牧健二
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牧 健二(まき けんじ、1892年5月(戸籍上は11月14日) - 1989年7月24日[1])は、日本の法制史家。京都大学名誉教授。
来歴・人物
[編集]京都府天田郡下川口村(現福知山市)出身[1]。京都府立第三中学校・広島高等師範学校[2]を経て、1918年7月に京都帝国大学文科大学史学科[3][4]、また1921年に京都帝国大学法学部卒業[5]。1923年に同大学法学部助教授となり[6]、2年間訪欧し在外研究。帰国して後、1930年に教授[7]となり、1933年の瀧川事件に際しては、大学当局の措置に対して辞表を撤回し残留[8]。1935年「鎌倉時代ノ封建制度ノ研究、殊ニ封建的恩地私領ノ成立ニ就テ」により京都帝国大学法学博士[9][10]。1941年からは法学部長を務め、1945年に退職する[11]。1951年、京都学芸大学講師となり、1957年に教授、同年退職。1960年から1973年まで龍谷大学文学部・経済学部・法学部で教壇に立つ。1975年京都大学名誉教授の称号を授与される。
中田薫との間で、地頭論争を展開した[12]。息子は法制史学者の牧英正。
著書
[編集]- 『日本法制史概論』(弘文堂、1935年)
- 『日本封建制度成立史』(弘文堂、1935年)
- 『日本国体の理論』(有斐閣、1940年)
- 『日本固有法の体系』(日本法理研究会、1941年)
- 『「いへ」の理念と世界観』(星野書店、1945年)
- 『新日本の建設』(星野書店、1946年)
- 『西洋人の見た日本人』(弘文堂、1949年)
- 『近代に於ける西洋人の日本歴史観』(弘文堂、1950年)
- 『日本の原始国家』(有斐閣、1968年)
参考文献
[編集]- 『京都帝国大学史』京都帝国大学、190-193頁。
- 前田正治[要曖昧さ回避]「牧健二氏の訃(学界消息)」『日本歴史』第497号、吉川弘文館、1989年、126頁。
- 高橋典幸 著「地頭論争」、歴史科学協議会 編『戦後歴史学用語辞典』東京堂出版、2012年、141-142頁。ISBN 9784490108187。
脚注
[編集]- ^ a b 前田正治 1989
- ^ 『官報』第798号、大正4年4月2日、p.37
- ^ 『京都帝国大学一覧 自大正7年至大正8年』京都帝国大学、1919年、421頁。NDLJP:940183/217。
- ^ 卒業論文は「大名の成立」(「彙報 本年度卒業論文題目」『藝文』第9巻第5号、京都文学会、1918年、85頁、NCID BA63161336。)。
- ^ 『京都帝国大学一覧 自大正9年至大正11年』京都帝国大学、1921年、367頁。NDLJP:940185/190。
- ^ 『京都帝国大学史』京都帝国大学、1943年、226-227頁。NDLJP:1460809/147。
- ^ 『京都帝国大学史』京都帝国大学、1943年、230頁。NDLJP:1460809/149。
- ^ 西山伸「滝川事件について 牧健二氏・大隅健一郎氏聞き取り」『京都大学大学文書館研究紀要』第7号、京都大学大学文書館、2009年、55-84頁、NAID 120001124587。
- ^ “書誌事項(CiNii Dissertations)”. 国立情報学研究所. 2017年3月13日閲覧。
- ^ 『官報』第2464号、昭和10年3月23日、p.690
- ^ “「京都帝国大学教授牧健二外二名依願免官ノ件」『任免裁可書・昭和二十年・任免巻二百四十六』”. 国立公文書館 (1945年12月28日). 2022年11月11日閲覧。
- ^ 高橋典幸 2012