブと呼び、かつてはアンチノーズダイブセミエア式フロントフォークと呼ばれる機構をフォークに設けたり、今日ではフォークのオイル容量を増やす事やフォーク自体を逆さに倒し、重たいアウターチューブ側をハンドルバー側に配置してばね下重量を軽減する倒立フォークを採用するなどしてノーズダイブを出来るだけ抑え込む設計を行っている。しかし、テレスコピック式フォークを用いる以上はノーズダイブの発生を完全に抑止する事は不可能である。

また、フロントフォークを用いたサスペンションはただステアリングを切るだけでも路面に対する左右のフォークの有効長が微妙に変化する為、サスペンションとしての動作が左右のフォークで微妙にずれる要因ともなる。フロントフォークはただ上下運動するのみではなく加減速により横方向に強い応力が掛かる為に、頑丈な構造でなければステアリングの剛性感が保てなくなる欠点も存在する。そしてそれを解決する為にフォークの剛性を増す設計は究極的にはばね下重量の増加と車体重量の増加を招く事にも繋がってしまう。

ハブセンター・ステアリングはこのようなテレスコピック式フロントフォークの欠点を抜本的に解決する為に考案された機構であり、リアサスペンションのスイングアームに似たサスペンションアームで前輪を支持し、機械的なリンケージによって前輪の左右操舵を行わせる事でブレーキングによるステアリング特性への悪影響を排除する事が可能となる。フロントフォークと異なりハンドルバーと前輪が直接連結されていない事が、バーチャル・ステアリングという別名を持つ所以でもある。

ハブセンター・ステアリングにおいては、ブレーキングフォースによる前輪の沈み込みはサスペンションアームに設けられたダンパーによって適宜吸収され、フロントフォーク程車体が前部に沈み込む事態は発生しない。その為ブレーキング中でもステアリング特性は余り変化せず、コーナリングの減速から再加速に至る一連の動きの中でも安定したステアリングが可能となる。

しかし、ハブセンター・ステアリングは前輪の上下動の全域に渡って安定したステアリング特性を持つ反面、フロントフォークのようにノーズダイブを逆手に取った急激で鋭敏なハンドリングを行う事は不可能という事でもある。この事は極めて高度なライディングテクニックを持つライダーにとっては却って短所となる可能性がある。

また、ハブセンター・ステアリングは、フロントフォークと異なりハンドルバーと前輪が直接連結されていないが故に、ハンドルバーの操作に対して前輪がリニアに反応しないという感覚をライダーに抱かせる可能性もある。これはハンドルバーと前輪間のリンケージの構造に大きく左右される要素であり、過去にハブセンター・ステアリングを手がけたメーカーや技術者はこの課題を克服する為に、様々な形式のリンケージ機構を考案してきたが、ハブセンター・ステアリング固有の問題の抜本的な解決には未だ至っていない。

このように、ハブセンター・ステアリングはフロントフォークの欠点を抜本的に克服した反面、フロントフォークの持つ長所も同時に失ってしまった為に、革新的な機構でありながらも今日のオートバイには殆ど普及しておらず、決して成功している機構とは言い難い。フロントフォークに比較して複雑な機構で、幾つかの技術は特許で固められてしまっている為に、ハブセンター・ステアリング搭載車は総じて高価であり、この事も普及を妨げる一因となっている。

また、ハブセンター・ステアリングの出現はオートバイのフロントサスペンションに進化ではなく革命をもたらした事が、販売・普及面で却って足枷となってしまったと見られる事も多い。何故ならば、市場のライダー達は自ら運転免許を取得してハブセンター・ステアリング搭載車を操縦するようになる前から、過去から今日まで殆どのオートバイに装備されてきたフロントフォークのステアリングの挙動に慣れきっている為、ハブセンター・ステアリングのある意味においては「理想的な」挙動に対して違和感を覚えてしまい、その良さが「クセの強さ」と認識されてしまいがちになるのである。

また、今日ではフロントフォーク側も過去のものと比較して大きく進歩・進化し、インナーチューブへの特殊コーティングによる上下動の抵抗減少や倒立フォークの採用によるフォーク剛性の増加やばね下重量低下などで、かつてほどノーズダイブは発生せず、高速コーナリング時でも安定したステアリング特性を発揮するようになってきている。

その為、今日においてはハブセンター・ステアリングを採用する車種は極めて限定されており、このことは自動車における4WSに過去に見られたのと同様に、技術的に優れているものが必ずしも普及には直結しないという、技術面とマーケティング面の不一致を明示する事例として記憶されるようになった。

歴史

ハブセンター・ステアリングの概念自体の出現は非常に古く、1920年代のアメリカen:Ner-a-Carにおいて既に実現されていた。1970年代にはイギリスのJack DifazioのDifazio Motorcyclesによってアフターマーケットパーツとしてのハブセンター・ステアリングキットが流通していた。

同時期にはイギリスのMichael Tomkinson率いるオートバイレースチーム「Mead & Tomkinson」の手により、ハブセンター・ステアリングに改造されたオートバイがボルドール24時間耐久レースの舞台に登場した。彼らが最初に製作したマシンは「ネッシー Mk.I」と名付けられ、エンジンはen:Laverda社製1000cc並列3気筒が用いられた[1]。後には川崎重工業製エンジンを搭載した「ネッシーMk.II」も製作された。

Tomkinsonの取り組みは当時の欧州のオートバイ関係者に衝撃を与え、1980年代のen:Elf_Aquitaineによるロードレース世界選手権へのハブセンター・ステアリングの投入に繋がっていく。特に1986年から88年に掛けてのロン・ハスラムによるライディングは今日でも語り草となっており、副次的な効果として日本のサブカルチャー業界にも少なからぬ影響を与えた。

この時代まではハブセンター・ステアリングはモータースポーツなどの一部の世界の機構に留まっていた感があったが。1990年代に入ると状況が変化する。イタリアビモータがハブセンター・ステアリングを搭載したビモータ・テージ1Dを一般市販したのである。ビモータ・テージ自体はマッシモ・タンブリーニがビモータを去った後に設計したドゥカティ・916をベースに、フェデリコ・マルティーニが1983年に設計したものであったが、ビモータ社内の混乱や経営危機などにより、長らくコンセプトマシンの地位に留め置かれていた。しかし、1989年にピエルルイジ・マルコーニがビモータのチーフエンジニアとなるとテージの市販計画がようやく実現する事になった。このような紆余曲折の元でビモータ・テージ1Dはついに市販に漕ぎ着けた。しかし、余りにも高価な車体価格が祟り、テージ1Dは1994年で生産終了となってしまう。

1993年にはヤマハ発動機James Parkerの設計したRADDフロントサスペンションのデザインを元に、ヤマハ・GTS1000/Aを発売する。GTS1000はマン島TTレースにも投入されたが、その余りにも重すぎる車重が災いしてさほど活躍する事は出来なかった。車体価格も非常に高価であったが、1999年まで6年余りの期間製造された。

1995年にはMichael Tryphonosの手によりDifazio systemと呼ばれるハブセンター・ステアリングがマン島TTレースに投入され、シニアクラスで11位に入る健闘を見せた。

フィートフォワードと呼ばれるオートバイの世界では、Royce Creaseyが積極的にハブセンター・ステアリングの車両を設計していた。

現在の採用車種

現在では一部のカスタムビルダーやオートバイチューナーが独自のハブセンター・ステアリングキットを販売する事例の他では、市販ハブセンター・ステアリング車両の元祖たるビモータがビモータ・テージ3DVyrus 984C/985C等の少数の市販車両を販売する程度に留まっている。ビモータ以外では、スクーターにおいてイタルジェットイタルジェット・ドラッグスターにハブセンター・ステアリングを採用している。サイドカーの世界でもen:GG Duettoがハブセンター・ステアリングを採用している。

関連項目

外部リンク

脚注

  1. ^ [1]