片岡市蔵 (5代目)
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ごだいめ かたおか いちぞう 五代目 片岡 市蔵 | |
屋号 | 松島屋 |
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定紋 | 銀杏の丸 |
生年月日 | 1916年2月10日 |
没年月日 | 1991年6月30日(75歳没) |
本名 | 片岡 太郎 |
襲名歴 | 1. 片岡太郎 2. 五代目片岡市蔵 |
俳名 | 我升 |
出身地 | 東京市 |
父 | 四代目片岡市蔵 |
子 | 六代目片岡市蔵 四代目片岡亀蔵 |
当たり役 | |
『天衣紛上野初花』(河内山)の北村大膳 『一谷嫩軍記』(熊谷陣屋)の平山武者所・梶原景高 『仮名手本忠臣蔵』の鷺坂伴内 | |
五代目 片岡 市蔵(ごだいめ かたおか いちぞう、1916年(大正5年)2月10日 -1991年(平成3年)6月30日)は歌舞伎役者。本名は片岡 太郎(かたおか たろう)。屋号は松島屋、定紋は銀杏丸。俳名は我升。東京市出身。
来歴
[編集]- 1916年(大正5年)2月10日、四代目片岡市蔵の子として生まれる。
- 1922年(大正11年)1月、新富座『吉様参由縁音信』(湯灌場吉三)の子役で初舞台
- 1934年(昭和9年)10月、歌舞伎座『桐一葉』の片桐出雲守で五代目片岡市蔵を襲名、名題昇進。
- 1991年(平成3年)6月30日、営団地下鉄千代田線湯島駅でホームから転落事故死。
芸風・人物
[編集]名脇役として知られる。
戦後は七代目松本幸四郎一座に入り、幸四郎没後は十一代目市川團十郎門下に入っている。
『天衣紛上野初花』(河内山)の北村大膳、『一谷嫩軍記』(熊谷陣屋)の平山武者所や梶原景高、『仮名手本忠臣蔵』の鷺坂伴内など当たり役も多い。事故死した1991年の6月歌舞伎座『鬼一法眼三略巻・一条大蔵譚』の八剣勘解由役が最後の舞台となった。
家族
[編集]子供は3人おり、長男が六代目片岡市蔵、次男が四代目片岡亀蔵、 長女は落語家の春風亭一朝の元へ嫁いでいる。
外部リンク
[編集]- 歌舞伎俳優名鑑 想い出の名優篇 「五代目片岡市蔵」 - 歌舞伎 on the web