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牛嶋俊一郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

牛嶋 俊一郎(うしじま しゅんいちろう)は、日本経済企画官僚経済学者。元経済企画庁総合計画局長、埼玉大学経済学部教授1997年から1年間、ロシア経済省に外国政府関係者として初めて派遣され、経済改革支援に従事した[1]

経歴・人物

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長崎県出身[2]長崎県立長崎東高等学校を経て[3]1971年東京大学経済学部経済学科卒業後、経済企画庁に入庁[4]。官庁エコノミストとしての活動に加えて、経済協力開発機構(OECD)エコノミストや同日本代表部参事官などを務め、国際経験を積んだ[5]。こうした経歴を買われ、ロシア経済省からの要請に応える形で1997年に同省顧問として派遣された[5]。任期中には金融政策地下経済に関する推計を行ったほか、財政投融資システムの導入を提案した[1]。帰国後、経済企画庁総合計画局長や内閣府経済社会総合研究所次長、OECD経済政策委員会副議長などを歴任し、2004年9月に退官[4]。退職後は電通顧問を務めたほか、東京経済大学埼玉大学で教鞭を執った[4]

略歴

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著訳書

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  • 『OECD日本経済白書2007』 共訳、OECD編、中央経済社、2007年
  • 『OECD対日経済審査報告書2009年版』 共訳、OECD編著、明石書店、2010年

脚注

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  1. ^ a b 「ビジネス情報 ロシアでは国の主導必要-牛嶋俊一郎さん」『毎日新聞』1998年5月23日付東京版朝刊、12面。
  2. ^ 「経企庁事務次官に中名生総合計画局長」『毎日新聞』1999年8月24日付東京版夕刊、4面。
  3. ^ 「第二次合格者名簿」『東京大学新聞』1966年3月21日付、5面。
  4. ^ a b c d e f g 牛嶋俊一郎教授 履歴・業績」『社会科学論集』第139号、埼玉大学経済学会、2013年6月、巻頭1-4p、ISSN 05597056CRID 15208538331079251202023年7月7日閲覧 
  5. ^ a b 「ひと 牛嶋俊一郎さん=経済改革支援でロシア経済省に派遣」『毎日新聞』1997年6月4日付東京版朝刊、5面。

関連項目

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先代
中名生隆
経済企画庁総合計画局長
1999年 - 2001年
次代
廃止
先代
新設
経済社会総合研究所次長
2001年 - 2004年
次代
大守隆