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橘入居

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
橘 入居
時代 奈良時代 - 平安時代初期
生誕 不明
死没 延暦19年2月10日800年3月8日
官位 従四位下右中弁
主君 桓武天皇
氏族 橘氏
父母 父:橘奈良麻呂、母:藤原宇合娘?
兄弟 安麻呂島田麻呂清野清友入居
永継永名逸勢御井子、田村子
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橘 入居(たちばな の いりい)は、奈良時代から平安時代初期にかけての貴族参議橘奈良麻呂の子。官位従四位下右中弁

経歴

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桓武朝初頭の延暦2年(783年従五位下近江介に叙任される。延暦4年(785年中衛少将と京官を兼ねるが、延暦7年(788年遠江守として再び地方官に転じる。

その後、従五位上・左兵衛佐に叙任され、延暦14年(795年)には近江・若狭両国に駅路を調査するために派遣されている[1]。のち左少弁、延暦15年(796年)には右中弁と弁官を兼ね、延暦16年(797年)には、大納言神王らと共に『刪定令格』の編集に参画した。その後、播磨守左京大夫を兼帯し、延暦18年(799年)4月以降に従四位下に至る。

延暦19年(800年)2月10日卒去。最終官位は右中弁従四位下。

人物

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しばしば適切な内容で上書を提出したが、有益な事項が多かった。右中弁に抜擢され、政務に関する意見が多く採用されたという[2]

官歴

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六国史』による。

系譜

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脚注

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  1. ^ 『日本後紀』延暦14年7月26日条
  2. ^ 日本後紀』延暦19年2月10日条
  3. ^ a b 『日本後紀』弘仁12年3月14日条
  4. ^ 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第164所収)で載せるものがある。
  5. ^ 『日本三代実録』貞観8年5月10日条
  6. ^ 『日本文徳天皇実録』嘉祥3年5月15日条
  7. ^ 「橘氏系図」(『続群書類従』巻第108所収)
  8. ^ 『日本三代実録』貞観10年11月23日条

参考文献

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