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片桐貞央

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
片桐貞央

片桐 貞央(かたぎり さだひさ[1] / さだなか[2][3]1880年明治13年)4月28日[1] - 1956年昭和31年)1月7日[1][2])は、大正から昭和期の政治家華族貴族院子爵議員。旧姓・水野[1]、幼名・央[4]、法諱・宗昌[1]

経歴

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紀伊新宮藩主・水野忠幹の六男として生まれる[1][4]。先代、子爵片桐貞健の死去に伴い家督を継承し、1892年(明治25年)8月16日、子爵を襲爵した[5][6]。同年9月5日、貞央と改名した[3][4]

1911年(明治44年)9月、東京帝国大学法科大学政治学科を卒業[2][5]。狩猟調査会委員、農林審議会委員、矢作水力役員、大阪タクシー自動車役員などを務めた[2][5]

1914年(大正3年)2月28日、貴族院子爵議員補欠選挙で当選し[7][8]研究会に所属して活動し[2]、1939年(昭和14年)7月9日まで4期在任した[2][5]

親族

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脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i j 『平成新修旧華族家系大成 上巻』418-419頁。
  2. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』40頁。
  3. ^ a b 『官報』第2759号、明治25年9月6日。
  4. ^ a b c 『大日本華族大鑑』74頁。
  5. ^ a b c d 『人事興信録 14版 上』カ83頁。
  6. ^ 『官報』第2742号、明治25年8月17日。
  7. ^ 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、23頁。
  8. ^ 『官報』第475号、大正3年3月2日。

参考文献

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  • 筒井住蓮編『大日本華族大鑑』都通信社、1911年。
  • 人事興信所編『人事興信録第 14版 上』人事興信所、1943年。
  • 『貴族院要覧(丙)』昭和21年12月増訂、貴族院事務局、1947年。
  • 霞会館華族家系大成編輯委員会『平成新修旧華族家系大成 上巻』霞会館、1996年。
  • 衆議院・参議院編『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。


関連項目

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日本の爵位
先代
片桐貞健
子爵
小泉片桐家第2代
1892年 - 1946年
次代
片桐貞臣