弁天座 (大和高田市)
弁天座 Bentenza | |
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情報 | |
通称 | 弁天座 |
正式名称 | 羅い舞座グループ 弁天座 |
旧名称 | 高田シネマ |
開館 | 2024年1月1日 |
客席数 | 約120席 |
用途 | 演劇・舞踊公演 |
旧用途 | 映画館 |
運営 | 羅い舞座グループ |
所在地 |
〒635-0097 奈良県大和高田市北本町9-2 |
位置 | 北緯34度31分6.9秒 東経135度44分32.6秒 / 北緯34.518583度 東経135.742389度座標: 北緯34度31分6.9秒 東経135度44分32.6秒 / 北緯34.518583度 東経135.742389度 |
最寄駅 | 近鉄大阪線大和高田駅から徒歩2分 |
外部リンク | 羅い舞座グループ 弁天座 |
弁天座(べんてんざ)は、奈良県大和高田市にある大衆演劇場。2023年(令和5年)9月29日で閉館したが[1]、2024年(令和6年)1月に御所市の大衆演劇場「羅い舞座(らいぶざ)」グループの劇場「羅い舞座グループ弁天座」として再開した[2]。
歴史
[編集]初代弁天座 - 花月劇場の時代
[編集]1910年(明治43年)、 奈良県北葛城郡高田町内本町12番地において、池端庄太郎・中川八太郎・宮崎亀石の3人が共同で劇場の弁天座(辨天座)を開業[3][4]。高田町としては郡制施行後の1897年(明治30年)に開業した『大黒座』(後の高田劇場、1962年閉館[4][5])に続く2番目の芝居小屋であった。
その後1918年(大正7年)に花月座に改称し[3]、1920年(大正9年)より大阪の吉本興業と5年間契約[3][4]。1940年(昭和15年)に建物を新築し花月劇場に改称するが、市制が敷かれた1948年(昭和23年)に常設映画館に転向[4]。1960年代頃に東宝系映画館『高田花月東宝劇場』となり、1970年(昭和45年)に閉館するまで延べ60年間営業した。
高田キネマ - 高田シネマの時代
[編集]1950年(昭和25年) - 日活専門映画館として大和高田市北本町に『高田キネマ』が開館。当時の座席数は800席[3]。1950年代の大和高田市は映画館の新規開業ラッシュで、高田キネマ以後は高田日本劇場(本郷1)[5]、高田大映(後の高田ホームラン劇場、本郷5)、高田大劇(横大路[6])、高田東映(永和町)が設立開業された[3]。高田大劇は高田キネマと同じ宮崎興業社(後に大和高田映画と改称)の運営である[6]。しかし1960年代から1980年代にかけてひとつまた一つと閉館していき、平成改元後の1990年時点では当館と高田大劇を残すのみとなった。
その後館名を『高田シネマ』に改称[4]。2スクリーン(68席・110席)に分割して営業を続けたが、1999年(平成11年)7月24日、大和高田映画が運営するシネマコンプレックスの橿原シネマアークがオープン[7]。更にイオンシネマ西大和(2000年12月1日)、MOVIX橿原(2001年6月27日、現ユナイテッド・シネマ橿原)、TOHOシネマズ橿原(2004年4月1日)と県内に相次いでシネコンがオープンした結果、高田シネマは2004年(平成16年)8月をもって閉館[8]。2年後の2006年(平成18年)秋頃には高田大劇も営業を停止したため[9]、大和高田市から従来型の映画館が消滅。先述の橿原シネマアークも2009年(平成21年)4月30日をもって閉館しており、宮崎家が所有した映画館はすべて姿を消した[10]。
大衆演劇場時代
[編集]2005年(平成17年)4月1日、高田シネマの2館を統合し、舞台・花道・桟敷席などを設ける改装を行ったうえで大衆演劇場の弁天座が開館[11][8]。経営者は先述の映画館を手掛けた宮崎昌明。曽祖父である宮崎亀石が経営していた弁天座に因んだ名前である[11]。
オープン以来10年以上にわたり黒字経営を維持してきたが、令和改元後の2020年から発生した新型コロナウイルス感染症流行の影響により、高齢者の来場が減少。売り上げも最盛期の3分の1にまで落ち込んだ[12]。これにより2023年(令和5年)9月29日をもって18年半にわたる営業を終えたが[12][1]、同年11月、羅い舞座グループが弁天座の経営に名乗りを上げたことが報じられる[13]。同グループはエアコンや照明など設備の新調を行い、翌2024年(令和6年)1月に『羅い舞座グループ 弁天座』として再開し、現在に至っている[2]。
交通アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b “大和高田の大衆演劇場「弁天座」9月29日閉館 常連客からは惜しむ声も”. 奈良新聞 (奈良新聞社). (2023年9月29日) 2024年9月11日閲覧。
- ^ a b “大和高田市の大衆劇場「弁天座」復活 奈良県内外から観客、地域に再び活気”. 奈良新聞 (奈良新聞社). (2024年3月7日) 2024年9月11日閲覧。
- ^ a b c d e f “市内の劇場・映画館の変遷”. 大和高田市って?. 大和高田市. 2014年4月13日閲覧。
- ^ a b c d e 『大和高田・御所・香芝・葛城の昭和』樹林舎、2016年、218-220頁。
- ^ a b c 『映画年鑑1955年版別冊『全国映画館総覧 1955』』時事通信社、1955年、134頁。「奈良県大和高田市(五館)」
- ^ a b 「映画館」『キネマ旬報』1956年6月下旬号、148号
- ^ 橿原市に複合型映画館『橿原シネマアーク』24日、オープン 最新の音響設備」『毎日新聞』1999年7月14日
- ^ a b 「弁天座(大和高田市) 映画館変じて大衆演劇場 ナマの魅力一家で支え」『毎日新聞』2018年8月8日
- ^ 「たかだ夢まちシアター 黒沢作品上映会 9、10日はファン必見 大和高田」『毎日新聞』2006年9月7日
- ^ “さよなら老舗映画館 奈良の観光会館地下劇場・橿原シネマアーク”. 奈良新聞 (奈良新聞社). (2009年3月9日) 2024年9月11日閲覧。
- ^ a b 「曽祖父の思い出…大衆演劇の芝居小屋を 『弁天座』半世紀ぶり復活」『朝日新聞』2005年4月1日
- ^ a b 浜名晋一 (2023年9月12日). “「芝居の生の魅力伝えた」奈良の大衆演劇場「弁天座」9月末閉館”. 毎日新聞 (毎日新聞社) 2024年9月11日閲覧。
- ^ “大衆演劇場 弁天座 リニューアルオープン!「羅い舞座グループ 弁天座」”. 羅い舞座グループ (2023年11月3日). 2024年9月11日閲覧。