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吉田定之助

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
吉田定之助

吉田 定之助(よしだ さだのすけ、1857年10月1日(安政4年8月14日[1])- 1918年大正7年)9月20日[2])は、明治から大正前期の実業家政治家衆議院議員、福島県会議長。

経歴

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陸奥国岩瀬郡、のちの福島県[2]岩瀬郡須賀川町[3][4](現須賀川市)で、吉田勝太郎の長男として生まれる[1]。私塾で学んだ[2]

1889年(明治22年)2月、家督を相続し[1]、以降、須賀川町会議員に8期在任[3]。岩瀬郡会議員、福島県会議員、同議長、破産管財人、所得税調査委員なども務めた[2][3][4]。1912年(明治45年)5月、第11回衆議院議員総選挙(福島県郡部、立憲政友会)で当選し[3][5]、1915年(大正4年)3月の第12回総選挙(福島県郡部、立憲政友会)では次点で落選し[5]、衆議院議員に1期在任した[2][4]

実業界では金融業を営み[2]、1906年(明治39年)須賀川電気を設立して社長に就任し[3]、須賀川銀行頭取も務めた[2][3][4]。岩瀬郡外五郡座繰製糸合同販売東北社組合を設立して常任理事となり生糸共同販売を進め、岩瀬郡二町十二ヶ村販売購買組合を設立して組長に就任し農産物保管の便宜を図った[2][3]。その他、大日本蚕糸会特別会員などを務めた[2]

脚注

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  1. ^ a b c 『人事興信録 第4版』よ33頁。
  2. ^ a b c d e f g h i 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』663頁。
  3. ^ a b c d e f g 『福島県史 第22巻』523頁。
  4. ^ a b c d 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』492頁。
  5. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』61頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『福島県史 第22巻 (各論編 8 人物)』福島県、1972年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。