熊毛郡 (鹿児島県)
表示
人口23,059人、面積787.33km²、人口密度29.3人/km²。(2024年10月1日、推計人口)
以下の3町を含む。
郡域
1879年(明治12年)に行政区画として発足した当時の郡域は、西之表市・中種子町・南種子町にあたる。
歴史
近世以降の沿革
- 明治12年(1879年)2月17日 - 郡区町村編制法の鹿児島県での施行により、行政区画としての熊毛郡が発足。「鹿児島郡役所」が管轄。
- 明治13年(1880年) - 納官村の一部(牧川)が分立して牧川村となる。(18村)
- 明治15年(1882年) - 油久村の一部(田島・阿高磯)が分立して田島村となる。(19村)
- 明治17年(1884年) - 国上村の一部が分立して伊関村となる。(20村)
- 明治18年(1885年)
- 明治19年(1886年)11月13日 - 大島島庁種子島出張所の管轄となる。
町村制以降の沿革
- 明治22年(1889年)
- 明治29年(1896年)4月1日 - 郡制の施行のため、熊毛郡役所の管轄区域をもって、改めて熊毛郡が発足。上屋久村・下屋久村(現・屋久島町)が本郡の所属となる。(5村)
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)
- 昭和15年(1940年)11月10日 - 中種子村が町制施行して中種子町となる。(2町3村)
- 昭和31年(1956年)10月15日 - 南種子村が町制施行して南種子町となる[2]。(3町2村)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 下屋久村が改称して屋久村となる[5]。屋久村が即日町制施行して屋久町となる[6]。(4町)
- 平成19年(2007年)10月1日 - 上屋久町・屋久町が合併して屋久島町が発足[7]。(3町)
変遷表
自治体の変遷
明治22年4月1日 | 明治22年 - 大正15年 | 昭和1年 - 昭和19年 | 昭和20年 - 昭和64年 | 平成1年 - 現在 | 現在 |
---|---|---|---|---|---|
北種子村 | 大正15年4月1日 町制改称 西之表町 |
西之表町 | 昭和33年10月1日 市制 |
西之表市 | 西之表市 |
中種子村 | 中種子村 | 昭和15年11月10日 町制 |
中種子町 | 中種子町 | 中種子町 |
南種子村 | 南種子村 | 南種子村 | 昭和31年10月15日 町制 |
南種子町 | 南種子町 |
馭謨郡 上屋久村 |
明治29年3月29日 熊毛郡 |
上屋久村 | 昭和33年4月1日 町制 |
平成19年10月1日 屋久島町 |
屋久島町 |
馭謨郡 下屋久村 |
明治29年3月29日 熊毛郡 |
下屋久村 | 昭和34年4月1日 改称 屋久村 町制 屋久町 |
行政
- 歴代郡長
代 | 氏名 | 就任年月日 | 退任年月日 | 備考 |
---|---|---|---|---|
1 | 明治30年(1897年)4月1日 | |||
大正15年(1926年)6月30日 | 郡役所廃止により、廃官 |
脚注
参考文献
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 46 鹿児島県、角川書店、1983年3月1日。ISBN 404001460X。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
外部リンク
- 熊毛郡 (鹿児島県)に関連する地理データ - オープンストリートマップ