高橋隆一
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高橋隆一 たかはし りゅういち | |
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生年月日 | 1875年10月31日 |
出生地 |
日本 島根県神門郡稗原村 (現・島根県出雲市) |
没年月日 | 1943年2月7日(67歳没) |
出身校 | 松江修道館修了 |
前職 | 稗原三等郵便局長 |
所属政党 | 同成会 |
配偶者 | 高橋フユ |
親族 |
義父・7代遠藤嘉右衛門(貴族院議員) 義兄・8代遠藤嘉右衛門(衆議院議員) 義弟・三好英之(北海道開発庁長官) |
在任期間 | 1918年9月29日 - 1925年9月28日 |
稗原村会議員 |
高橋 隆一(たかはし りゅういち、1875年(明治8年)10月31日[1][2][3][4] - 1943年(昭和18年)2月7日[5])は日本の大地主、実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。
経歴
[編集]島根県神門郡稗原村[6](簸川郡稗原村を経て現出雲市)で大地主[6]・高橋守衛[注釈 1]の長男として生まれる[1][2]。松江修道館を修了した[5]。1906年(明治39年)3月に家督を相続した[1][2][4]。
1904年(明治37年)稗原三等郵便局を開設して同局長に就任[4][5][6]。稗原村会議員、同村区会議員、同村農会長、同村学務委員、島根県地方森林会議員、簸川郡教育会長などを務めた[5][6]。
実業界では、1906年、簸川銀行取締役に就任[6]。その他、簸上鉄道取締役、出雲電気取締役社長、島根県農工銀行頭取などを務めた[1][2][5][6]。
1918年(大正7年)貴族院多額納税者議員に互選され[6]、同年9月29日[7]から1925年(大正14年)9月28日まで在任した[5]。在任中は同成会に所属した[5]。
また、日本赤十字社に寄付を行うなど篤志者として知られた[6]。
親族
[編集]栄典
[編集]出典
[編集]注釈
[編集]- ^ 「大日本徳行録 第2巻」では高橋守徳となっている
脚注
[編集]- ^ a b c d e 『人事興信録』第4版、た60頁。
- ^ a b c d 『大正人名辞典 第3版』1735頁。
- ^ 『大日本徳行録 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e 『出雲市三十年誌』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ a b c d e f g 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』208頁。
- ^ a b c d e f g h 『島根県歴史人物事典』335頁。
- ^ 『官報』第1848号、大正7年9月30日。
- ^ 『人事興信録 4版』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
- ^ 『大日本徳行録 第2巻』 - 国立国会図書館デジタルコレクション
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録』第4版、1915年。
- 東洋新報社編『大正人名辞典 第3版』東洋新報社、1917年。
- 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。
- 『島根県歴史人物事典』山陰中央新報社、1997年。
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