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牛深ハイヤ節

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牛深ハイヤ節(うしぶかハイヤぶし)は、熊本県天草市牛深(旧牛深市)に江戸時代から伝わる民謡ハイヤ節のルーツには複数の説があり、牛深は発祥地の候補のひとつとされる[1][2][3]

由来や歴史

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  • 作曲者不詳で、江戸時代から伝わっており、1992年12月2日には牛深市(2021年現在の天草市無形民俗文化財に指定された[4]
  • 牛深港は古くから天然の良港として発展した。大阪から鹿児島を往復する海運船の風待ち港としても利用され、ハイヤ節は風待ちの間の娯楽であった[4]
  • 当時熊本を中心に唄われていた「二上がり甚句」を奄美から伝わった「六調」という南国特有の熱狂的なリズムで味付けをし、独特の節回しを持つ「牛深ハイヤ節」が誕生したと言われる[要出典]
  • ハイヤという名前の由来は、元々"南風"のことを九州で"ハエの風"と呼んでいることが起因で、ハエがハエヤになり、やがてハイヤへと訛っていったと言われている[要出典]
  • 北側を山に、残り三方を海に囲まれた牛深は、南風が吹くと雨が降りやすく、海が荒れて出航できなくなるため、そんな風待ちの酒盛りの席で良く唄われていた[要出典]
  • 江戸時代、帆船の舵取りは一晩中唄うことが義務付けられていたため、船頭たちにとって、シケの時の酒盛りは、唄を仕入れる格好の場となっていた[要出典]
  • 風待ちやシケ待ちのため牛深に寄港した船乗りたちは、陽気な「ハイヤ節」を肴に酒宴を開き、その思い出を「牛深三度行きゃ三度裸、鍋釜売っても酒盛りゃしてこい」と唄い、次の港へと伝えていった。それが、全国各地40ヶ所以上の地方へ伝わり、その土地土地の民謡にハイヤを取り入れた事から「牛深ハイヤ節」は全国40ヶ所のハイヤ系民謡のルーツと言われている[要出典]

踊り

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ハイヤの踊りは、元々が船乗り達の酒盛り踊りであったため、中腰で重心が低く、また網投げ・櫓漕ぎなどの動きが特徴となっている[要出典]

牛深では、ハイヤ総踊りを伴う「牛深ハイヤ祭り」が毎年行われている[5]

歌詞

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牛深ハイヤ節は12番まである。

1番

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ハイヤエー ハイヤ
ハイヤで今朝出した船はエー
何処の港にサーマ入れたやらエー

エーッサ
牛深三度行きゃ 三度裸
鍋釜売っても 酒盛りゃして来い
戻りゃ本渡瀬戸徒歩渡り
(アヨイサーヨイサー) ヨイサーヨイサー
(サッサヨイヨイ) サッサヨイヨイ

脚注

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  1. ^ 町田 喜章、浅野 健二『日本民謡集』岩波書店〈岩波文庫〉、1960年、349-350頁。 
  2. ^ 仲井 幸二郎、丸山 忍、三隈 治雄『日本民謡辞典』東京堂出版、1972年、64頁。 
  3. ^ 仲井 幸二郎、丸山 忍、三隈 治雄『日本民謡辞典』東京堂出版、1972年、264-265頁。 
  4. ^ a b 観光文化部 文化課. “牛深ハイヤ節”. 天草市ホームページ. 天草市. 2021年8月17日閲覧。
  5. ^ 牛深ハイヤ祭り実行委員会. “牛深ハイヤ祭り公式ホームページ 熊本牛深の伝統芸能”. 天草市牛深支所産業振興課. 2021年8月17日閲覧。

関連項目

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