稲葉根王子
表示
稲葉根王子 | |
---|---|
稲葉根王子参道入口(2006年2月) | |
所在地 |
和歌山県西牟婁郡 上富田町岩田 |
位置 | 北緯33度42分45.9秒 東経135度27分14.0秒 / 北緯33.712750度 東経135.453889度座標: 北緯33度42分45.9秒 東経135度27分14.0秒 / 北緯33.712750度 東経135.453889度 |
主祭神 | 稲荷神 |
社格等 | 村社 |
創建 | 平安時代 |
稲葉根王子(いなばねおうじ)は和歌山県西牟婁郡上富田町にある神社。熊野参詣道中辺路沿いに位置する。九十九王子の一つで、かつ五体王子でもある。稲持王子(『熊野権現金剛蔵王宝殿造功日記』)[1]、稲羽、伊奈波禰[2]とも。和歌山県指定史跡(1958年〈昭和33年〉4月1日指定)[3]。
歴史
[編集]平安期から記録に見え、『中右記』に「伊奈波禰王子社」とある(天仁2年(1109年)10月22日条)のが史料上の初見である[2]。この後、『明月記』所収の後鳥羽院参詣記建仁元年(1201年)10月13日条に准五体王子[1]、鎌倉時代末期の『熊野縁起』(仁和寺蔵、正中3年〈1326年〉)には五体王子として祀られていたとある[2]ほか、足利義満の側室北野殿の熊野参詣記『熊野詣日記』応永34年(1427年)9月26日条にも五体王子として言及されている[2]。
祭神は稲荷神の姿をした金剛童子であり(『熊野縁起』)[1]、稲荷老翁と円珍が初めて会ったのが稲葉根王子だとの説話が伝わっている(『二十二社註式』)[1]。
近世は岩田村の産土神とされ、本殿は1間四方であった(寛政4年〈1792年〉 『田辺領神社書上帳』)[1]。1915年(大正4年)に岩田神社へ合祀されて翌年に社殿を移されたが、1956年(昭和31年)に旧社地へ分霊を遷座した[1]。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f 平凡社[1997: 98]
- ^ a b c d 「角川日本地名大辞典」編纂委員会[1985: 141]
- ^ “県指定文化財・記念物”. 和歌山県教育委員会. 2009年2月7日閲覧。
参考文献
[編集]- 平凡社編、1997、『大和・紀伊寺院神社大事典』平凡社、ISBN 4582134025
- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会、1985、『和歌山県』、角川書店(角川日本地名大辞典30) ISBN 404001300X
関連項目
[編集](城南宮) | (八軒家船着場) | 窪津王子 | 坂口王子 | 郡戸王子 | 上野王子 | 阿倍王子 | 津守王子 | 境王子 | 大鳥居王子 |
篠田王子 | 平松王子 | 井ノ口王子 | 池田王子 | 麻生川王子 | 近木王子 | 鞍持王子 | 鶴原王子 | 佐野王子 | 籾井(樫井)王子 |
厩戸王子 | 信達一ノ瀬王子 | 長岡王子 | 地蔵堂王子 | 馬目王子 | 中山王子 | 山口王子 | 川辺王子 | 中村王子 | 吐前王子 |
川端王子 | 和佐王子 | 平緒王子 | 奈久知王子 | 松坂王子 | 松代王子 | 菩提房王子 | 藤代王子 | 藤白塔下王子 | 橘本王子 |
所坂王子 | 一壷王子 | 蕪坂王子 | 山口王子 | 糸我王子 | 逆川王子 | 久米崎王子 | 井関(津兼)王子 | 河瀬王子 | 馬留王子 |
沓掛王子 | 馬留王子 | 内ノ畑王子 | 高家王子 | 善童子王子 | 愛徳山王子 | 九海士王子 | 岩内王子 | 塩屋王子 | 上野王子 |
津井王子 | 斑鳩王子 | 切目王子 | 切目中山王子 | 岩代王子 | 千里王子 | 三鍋王子 | 芳養王子 | 出立王子 | 秋津王子 |
万呂王子 | 三栖王子 | 八上王子 | 稲葉根王子 | 一ノ瀬王子 | 鮎川王子 | 滝尻王子 | 不寝王子 | 大門王子 | 十丈王子 |
大坂本王子 | 近露王子 | 比曽原王子 | 継桜王子 | 中ノ河王子 | 小広王子 | 熊瀬川王子 | 岩神王子 | 湯川王子 | 猪鼻王子 |
発心門王子 | 水呑王子 | 伏拝王子 | 祓戸王子 | (本宮大社) | 湯ノ峯王子 | (速玉大社) | 浜王子 | 佐野王子 | 浜の宮王子 |
市野々王子 | 多富気王子 | (那智大社) |