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讃岐うどん

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ファイル:Kannonnji udon.jpg
かけうどんといなり寿司(観音寺市)

讃岐うどん(さぬきうどん)は、香川県(旧讃岐国)特産のうどんである。

概要

伝来時期などは明らかでないが、元禄時代(江戸前期)の屏風絵にうどん屋を認めることができる[1]。古くから小麦[2][3]、イリコ(煮干しカタクチイワシ[4]醤油[4]といった讃岐うどんの原料が、この地域で容易に入手でき、かつ特産品でもあった。なお、「讃岐うどん」という特別な呼称ができたのはそれほど古くはなく、他県から香川県のうどんが名物と認知されだした1960年代頃と考えられている[5]。商品として製麺する讃岐うどんについては後述のような定義もあるが、香川県内のうどん店や家庭などで作られるうどんは一般にどれも讃岐うどんとされる[6]

香川県内においてうどんは特に好まれて県民の生活の中で特異な位置を占めており、一人当たりの年間うどん消費量230玉は日本で1位となっている[7]。日本国内でのうどん総生産量を比較すると、2006年の時点で香川県は60,660トンであり、2位の埼玉県の19,827トンを大きく上回っている。また、ゆでうどん・生うどん・乾燥うどんの3種類すべてで生産量が1位となっている[8]。香川県民の多くは県外に出てもうどんへの拘りを隠さず、香川に帰ってうどんを食べることで帰郷を実感するほどである[9]。また、香川県のうどん店の客層は幅広い年齢にわたって分布しているのも特徴である[10]

香川県では県全域にうどん店が分布し、生活に密着した食物・食習慣となっており[11]、「讃岐うどん通り」などと称されるような店鋪の特定集中区域はない。讃岐・香川に限らず、小麦粉の切り麺としてうどんは日本各地で発達したが、全国的にも讃岐うどんはブランドとして広く認知されており、各地のうどんを紹介する際に「第二の讃岐うどん」などの表現を用いることも多い[12][13]。香川県外では普通の店屋物のうどんでも讃岐・讃岐風を標榜するなど、讃岐うどんは人口に膾炙するようになっていった。なお香川では大晦日年越し蕎麦よりも年越しうどんを食べる場合の方が多い。主に製麺所系のうどん店はこの日に限り玉売りしか行なわれない。

定義

生めん類の表示に関する公正競争規約及び公正競争規約施行規則[14]において、「さぬきうどん」は以下の通り定められている。(1971年10月1日施行、1977年1月25日改正)

  • 香川県内で製造されたもの
  • 手打、手打式(風)のもの
  • 加水量 - 小麦粉重量に対し40%以上
  • 食塩 - 小麦粉重量に対し3%以上
  • 熟成時間 - 2時間以上
  • ゆでる場合 - ゆで時間約15分間で十分アルファ化されていること

ただしこの条件は、讃岐うどんとして「名物」や「本場」、「特産」などを名乗る場合にのみ適用される[15]。このため、「讃岐うどん」という呼称は、香川県外ではしばしば具なしのうどん(香川で「かけ」「かやく」「すうどん」などと呼ばれているもの)の名称として、またはほかのうどんメニューと区別するための記号として用いられることがある。

歴史

近世以前

うどんは弘法大師から伝えたという言い伝えが遍路でお大師様(弘法大師)に親しむ香川県ではよく語られ、このエピソードは讃岐うどんに関するWEBページや県内のうどん屋の内装、広告などに頻繁に現れるが、明確な根拠はない[16]。なお、唐から伝えられたのは小麦粉の生地になどを包んだ「こんとん」と呼ばれる唐菓子[17]、現在のうどんは素麺の元祖である「索餅」と、ほうとうの元祖である「餺飥(はくたく)」の技法をベースに形成されたと考えられている[18]

現存する香川・讃岐におけるうどんの記録で最も古いものはうどん屋の営業に関する記述で、江戸時代前期に初めて現れた。これは江戸大坂にうどん屋が出現し始めた頃に当たる[1]寛永19年(1647年)の飢饉の際には江戸幕府によってうどんや素麺禁令が全国に出されるなど、江戸時代にうどんは贅沢品とみなされていた。しかし、讃岐国の琴平金光院朱印地であるため高い自治権を有しており幕府の制約を受けにくく、また京都・江戸などと交流の深かったため、これらの都市から製法が伝わってきたとみられる[19]。このような事情に加え、少雨で日照時間が長い事から小麦の栽培に適しており、坂出などの塩田での製塩や小豆島引田などでの醤油製造も発達していた事などから原料の確保が容易であり、元禄年間ごろから琴平周辺ではうどん作りが盛んになった。これは全国的に見て早い時期に属する[19]。当時のうどんは、他の地域と同様に茶店などで菓子と一緒に嗜好品として供されていた[19]

江戸時代後期には金刀比羅宮への参拝客を相手にした旅籠が増え、その1階がうどん屋となる例が多かった。店頭に茹で釜が置かれ、砥部焼の鉢にうどんを盛り、ショウガネギとだし(麺つゆ)を入れた猪口につけて食べる形式が一般的となった[20]。なお、これは現代でいう湯だめという食べ方にあたる。また参拝客が船で到着する丸亀多度津にもうどん屋が作られ、弘化4年(1847年)の名所図会などに記録が残っている。農民にとっては引き続きうどんは贅沢品とされ、田植え法事の際に振舞われる特別な存在だった[21]

近代

明治時代には夜なきうどんの行商人が高松市内に増え、1887年頃には天秤棒の両端に縦長の箱を下げ、頂部に石油ランプをともしてを鳴らしながら売り歩いていた。箱の下部にはどんぶりや湯沸かしを入れ、総重量は60-70kgだったといわれる[20]20世紀に入るとこれらの業者は全て車輪付き屋台を用いるようになり、その両脇に飾り格子をはめて行燈を吊るしていた。うどんは玉の上から花がつおとだしをかけたぶっかけで、炭火で茹でるため人気があったという[20]。なお、夜なきの行商人はは生麺の卸売業者(玉卸し屋)と契約して道具を借り、営業を行なっていた。当時は5軒の玉卸し屋があったが、大正時代にはのれん分けの関係をもとに3系統に分かれ、終戦までこれが続いていた[22]昭和初期には飾りガラスなどを凝らした屋台が並び、夜の高松の風物詩と呼ばれた[23]

また、農村部では明治時代に水車の動力を利用した製粉業が盛んになり、その粉を仕入れる小規模な製麺業者も増加した[24]1930年代に入ると日中戦争などで若者が減ったこともあって機械式の製麺が全国に広がったが、香川県では手打ちの製麺所が残り、配給の小麦が持ち込まれた[25]。この頃からエンジン式の製粉機が普及し始め、20世紀後半には完全に水車に取って代わっている。なお、20世紀前半の香川県では年中行事冠婚葬祭でもうどん料理が食べられ[26]、「うどんが打てぬようでは嫁にも行けない」という言葉まであったという[17]

現代

第二次世界大戦直後の高松市などでは小麦粉が十分に手に入らず、ドングリの粉を代用してうどんが作られた。これらは粘り気が足りないため、ワラビの粉やところてんがつなぎとして加えられた。小麦粉の供給は、1949年ごろから闇市を中心に回復してきた[22]。その後も郷土料理として讃岐うどんは主に家庭で消費され、1960年代には喫茶店中華料理屋なども含め、うどんも出食する小規模な食堂が3,000から3,500店も県内に存在していた[26]。一方で、うどん専門店と呼べるような店は高松市内でもほとんど存在していなかっが、1960年代半ばから香川県独自のセルフサービス方式のうどん専門店が登場した。さらに1970年前後からはメニュー数種を揃えたうどん専門店も増え始め、現在に至る香川県におけるうどん店の状況が形作られていった[27](香川県におけるうどん店の業態に関しては後述する)。これにともなって、うどんを扱う飲食店の総数は逆に1,000店以下にまで減少している[26]

このような中で1963年2月に高松駅構内に立ち食いうどん店が開店した。当時、立ち食いソバ屋は全国の多くの駅にあったがうどんは前例がなく、宇高連絡船などで四国を訪れた人々に強い印象を与えた[28]。間もなく高松駅構内の2号店や宇高連絡船のデッキにも立ち食いうどん店が設置され、テレビなどで「食べる民芸品」として県内で味の評価の高い店が紹介された。また、この頃にポリエチレンなどの包装が始まって保存期間が長くなり、土産品としての需要も増加している[22]。なお、1970年代には手打ち式の讃岐うどんが香川の名物だと認知している人は県外ではまだ多くなく、うどんは旅のついでに偶然食べる存在だった[29]。しかし、一方で1970年大阪万博では讃岐うどんが全国に紹介され、この頃から全国的な知名度が大きく上昇していった[30]。この万博では京樽の運営するレストランのメニューの1つとして讃岐うどんが出食され、手打ちの過程をガラス越しに実演して毎日6,000食を売り切ったという[31]

1980年代末頃より、香川県のタウン情報誌で連載されたうどん店の紹介企画・『恐るべきさぬきうどん』が評判となり、まず県内からうどん屋探訪が盛んになった。このブーム以降は、それまで重視されていた味の要素に加え、個性的な店への訪問自体を楽しむ客が大きく増えたのが特徴とされる[32]。 これを受けて1992年には武田鉄矢テレビ東京の、1993年には吉村明宏日本テレビの、それぞれグルメ番組で地元の人々とうどん屋を巡ったのを皮切りに、毎年のように在京各テレビ局の番組で讃岐うどんやその特徴的な店舗が取り上げられるようになる。一方、地元の山陽放送も穴場うどん番組を1994年から定期的に放映するなど、新たな切り口での讃岐うどんのメディアへの露出が増加し、2000年代に入るとマスコミによる紹介はさらに広範なメディアに拡大していった[33]。このような背景もあり、1990年代後半からは県外でも徐々に讃岐うどん屋巡りを目的に香川へ出向くという観光スタイルが広がっていった[33]。また、1990年ごろには初の冷凍うどんが香川県で開発されている[34]

セルフサービスのうどん店は香川県外ではあまり見られなかったが、2002年にこのセルフ方式のうどん店が首都圏に開店したのを皮切りに、日本各地で同様のセルフうどん店が次々とオープンした。この出店ラッシュは2005年頃まで続いた。このような一連の全国的なマスコミへの露出や観光客の増加、讃岐うどん店の全国への進出は「(第4次)讃岐うどんブーム」とも呼ばれた(後述)。2004年の香川県の調査によれば、県を訪れた観光客の40%以上が観光の動機に「讃岐うどんを食べること」を挙げ、観光の印象として「讃岐うどんがおいしかったこと」が最多の回答となっている[35]。結果として、他県ではご当地ラーメンとして起きたものと類似した、またはそれ以上のブームが香川県ではうどんで発生して、現在に至るまで一大観光資源となっている。2006年8月には讃岐うどんを題材にした映画・UDONも公開されている。ブームも一段落し、新規開店も減った現在では淘汰も始まっている。そうした中で、セルフうどん店は廉価・手軽なファストフードの一つとしてある程度定着し、ショッピング街やフードコートなどでも見かけることが珍しくなくなった。

讃岐うどんブーム

香川県農政水産部の見解[36]によれば、20世紀後半から21世紀初頭にかけて下記のように4回の讃岐うどんブームが起きている。なお、これは必ずしも統一された見解ではなく、第3次と第4次を連続したブームと捉える意見などもある[33]。いずれも終息時期は判定が困難で特定されていないため、発生したとされる年を示す。

  • 第1次:1969年
    • 宇高連絡船デッキ上の立ち食いうどん店の独特の雰囲気や、大阪万博への出店や金子正則知事によるトップセールスが評価された。また、香川県はPRのために当時キャラバン隊を組織していた。
  • 第2次:1987年
    • 瀬戸大橋の開通を受けて四国全体の観光客が増加し、讃岐うどん店への来店客も増加した。一方で、バブル景気の時期であった事などから一部の店が値段を高騰させて問題が生じた[37]。また、冷凍うどんが商品化されたことで、全国のスーパーマーケットなどで讃岐うどんが広く販売されるようになった。
  • 第3次:1995年
    • 恐るべきさぬきうどん』などの影響による香川県内でうどん店を巡る客の増加や、それを受けた1990年代前半のマスコミへの露出により、讃岐うどんを目的とする観光客が急激に増加していった。
  • 第4次:2002年
    • 首都圏など香川県外へのセルフ式うどん店の出店増加により、讃岐うどんを認知し、実際に食べる機会が日本全国で増えた。

メニューなどの用語

用語

讃岐うどんに関する用語を説明する。一般的なうどんに関する用語についてはうどんを参照。

だし
調味されたうどんの汁。一般的に「つゆ」「うどんつゆ」と呼ばれているものであるが、香川ではだしと呼ぶ。
かやく
意味は「具の入ったうどん」のことであるが、蒲鉾などが少し入っただけのシンプルなものから、いくつかの具を盛り合わせたものまで様々である。一般店では一番シンプルなメニューをかけではなくかやくとしているところがある。

メニュー

現在、讃岐うどんは麺そのものや業態をもって特色とし、完成した料理メニューとしては讃岐うどんに統一的なものはないと言える。メニューは非常に多岐に渡り、変り種のうどんも非常に多い[38]。かやくやぶっかけなどは、同じ名前がついていながら異なるうどん料理であることも珍しくない。

かけ
うすめのだし汁をかけ、刻みねぎと花がつおを載せたうどん。薄切りの板かまぼこを加える場合もある。シンプルで値段も安く、20世紀後半まで最も主流の食べ方だった[39]
釜揚げ
ゆでて水洗いする前の熱いうどん。麺の状態のことを指すこともあれば、完成した料理のことを指すこともある。料理としての釜揚げうどんは当該項目を参照。
釜玉(かまたま)
湯を切った釜揚げのうどん玉、薬味、だしまたは醤油を混ぜて作られるうどん料理。うどん玉が冷めないうちに卵をかき混ぜて半熟にし、少量ずつ薬味と出汁を自分の好みに合わせ、好みに応じて揚げ玉も入れる。綾川町の山越うどんが発祥といわれている。サッカー四国社会人リーグカマタマーレ讃岐の名称の由来にもなっている。
しっぽく
根菜類を煮た甘めの汁をかけたうどん。家庭では里芋ニンジン大根油揚げなど、店では天ぷらちくわなどが具に入る[19]。秋から冬を中心に食べられる、東讃地方の郷土料理。
生醤油(きじょうゆ)
うどん玉に醤油を少しかけただけのうどん。しょうゆうどんとも呼ばれる。醤油は火入れしないいわゆる生醤油とは限らない。調味された醤油が使われたり、薬味や具が入ることもある。なお「しょうゆうどん」は商標登録されているが、多くの店で一般的に使われている。卵と合わせる場合もある。
ぶっかけ
濃い目のだし(つけだしに近いぶっかけだし)が、少なめにかけられたうどん。ぶっかけうどんは、具のあまり乗っていないシンプルなものから豪華なものまで、店によって様々であり、共通点は「濃い目のだしが少なめにかけられている」という点である[40]。発祥は、岡山県倉敷市のうどん店「ふるいち」だが、香川県に伝わり、讃岐うどんの定番メニューとなった。
湯だめ
水洗いされたうどんを再度温めて湯に浸かった状態で供され、だしにつけて食べるうどん。釜揚げうどんと対比されて使われる。最も古くからの食べ方で、夏期は冷水に入れて冷やしうどんとした[19]。待たされることもある釜揚げ系統の、急ぎの客向けの代用メニューともされ、釜玉に対する「あつ玉」も同じ。もちもち感が少し損なわれる。

業態

本節では、ある程度認知されている讃岐うどんの食べ方や業態[41]について説明する。その他一般のうどん店についてはうどんの当該項目を参照。

一般店

完成した料理を店員が上げ下げしてくれる、全国で一般的な飲食店の形態のうどん専門店。香川県内においても最も数が多い[42]メニューには各種の具入りうどんや副食品の類が並んでおり、量や薬味の加減を店員に頼める点も香川県内外で共通している。

香川県内の一般店で特徴的なのは、おにぎりおでんなどの作り置きのできる副食品は、一般店であっても大抵セルフサービスであるという点である。客は店に入ってすぐにそれらを取ってきて、食べながらうどんが出てくるのを待つ[43]。なお、一般店のメニューは県外の一般的なうどん店と大きく異なることはない。一般的なうどんメニューについてはうどんの当該項目を参照。

セルフサービス店

料理の受け取り、食後の食器の返却を客自ら行う、セルフサービスの業態をとるうどん専門店。セルフうどん店では、うどんとだしと具(トッピング)を別々に選ぶ店が多い。

具はさまざまな種類の天ぷらを用意している店が多い。具を必ずしもうどんに乗せて食べる人ばかりではなく、自由な食べ方で楽しまれている。

香川県内のセルフうどん店は、そのほかにも客の側で様々なことを行うようになっている店が少なくない。

  • 蒸篭に並んだうどん玉を客が好みの量を玉単位でに取り分ける。氷水で冷やしたものや、釜揚げを頼める店もある。
  • 湯と「てぼ」(鉄砲ざる)または「ぬくめいかき」(製の道具)が用意されていて、自分で好みの温度まで温める。冷たいうどんそのままも可能。
  • 置かれている具や薬味を自分で取って入れる。
  • タンクの蛇口を捻ってだし(つゆ)を注ぐ。だしは温冷の双方が選べる。冷たいうどんに熱いだしをかけたり、その逆なども行われている。また、かけだしのほかにぶっかけだし、つけだしが用意されていたり、醤油、調味醤油などを少しかけるだけで賞味されることもある。

上記は一例であるが店と客の役割分担が店によって違うこともままあり、香川県民でさえはじめて入るセルフ店ではまごつくことがあるため、メニューではなく手順が掲示されている場合も多い[44]

長らくこのようなセルフうどん店は香川県独特の業態だったが、2002年頃よりはなまるうどんのようなセルフ式うどんのチェーン店東京都など県外へ出店し、短期間に急増した[45]。香川県で標準的なセルフうどん店よりも客自ら行なう手順は少なくなっており、セルフうどん店がはじめての客にも入りやすい工夫がされている。

製麺所

製麺所に什器を設え食事ができるようにしたうどん店であり、基本的にセルフサービスである。食べ方などは基本的にセルフうどん店と同様であるが、選べるものは極端に少ない場合が多い。

看板暖簾、什器などに気を使わず、とても客商売をしているようには思えない佇まいの店が少なくなく[46]、このような店が紹介された当初、他県民には大変ユニークに映り、また香川県民でも知らない人は本当に知らなかったため、県内外で注目された。

小売

外食としてだけではなく家庭でもうどんはよく消費される。外食店が今のように増加する前は、うどんは買ってくるか手作りするのが主流であった[27]

玉売り
調理済みのうどん玉の形で販売されるもの。家庭では湯通しして(湯掻いて)利用される。製麺所などで蒸篭から取り分け販売されるほかに、袋詰めにしてスーパーマーケットなどでも販売される。
冷凍うどん
工場生産の冷凍食品。茹でた直後に冷凍するため水の分散状態が保たれ、コシが強いのが特徴[47]。指定の時間茹でて水洗いしてから利用するものが多い。保存が利きまた近年改良が進んで味の評価が高まってきたため、全国的に家庭での利用の主流になりつつある。加ト吉など香川県内のメーカーのほか、各地の大手食品メーカーも手がけている。
生、半生
茹でる前の、生地を伸ばして切った状態で販売されるもの。水分量を調節するなどして乾麺に近い状態にし、常温である程度の保存が可能なものもあり、半生と呼ばれる。指定の時間茹でて水洗いしてから利用する。土産物としてよく販売されている。
乾麺
茹でる前の生地を伸ばした状態で、天日干しに近い環境で乾燥させて販売されるもの[29]。保存に優れ、全国のスーパーマーケットで販売されている。

食感・製法・原料

コシについて

讃岐うどんはよく「コシが強い」と表現される。また大阪のモチモチしたうどんに比して讃岐うどんはシコシコしている、とも言われる。しかしコシという言葉はそれを使う人によって、硬さや弾力、または粘度であったりと、言葉の定義が必ずしも共有されていない。讃岐うどんの味の評価は、この麺のコシによってなされる部分が大きい。讃岐うどんにおいては、店やメニューの紹介ではだしや具の味、佇まいなどが取りあげられても、麺の評価がそれ以外の要素の評価よりも上位に位置する場合もある。一方、かつては製麺所から麺を仕入れる店が多かったため、むしろだしが店ごとの個性として重視されていた[48]

うどんのコシについての学術的研究[49]では、コシは「咀嚼中の総合的な食感」というテクスチャーをもって表現されている。調査によれば、弾性率粘性率がそれぞれ1×105Pa、1.5×108Pa·s以下と軟らかく、かつ破断強度が大きいうどんが、コシがあって美味しいと評価されている[50]。すなわち、噛み切るのに力が必要だが軟らかいのがコシのあるうどんであり、単純に硬いだけではコシがあるとはみなされない。

コシのもうひとつの特徴は、それが「時間とともに急速に失われていく」ということである。これはうどんの破断強度が2時間で約2/3まで低下することからもわかる[51]。讃岐うどんのコシ(ないし美味しさ)は、茹でて水で締めたその瞬間に最大となって分単位で失われる。これは時間がたつとともに水分分布が均一化して全体が化(アルファ化)し、噛み始めが硬くなる一方で噛み切るのに必要な力は減少し、コシが無くなっていくためである[51]。このため、店で食べる讃岐うどんの当たり外れは店に入るタイミングが全て、とも評される[52]。讃岐うどんには時間とともに出現するような類の美味さは一般に存在せず、「つゆとなじませるためにしばらく置いておく」といったことが普通に行われる大阪や京都のうどんとの大きな違いとなっている。

手打ち式製法

上記のようなコシが生まれる原因として、讃岐うどん特有の手打ち式製法があげられる。これには一般的な機械式の製麺と比べて

  1. 十分な混捏
  2. 圧延が多方向
  3. 生地の熟成

といった特徴がある[17]。この中で1と2は生地の中のグルテンの分布を均一にする効果があり、3には生地からの脱気や遊離脂質の減少と結合脂質の増加をうながす効果がある。3には1によって生地に生じた応力を緩和し、軟らかく伸びるようにする効用もある。

また、食塩水の添加も重要な要素となっている。加える水の量を増やすことによってグルテンの均一性を増す事ができるが、多すぎると生地の粘弾性が増して硬くなる[53]。また食塩を加えることで生地の伸びがよくなるが、多すぎると逆に低下する。このため食塩水の量と濃度を調節することが重要であり、古くから「土三寒六常五杯」(土用など夏期は1杯の塩に対して水を3杯加え、寒中の冬期は水を6杯にする[54][55])という言葉が目安にされてきた。 これらの要素が組み合わさって讃岐うどんのコシは得られている。

なお、生地はかつてうどんゴザをかぶせた上から裸足で踏んでいたが、衛生面から20世紀後半にこの方法が問題となった。このため効率化を兼ねて、製塩業に用いていたの加工機をベースに混捏用の機械が1965年に開発された。1968年に香川県が製麺業の免許の交付・更新の際にこの機械の採用を義務付けたため普及が進み、1970年には北海道など全国各地やソウルアラスカなど海外にも出荷されている[56]

小麦粉

香川県産のうどんの原料となる小麦粉は、かつて裏作として盛んに栽培されていた県内産の小麦が使われていた。最盛期の栽培面積は10,000ヘクタール以上にも及んだが、高度経済成長期に急減して1973年には326ヘクタールとなった。その後は栽培の振興施策などもあって1987年に4,130ヘクタールまで回復したが、1997年には475ヘクタールまで再び減少している[57]

1970年代には粘りの強いカナダ産とさらさらしたアメリカ産の小麦をブレンドして主に使っていたが、現在は多くがオーストラリア産であり、日本のうどん用に最適化して開発された『Australian Standard White』(略称:ASW)という麺用中力粉が用いられることが多い。県産のうどん用小麦としてはもともと農林26号など[58]が使われ、20世紀末にはASWに対抗するため県が『さぬきの夢2000』を開発したが、生産量の少なさ、製麺の難しさ、2004年に起こった県農協による不当表示問題[59]などによるブランドイメージの低迷、などにより普及はあまり進まなかった。

一方でオーストラリア産の小麦とさぬきの夢2000をブレンドした讃岐うどん用の小麦粉なども開発され、これを使用した讃岐うどんがモンドセレクションの金賞を受賞している。[60]

だし

麺の食感という讃岐うどん共通の価値観を除けば、味付けなどは非常にバリエーションに富んでいるが、讃岐うどんを特徴付けるものとしてはほかに、イリコ(煮干し)のだしが挙げられる。イリコの出汁は一般的な日本料理では煮物味噌汁などに用いられるが、うどんのつゆには通常用いられない。これはイリコが青魚独特の臭みを持つため、二番出汁相当の使われ方をするものだからである。うどんつゆのような「表の味」には鰹節昆布によって調製される一番出汁が用いられることが多い。

近隣の伊吹島がイリコの名産地である事などからイリコを使った濃厚なだしが昔からよく使われ、讃岐うどんの主張の強い麺と豊富な食べ方のバリエーションを下支えしてきた。繊細な一番出汁では、讃岐うどんの「強さ」に負けかねない事もあり、讃岐うどんでは地元のイリコと北海道産の昆布を組み合わせてだしを作ってきた。煮干しの臭みを取るためには、焼いたの棒をだしに入れる方法などが採られ、最後に加える醤油にも生臭さを消す効用がある[48]。なお、つけ汁には濃口醤油、かけ汁には薄口醤油を使い、それぞれの分量を変えるなどの工夫がされている[61]

種物や麺つゆをたっぷりつけることさえ無粋とされうる蕎麦とは対照的に、様々な天ぷらが好んで乗せられ、時にはコロッケまで崩し入れられるような讃岐うどん文化には、イリコだしが欠かせない。また、香川ではうま味調味料が忌憚なく使われる傾向にあり、他の地域では極めて珍しいことだが、店の食卓調味料として味の素が置かれていることも多い。出来立てのうどんに味の素をパッと振って醤油をチャッとかけてすすり込むのはポピュラーな食べ方である。まただし醤油などもよく使われている。どこまでも強い麺がだしや味付けを繊弱なものにしなかった。これも讃岐うどん文化の一つである。

薬味

薬味ショウガネギが多用されるのも讃岐うどんの特徴であるが、これもイリコだしと相性がよい。なお、一番出汁に香りの強い香辛料を加えると風味が損なわれるが、イリコだしとショウガの組み合わせはかえって臭みが消えて爽やかな風味がうどんを引き立てる。

このほかにも唐辛子からしゴマ花がつおが従来から用いられてきた[48]。近年では食品の地域性も薄れて入手性もよくなり、さらに多様な薬味が供されている。他県のうどんやそばと同様、七味唐辛子山葵なども定番であり、イリコや様々なふしを混合した新たな味も次々生まれている。また讃岐うどんが県外に進出するとともに、かけだしにショウガも広まっている。

讃岐うどんに関する統計

「香川県民は一人あたり年間○○玉のうどんを食し、日本一うどんを食べる」という表現はしばし使われるが、その数字は100玉程度から300玉を超えるようなものまで様々であり、根拠が必ずしもはっきりしない。これは「うどんの玉の数」という明確な統計がないためである。たとえば、総務省の家計調査[62]では、「うどん・そば」と一括りにされている。また、統計における数字を目分量であり店によって量が倍ほども違う「うどん玉」の数に換算することの問題もある。一方でこれは「うどん玉」という単位自体の問題であり、人口当たりのうどん生産量や消費量が日本国内で圧倒的に高い事は統計的に明らかになっている(#概要など)。

香川県のうどん屋の数については、毎年発行される讃岐うどん店を網羅したガイド本[63]では800軒前後が掲載されている。うどん屋またはうどんを生産していると思しき箇所として、県では1100軒程度(2005年度)を把握しているようである[64]。店舗は特に高松地域と中讃に集中しており、その中でも紹介頻度が高いのは高松市以西の綾川や土器川などの河川沿いの店が多く、良質な地下水を大量かつ安価に使用できる環境の影響が指摘されている[65]。同様に、東讃や島嶼でうどん店が少ないのは平野部が海岸砂州や後背湿地から形成されて地下水に恵まれないためともされる。

その他

さぬき市2002年に合併によって誕生した比較的新しい市であるが、この地域はかつて大川郡[66]と呼ばれており、「さぬき」のつく特定地名はなかった。このひらがな地名が採用されたのには、旧国名よりも、ブームのさ中の「さぬき」というブランドに肖る意図が大きかったと考えられる。市名候補「さぬき」は住民アンケートでは「大川」「東讃」に次いで3位であった[67]

うどん店は零細であるため排水規制がかからず、高濃度のデンプン質を多く含むうどんのゆで汁が浄化装置も通さず露店の水路に放水されていることが多く、香川県一般の飲食店などの中でも最悪の環境汚染[68]であり、環境汚染が懸念されている。讃岐うどんブームに伴い排出量が大幅に増加し苦情が寄せられる程に[69]なり、県では県下のうどん店に、うどん店排水処理対策マニュアル[70]などの配布を行ったが大きな改善が見られず、規制と共に罰則を想定した条例施行を目指している[69]

丸亀高等技術学校では2003年より毎年、うどん職人を養成するさぬきうどん科(3ヶ月、職業訓練)を開講し、卒業生の県内外での新規開店や就職に実績を挙げている[71]。また、瀬戸内短期大学では、さぬきうどんインストラクター養成という特色のある教育が行なわれている。

テレビ朝日2008年放送の番組[72]においては、

  • 讃岐産のコムギDNA中央アジアのものと一致している
  • 中央アジアのラグマンは中力粉を塩水でこね、気温により濃度を加減する事が讃岐うどんと共通している
  • 切らずに伸ばして麺にして(讃岐うどんは包丁などで切る)茹で上がった後で水で締め、食感も讃岐うどんに近い事から、空海らの遣唐使が訪れていた長安を経てラグマンが持ち込まれ、讃岐うどんのルーツの一つとなった可能性が指摘された。

脚注

  1. ^ a b 麺の博物館>うどん&そうめん探訪>歴史:祭礼図(香川県庁) 「金毘羅祭礼図」を参照。
  2. ^ 和漢三才図会正保3年(1713年)) 小麦の項目に「讃州丸亀の産を上等とす」とある。
  3. ^ さぬき野2004秋 人物伝 久米栄左衛門通賢(香川県庁)
  4. ^ a b さぬき野2003春 特集 さぬきうどんの魅力を探る(香川県庁)
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参考文献

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  • 真部 正敏「讃岐の自然と人間が育んだうどん文化」『日本作物学会紀事』第80巻2号、pp.334-336、2007年。
  • 三木 英三「讃岐うどん-その美味しさ」『化学と工業』第60巻12号、日本化学会、pp.1167-1170、2007年。
  • 三木 英三ほか「茹めんのテクスチャー評価」『香川大学農学部学術報告』 第47巻2号、pp.133-142、1995年。
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  • 麺通団恐るべきさぬきうどん — 麺地創造の旅』新潮社、2003年a、ISBN 978-4101059211
  • —— 『恐るべきさぬきうどん — 麺地巡礼の旅』新潮社、2003年b、ISBN 978-4101059228

関連項目