牧野淸人
牧野 淸人 まきの きよと | |
---|---|
陸地測量部長時代 | |
生誕 |
1862年3月20日 備後国東城 |
死没 | 1936年9月2日(74歳没) |
所属組織 | 大日本帝国陸軍 |
軍歴 | 1883 - 1915 |
最終階級 | 陸軍中将 |
指揮 |
基隆要塞司令官 陸地測量部長 東京湾要塞司令官 |
戦闘 | 日清戦争、日露戦争 |
牧野 淸人(まきの きよと、1862年3月20日(文久2年2月20日[1]) - 1936年(昭和11年)9月2日)は、日本の陸軍軍人。最終階級は陸軍中将。
経歴
[編集]1862年(文久2年)、備後国東城(現在の広島県庄原市東城町)にて牧野平二の三男として生まれた。
1881年(明治14年)陸軍士官学校(旧6期)に入校後、1883年(明治16年)12月25日に同校を卒業し[2]、同日、工兵少尉に任官[3]し工兵第一大隊付となる。1887年(明治20年)4月27日工兵中尉に昇進[4]し、1888年(明治21年)12月11日近衛工兵中隊付に[5]、1889年(明治22年)5月14日幼年学校生徒隊中隊付に補される[6]。1891年(明治24年)8月6日、工兵大尉に昇進し、近衛工兵中隊長に補される[7]。
1895年(明治28年)10月22日工兵少佐に昇進[8]し、同日付けで台湾兵站監部副官に就任[9]。その後、工兵監部副官、工兵監部員、工兵第八大隊長などを経て、1901年(明治34年)3月13日、工兵中佐に昇進[10]。同年9月26日、陸軍士官学校教官となり[11]、陸軍大学校兵学教官を経て、1904年(明治37年)5月14日、工兵大佐に昇進[12]。1906年(明治39年)11月25日、近衛工兵大隊長に就任した。
1910年(明治43年)11月30日、陸軍少将に進級し基隆要塞司令官に着任[13]。その後、陸地測量部長、東京湾要塞司令官を経て、1915年(大正4年)2月15日、陸軍中将に昇進[14]。
同年8月10日、待命となり、1915年(大正4年)10月15日予備役に、1925年(大正14年)後備役に編入された。1929年(昭和4年)4月1日に退役し、1936年(昭和11年)9月、75歳で死去。
栄典
[編集]- 位階
- 1884年(明治17年)2月9日 - 正八位[15]
- 1889年(明治22年)7月15日 - 従七位[16]
- 1892年(明治25年)1月12日 - 正七位[17]
- 1896年(明治29年)4月20日 - 従六位[18]
- 1901年(明治34年)6月10日 - 正六位[19]
- 1904年(明治37年)7月2日 - 従五位[20]
- 1909年(明治42年)10月20日 - 正五位[21]
- 1914年(大正3年)11月10日 - 従四位[22]
- 1915年(大正4年)11月30日 - 正四位[23]
- 勲章等
- 1895年(明治28年)
- 11月18日 - 明治二十七八年従軍記章[24]
- 12月27日 - 功五級金鵄勲章・勲六等瑞宝章[25]
- 1901年(明治34年)11月30日 - 勲五等瑞宝章[26]
- 1901年(明治38年)5月30日 - 勲四等瑞宝章[27]
- 1906年(明治39年)4月1日 - 功四級金鵄勲章・勲三等旭日中綬章・明治三十七八年従軍記章[28]
- 1915年(大正4年)
- 外国勲章佩用允許
脚注
[編集]- ^ 陸軍現役将校同相当官実役停年名簿. 大正3年7月1日調、20頁。
- ^ 『官報』第151号、明治16年12月27日。
- ^ 『官報』第160号、明治17年1月14日。
- ^ 『官報』第1151号、明治20年5月4日。
- ^ 『官報』第1639号、明治21年12月14日。
- ^ 『官報』第1762号、明治22年5月17日。
- ^ 『官報』第2433号、明治24年8月8日。
- ^ 『官報』第3732号、明治28年12月5日。
- ^ 『官報』第3768号、明治29年1月23日。
- ^ 『官報』第5306号、明治34年3月14日。
- ^ 『官報』第5472号、明治34年9月27日。
- ^ 『官報』第6260号、明治37年5月16日。
- ^ 『官報』第8234号、明治43年12月1日。
- ^ 『官報』第760号、大正4年2月16日。
- ^ 『官報』第104号、明治17年3月7日。
- ^ 『官報』第1820号、明治22年7月24日。
- ^ 『官報』第2558号、明治25年1月13日。
- ^ 『官報』第3840号、明治29年4月21日。
- ^ 『官報』第5380号、明治34年6月11日。
- ^ 『官報』第6304号、明治37年7月6日。
- ^ 『官報』第7899号、明治42年10月21日。
- ^ 『官報』第684号、大正3年11月11日。
- ^ 『官報』第1000号、大正4年12月1日。
- ^ 『官報』第3958号附録、明治29年9月5日。
- ^ 『官報』号外、明治28年12月30日。
- ^ 『官報』第5525号、明治34年12月2日。
- ^ 『官報』第6627号、明治38年8月2日。
- ^ 『官報』第7034号、明治39年12月8日。
- ^ 『官報』第795号、大正4年3月30日。
- ^ 『官報』第1310号・付録「辞令」、大正5年12月13日。
- ^ 『官報』第6737号、明治38年12月13日。
- ^ 『官報』第7200号、明治40年7月1日。
参考資料
[編集]- 福川秀樹『日本陸軍将官辞典』芙蓉書房出版、2001年。ISBN 9784829502730。
- 外山操 編『陸海軍将官人事総覧 陸軍篇』芙蓉書房、1981年。ISBN 9784829500026。
軍職 | ||
---|---|---|
先代 江藤鋪 |
基隆要塞司令官 第6代:1910年11月30日 - 1912年12月26日 |
次代 高瀬清二郎 |
先代 大久保徳明 |
陸地測量部長 第5代:1912年12月26日 - 1914年6月2日 |
次代 伊部直光 |
先代 落合豊三郎 |
東京湾要塞司令官 第16代:1914年6月2日 - 1916年8月10日 |
次代 宇宿行輔 |