加藤宇兵衛
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3代 加藤 宇兵衛(かとう うへえ、1862年1月27日(文久元年12月28日[1]) - 1929年(昭和4年)8月22日[2])は、明治から昭和時代初期の政治家、銀行家、実業家。大地主[3]。貴族院多額納税者議員。衆議院議員(3期)。
経歴
[編集]造酒屋「沢成 (さわなり、屋号・沢屋)」の2代・加藤成之助の長男として[4][5]、陸奥黒石藩領津軽郡黒石上町(青森県南津軽郡黒石町を経て現黒石市)に生まれる[3]。1890年(明治23年)から青森県会議員に5回、1902年(明治35年)から衆議院議員に3回当選する[3]。さらに1906年(明治39年)には青森県多額納税者として貴族院議員に互選され[3]、翌年1月18日[6]から1911年(明治44年)9月28日まで在任した[2]。
郷里の教育に力を入れ、1902年(明治35年)黒石小学校校友会を設立し、会長を28年に渡り務めた[3]。また黒石町の幼稚園、黒石公園の開設や道路網の改修に尽力した[3]。ほか、青森県参事会員、県農会名誉会員、黒石銀行頭取、津軽鉄道社長、津軽銀行、東北水産、東北生命保険、青森県農工銀行各取締役などを歴任した[2]。
親族
[編集]⚫︎ 長男:誠一 (明治22年生まれ、妻 きよ は、貴族院多額納税者議員宇野清左衛門孫)[7]
⚫︎親族:貴族院多額納税者議員 高谷豊之助[8]
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 『青森県百科事典』東奥日報社、1981年。
- 東奥日報社 編『青森県人名事典』東奥日報社、2002年。ISBN 4885610656。