アル・チェインバーズ
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基本情報 | |
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国籍 | アメリカ合衆国 |
出身地 | ペンシルベニア州ハリスバーグ |
生年月日 | 1961年3月24日(63歳) |
身長 体重 |
6' 4" =約193 cm 217 lb =約98.4 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 外野手 |
プロ入り | 1979年 MLBドラフト1巡目 |
初出場 | 1983年7月23日 |
最終出場 | 1985年9月25日 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
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この表について
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アルバート・ユージーン・チェインバーズ(Albert Eugene Chambers, 1961年3月24日 - )は、アメリカ合衆国ペンシルベニア州ハリスバーグ出身の元プロ野球選手(外野手)。左投左打。
経歴
[編集]1979年のMLBドラフト1巡目(全体1位)でシアトル・マリナーズから指名され、プロ入り。なお、ドラフト前には、アメリカンフットボールの選手としてアリゾナ州立大学から奨学金を提示されていた。
1983年にメジャーデビューを果たしてパワーヒッターとして期待されていたが、メジャーでは57試合に出場して2本塁打を放っただけで終わった。
1986年3月にマリナーズを自由契約となった後はヒューストン・アストロズ傘下、メキシカンリーグ3球団、シカゴ・カブス傘下を渡り歩いた。
また、1994年8月から1995年4月にかけてMLB史上最長のストライキが実施された影響で、1995年のスプリングトレーニングにはオーナー側の命令で代替選手としてシカゴ・ホワイトソックスのトレーニング施設に赴いて参加していた[1]。
2004年にシアトル・タイムズのラリー・ストーンが書いた記事によれば、本人は「十分な機会を与えられなかった」「まずい組織にドラフトされた」と振り返ったという[2]。
詳細情報
[編集]年度別打撃成績
[編集]年 度 |
球 団 |
試 合 |
打 席 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
犠 打 |
犠 飛 |
四 球 |
敬 遠 |
死 球 |
三 振 |
併 殺 打 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
O P S |
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1983 | SEA | 31 | 85 | 67 | 11 | 14 | 3 | 0 | 1 | 20 | 7 | 0 | 1 | 0 | 0 | 18 | 1 | 0 | 20 | 1 | .209 | .376 | .299 | .675 |
1984 | 22 | 52 | 49 | 4 | 11 | 1 | 0 | 1 | 15 | 4 | 2 | 1 | 0 | 0 | 3 | 0 | 0 | 12 | 0 | .224 | .269 | .306 | .575 | |
1985 | 4 | 4 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | .000 | .000 | .000 | .000 | |
MLB:3年 | 57 | 141 | 120 | 15 | 25 | 4 | 0 | 2 | 35 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 21 | 1 | 0 | 32 | 1 | .208 | .326 | .292 | .618 |
背番号
[編集]- 47(1983年 - 1984年)
- 23(1985年)
脚注
[編集]- ^ “Inside pitch: No. 1 pick in 1979, Chambers looks back at the top” (英語). The Seattle Times (2004年6月13日). 2023年12月11日閲覧。
- ^ 宇根夏樹 (2015年6月7日). “歴代ドラフト・トップピック(その2)1976~1984年/バニスターとホーナーは日本でもプレーした”. Yahoo!ニュース 2023年12月11日閲覧。