畠山重勇
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畠山 重勇(はたけやま じゅうゆう、1895年(明治28年)11月3日[1] - 1978年(昭和53年)10月8日[1][2])は、大正から昭和期の実業家、政治家。衆議院議員、秋田県北秋田郡比内町長、同町名誉町民。
経歴
[編集]秋田県[2]南秋田郡扇田村(扇田町、比内町を経て現大館市比内町扇田[1])で生まれる。1914年(大正3年)秋田県立大館中学校(現秋田県立大館鳳鳴高等学校)を卒業[1][2]。
大葛産業取締役社長、同会長、北秋田郡木炭同業組合長、炭谷鉱山経営、扇田通運取締役社長、秋田県木炭取締役、北秋通運取締役、秋田県木材取締役、秋田県燃料商業組合理事長、東北木材興業専務取締役、同社長などを務めた[1][2]。
政界では、扇田町会議員を務め[2]、1939年(昭和14年)から1949年(昭和24年)まで秋田県議会(県会)議員に3期在任し[1][2]、同参事会員も務めた[2]。1942年(昭和17年)4月の第21回衆議院議員総選挙に秋田県第1区から非推薦で出馬して落選[3]。1946年(昭和21年)4月の第22回総選挙に秋田県全県区から日本進歩党から出馬して落選[4]。1949年(昭和24年)1月の第24回総選挙で秋田県第1区から民主党公認で出馬して当選し[5]、その後改進党に所属して衆議院議員に1期在任した[2]。この間、民主党会計監督などを務めた[2]。
1963年(昭和38年)から1971年(昭和46年)まで比内町長に2期在任し、1974年(昭和49年)名誉町民となった[1][2]。その他、秋田県遺族連合会長、日本遺族会理事も務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第21回』衆議院事務局、1943年。
- 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 第22回』衆議院事務局、1950年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『秋田人名大事典(第二版)』秋田魁新報社、2000年。
- 『国政選挙総覧 1947-2016』日外アソシエーツ、2017年。