小林酒造 (北海道)
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒069-1521 北海道夕張郡栗山町錦3丁目109 北緯43度03分40.27秒 東経141度46分08.0秒 / 北緯43.0611861度 東経141.768889度座標: 北緯43度03分40.27秒 東経141度46分08.0秒 / 北緯43.0611861度 東経141.768889度 |
設立 |
創業:1878年 設立:1943年 |
業種 | 食料品 |
法人番号 | 5430001047281 |
事業内容 | 酒造・酒販など |
代表者 | 代表取締役社長 4代目小林米三郎 |
資本金 | 5000万円 |
売上高 | 2億80百万円(2011年3月31日現在) |
従業員数 | 15人(2011年3月現在) |
決算期 | 3月31日 |
主要株主 | 小林米孝 95%、小林本店 5% |
主要子会社 | 小林本店 |
外部リンク | http://www.kitanonishiki.com/ |
小林酒造株式会社(こばやししゅぞう)は、北海道夕張郡栗山町にある酒造メーカー。
1878年(明治11年)に札幌で創業したが、初代小林米三郎(以下、初代米三郎)が夕張炭鉱の需要に目を付け、1900年(明治33年)に夕張郡角田村(現在の栗山町)に本拠地を移転させた。近隣には日本国内有数の炭鉱である夕張炭鉱があり、主として炭坑夫ら向けに醸造された[1]。代表銘酒は「北の錦」[2]。
沿革
札幌での創業
1878年(明治11年)、小林傳四郎は札幌のすすきの(現在の中央区南3西4)で酒造業を創業した[3][4]。当時、道内における酒造業者は少なかった[3]ため、先駆的な事業形態であった。登録商標は「北関」「勇駒」であった[5]。
栗山町への移転
製造量の増加に伴い、豊富な水と広大な土地を求め、1900年(明治33年)栗山に工場移転し、傳四郎の移転に伴って、初代小林も栗山に移り住んでいる[3]。初代小林の時代には既に北海道でも有力な酒蔵となっていた[6]。
札幌から栗山へと酒蔵を移設した理由について、4代目小林米三郎(以下、4代目小林)は「酒造業として札幌の地が手狭になったということもありますが、最大の要因は、燃料の確保です。[5]」と述べており、酒造の際に必要な石炭の入手が容易であったことを要因として挙げている。 『北の錦』が主力商標であるが、その名は「北の地で錦を飾る」という初代小林米三郎の意気込みから来ている。
新潟県刈羽郡(のちの刈羽郡二田村、現・柏崎市)に生まれた田中栄は[7]、17歳の時に初代小林の養子となり[6]、2代目小林米三郎を襲名して酒造業を継承した[8]。1919年(大正8年)には北海道炭礦汽船(北炭)への納入権を獲得し、小林酒造が飛躍的な発展を遂げる契機となった[6]。
現代の動向
太平洋戦争後、2代目小林は小林酒造の工場の自動化に取り組んだ[6]。栗山工場は日本酒2160キロリットル(1万5000石)、焼酎550キロリットル(3000石)、合成酒180キロリットル(1000石)で計12億円の売上高を記録し、単一の工場としては北海道一の売上高を記録した[6]。1967年(昭和42年)時点では日本酒・焼酎・合成酒などで年間4700キロリットルを製造し、北海道最大の酒造メーカーであった[6]。1947年(昭和22年)には2代目小林が参議院議員に当選した[9]。
2代目小林は1959年(昭和34年)に栗山町名誉町民に推挙されている。1964年(昭和39年)3月、2代目小林によって関連企業として株式会社小林本店が設立された。一時期は小林本店札幌本店内に小林酒造の札幌営業所が置かれていた[10]。
蔵を活用したコンサートホール「なつかしホール」があり、1999年(平成11年)にはこけら落しとして加藤登紀子の「ほろ酔いコンサート」が開催された。独立行政法人酒類総合研究所が主催する2003年度の全国新酒鑑評会において、小林酒造は道産米100%の日本酒で金賞を受賞した。
2006年(平成18年)6月18日、13棟の建物が登録有形文化財に登録された[11]。2019年(令和元年)5月20日、栗山町など8市4町が申請したストーリー「本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命『炭鉄港』」が日本遺産に認定され、「小林酒造建造物群」も構成文化財となった[12]。
立地
札幌方面からの栗山町の入口にある、道道45号線の夕張川にかかる馬追橋のたもとに位置する[13]。1万坪の敷地内に煉瓦造や札幌軟石の倉庫の切妻屋根のシルエットが並ぶ。
建築物
2006年(平成18年)6月18日、敷地内にある小林家住宅、一番蔵、四番蔵、五番蔵、六番蔵、蒸米場、旧ビール倉庫・缶詰資材庫、旧資材庫、二番蔵、三番蔵、製麹室、北の錦記念館(旧事務所)、旧精米場の13棟が、登録有形文化財に登録された[11]。築100年以上の煉瓦造や石造(札幌軟石)の蔵は、造り酒屋としては全国でも珍しいとされる。
- 小林家住宅 - 構造:木造2階建 建築年:1901年(明治34年)[14][11]
- 一番蔵 - 構造:煉瓦作り平屋建 建築年:1900年(明治33年)もしくは1919年(大正8年)[11]
- 四番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
- 五番蔵 - 構造:木骨石造2階建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
- 六番蔵 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)[14][11]
- 蒸米場 - 構造:木骨石造平屋建 建築年:1900年(明治33年)[11]
- 旧ビール倉庫・缶詰資材庫 - 構造:レンガ造平屋 建築年:1920年(大正9年)[14]
- 旧資材庫(昔の酒道具展示館) - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1920年(大正9年)[11]
- 二番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)[14][11]
- 三番蔵 - 構造:レンガ造2階建 建築年:1921年(大正10年)[14][11]
- 製麹室 - 構造:レンガ造平屋建 建築年:1922年(大正11年)[14][11]
- 旧精米場 - 構造:木造平屋建 建築年:1953年(昭和28年)[11]
- 北の錦記念館(旧事務所) - 構造:鉄筋コンクリート2階建 建築年:1944年(昭和19年)[11][14]
小林家住宅
小林家住宅(現在の小林家)は、入母屋造瓦葺であり、1930年(昭和5年)に一部増築している[14]。ほか、一部の倉庫に、旧夕張鉄道敷設時に余ったレールを買い取り、加工して施設内の支柱にしている[1]。
一番蔵
一番蔵は、創業当初は屋根付きの作業場であった考えられており、冬の低温と積雪を考慮すると空地では酒造作業は不可能で、それまで使用していた建物を、1908年(大正7年)に建て替えたもの、と推定されている[15]。
北の錦記念館
構内入口に位置する北の錦記念館は、小樽の銀行をモデルに設計され、焼き締めレンガ風タイル貼られている[16]。かつては事務所として使用していたが、1995年(平成7年)より一般公開している[14][17]。造り酒屋のイメージとは離れたモダンな外観やインテリアがあり、独立円柱で支えられた梁や大きな金庫室を有してほか[14]、2階に続く階段の壁には、型押しの二丁掛けタイルが貼られている。館内では酒造りの歴史を刻んだとっくりなどの酒器をはじめ什器・身の回り品など、約5,000点を展示しているほか、日本酒の試飲も可能。蔵元限定酒など、ここでしか手に入らない商品もある[17][1]。
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一番蔵
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二番蔵
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三番蔵
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五番蔵
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六番蔵
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旧資材庫(昔の酒道具展示館)
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中庭に設置されているタンク
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トロッコのレールと転車台
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北の錦記念館の試飲コーナー
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北の錦記念館の栗山英樹監督応援コーナー
酒蔵の特徴
- 北海道産米の使用: 近年創出された、北海道の酒米「吟風(ぎんぷう)」、「彗星(すいせい)」を積極的に使用した日本酒を造っている。
- 古い蔵の活用: 北海道の気候と空調が無くても安定した古蔵を利用して古酒製品を、純米酒で5年、原酒1-2年、大吟醸3年を目安に熟成させている。
- 活性炭による調整の廃止: 活性炭調整を廃し、日本酒本来の色、風味を残す製法による、山吹色の酒を製造。
- 道内各地の水を使用: 所在地の水に拘らず、酒によって一番合うと思われる水を使用する。
- 全量特定名称酒: 2007年(平成19年)より全商品を特定名称酒にしている。
- 栗山にある2軒の農家に依頼し、北海道で初めてとなる本州以外の米を使用した日本酒を制作した[18]。
主な商品
- 北の錦 純米大吟醸「雪心」-酒米を35%まで磨いた最高級品。酒造好適米の「吟風」、「彗星」を使用[19][20]。
- 北の錦 純米大吟醸-華やかな洋梨を思わせる香り、端麗やや甘口[19][20]。
- 北の錦 大吟醸-米の旨味と厚みを感じられすっきりと飲める[19][20]。
- 北の錦 純米吟醸-しっかりとした旨味と厚み。食中向き[19][20]。
- 北の錦 純米特別-キレが良く爽快な辛口[19][20]。
- 北の錦 純米-栗山町・後藤農場産の酒造好適米「きたしずく」を100%使用。やや甘口[19][20]。
- 蔵囲完熟 秘蔵純米-温度変化の少ない蔵のタンクで4年以上熟成させた古酒。中華料理や豚の角煮に合う[20]。
- 純米 とろりにごり-にごり酒。北の錦記念館限定品[19][20]。
- 真冬詰 大吟醸-酒造好適米「吟風」使用。辛口。北の錦記念館限定品[19][20]。
- 特別純米 渡里酉-栗山町で収穫した酒米だけを使用し醸造した「地酒」で辛口。春に飛来する渡り鳥の風景をラベルにしている[19][20]。
受賞歴
全国新酒鑑評会
創業から戦前までの受賞歴[22]
- 1902年(明治35年)5月 北海道清酒品評會(函館清酒組合主催)酒銘:北關(関) 等別:壹(一)等
- 1911年(明治44年)5月 北海道清酒品評會(上川酒造組合主催)酒銘:北魁 等賞:壹銀牌杯
- 同上 酒銘:北關 等賞:三等褒状
- 1916年(大正5年)9月 第3回北海道酒類品評會(釧路) 酒銘:北關2號(号) 等別:貳(二)等銅牌
- 1927年(昭和2年)9月 第5回北海道酒類品評會 酒銘:北の錦(3) 等別:壹等
- 同上 酒銘:北の錦(2)、北の錦(1) 等別:参等
- 1928年(昭和3年)4月5日 第7回酒類きき酒品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦 等別:参等
- 1934年(昭和9年)12月 第12回酒類品評會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(ロ) 等別:入選
- 1935年(昭和10年)10月19日 第九回北海道酒類品評會(日本醸造協會北海道支部主催) 酒銘:北の錦(ト) 等別:優等賞
- 同上 酒銘:北の錦(へ)、(ハ) 等別:特選賞
- 同上 酒銘:北の錦(ロ)、(ホ) 等別:入選賞
- 1936年(昭和11年)9月21日 酒類研究會(北海道酒造組合聯合会主催) 酒銘:北の錦(イ)、(ハ)、(二) 級別:B級
- 1938年(昭和13年)10月 第13回酒類品評會 酒銘:北の錦(2) 賞別:B級
舞台・ロケ地とした作品
- 1974年(昭和49年) - 松竹映画『あした輝く』の撮影でロケ地を提供[23]。
- 1999年(平成11年) - 初夏公開の映画『鉄道員』の撮影で酒蔵をロケ地に提供[23]。高倉健や小林念侍、志村けんが北の錦を痛飲していた。
- 2004年(平成16年) - 秋公開の映画『雨鱒の川』の撮影が小林家、工場、倉庫で行われた[21]。
- 2014年(平成26年) - 映画『ぶどうのなみだ』のロケ地を提供[21]。
関連会社
関連項目
脚注
- ^ a b c 風間健介『そらち炭鉱遺産散歩』共同文化社、2003年、178-180頁。
- ^ 能登亨樹・和田由美『ほっかいどう地酒ラベルグラフィティー 華麗なラベル銘酒150余年の歩み』亜璃西社、2024年5月10日、82-85頁。
- ^ a b c 『北海道の酒造家と酒造史資料』サッポロ堂書店、4月10日、7頁。
- ^ 『カイ』ノーザンクロス、1月20日、14頁。
- ^ a b 『カイ』ノーザンクロス、1月20日、15頁。
- ^ a b c d e f 秋吉茂『ニッポン・リッチ伝』謙光社、1967年、pp.137-144
- ^ 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 北海道・奥羽・関東・中部篇』帝国秘密探偵社、1943年、北海道23頁
- ^ 『北海道歴史人物事典』北海道新聞社、1993年、p.332
- ^ 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年、p.407
- ^ 略史 栗山町
- ^ a b c d e f g h i j k l m n 『北海道の近代和風建築』北海道教育委員会、2007年3月、114頁。
- ^ 本邦国策を北海道に観よ! ~北の産業革命「炭鉄港」~ 日本遺産
- ^ 『北海道栗山町 挑戦、感動、そしてやさしさ』栗山町、2003年3月、14-16頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l 『道南・道央の建築探訪』北海道新聞社、2004年11月19日、144-145頁。
- ^ 山口昭三『日本の酒蔵』九州大学出版社、2009年3月10日、201頁。
- ^ 吉田真紀『日本全国タイル遊覧』書肆侃侃房、2022年10月10日、15-17頁。
- ^ a b “炭鉄港女子のココ見て!炭鉄港 北の錦記念館”. 炭鉄港 栗山 歴史をめぐる旅物語 (炭鉄港推進協議会). (2024-3).
- ^ 『栗山ふるさと文庫3 栗山の史実 民話』栗山町教育委員会・栗山町図書館、2004年1月30日、73頁。
- ^ a b c d e f g h i “日本酒セット早見表”. 栗山町ふるさと応援寄付2019「KRYM」 (栗山町経営企画課): 34-35. (2019-7).
- ^ a b c d e f g h i j “日本酒セット早見表”. 栗山町ふるさと応援寄付2021「KRYM」 (栗山町経営企画課): 34-35. (2019-7).
- ^ a b c d 『「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023』小林酒造株式会社、2023年4月10日、34頁。
- ^ 加藤良己『北海道の酒造家と酒造史資料』サッポロ堂書店、2015年4月10日、141-190頁。
- ^ a b 『「北の錦」オフシャルハンドファンブック2023』小林酒造株式会社、2023年4月10日、30頁。