片山純一
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EKC BaseballClub 習志野SEALS 監督 | |
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基本情報 | |
国籍 | 日本 |
出身地 | 広島県 |
生年月日 | 1982年9月29日(42歳) |
身長 体重 |
179 cm 79 kg |
選手情報 | |
投球・打席 | 左投左打 |
ポジション | 投手 |
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
選手歴 | |
指導者歴 | |
この表について
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片山 純一(かたやま じゅんいち、1982年9月29日 - )は、広島県三原市出身の元社会人野球選手 (投手)。
来歴
[編集]三原市立南小学校在学時には軟式の三原ジュニアに所属し[1]、三原市立第三中学校在学時には軟式野球部でプレーした[要出典]。
広島市の広島県瀬戸内高等学校では、3年時に4番外野手兼投手として第82回全国高等学校野球選手権大会に出場した[2]。
高校卒業後は東都大学野球連盟の亜細亜大学に進学[1][3]。3年春には第52回全日本大学野球選手権で準優勝を果たし[2]、大会後には第32回日米大学野球選手権大会の日本代表に選出された[4][5]。
大学卒業後の2005年に地元・広島のJR西日本に入社するが、6月に野球部が一時休部となった[6]。2006年にJR東日本に移籍。
2012年に行われた第26回アジア野球選手権大会に30歳にして日本代表初選出[7]。金メダル獲得に貢献しMVPを受賞した[8]。
2013年には第84回都市対抗野球大会では4試合で2勝を挙げ、敢闘賞にあたる久慈賞を受賞した[7][9]。
社会人野球12年目となった[5]2016年限りで現役を引退[3]。
2023年から福島県いわき市を拠点に活動を始めた社会人野球のEKC BaseballClub 習志野SEALSの監督に就任[10]。
日本代表キャリア
[編集]- 第52回全日本大学野球選手権(2003年)
- 第26回アジア野球選手権大会(2012年)
- 第6回東アジア競技大会(2013年)
- 第17回アジア競技大会(2014年) - 故障のため出場辞退[11]
- 第27回アジア野球選手権大会(2015年)
- ワールド・ベースボール・チャレンジ(2016年)
主な表彰・タイトル
[編集]- 第84回都市対抗野球大会 - 久慈賞 (2013年)
- 都市対抗野球大会10年連続出場(2015年)
脚注
[編集]- ^ a b “片山純一”. 侍ジャパン. 2020年4月23日閲覧。
- ^ a b “侍ジャパン社会人代表選手紹介/片山純一(JR東日本・投手)”. 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト (2015年9月14日). 2022年12月31日閲覧。
- ^ a b ““ミスター社会人”JR東日本・片山 今季限りで引退へ”. スポーツニッポン. (2016年11月10日) 2020年4月23日閲覧。
- ^ “第32回 オールジャパンメンバー”. 全日本大学野球連盟. 2022年12月31日閲覧。
- ^ a b c “『都市対抗野球』の魅力を“中の人”に聞いてみた! 社会人野球ならではのドラマとは【前編】”. SPICE - エンタメ特化型情報メディア スパイス (2022年6月27日). 2022年12月31日閲覧。
- ^ 「脱線事故と向き合う決意 活動休止のJR西硬式野球部が8年ぶりに再開、公式戦“デビュー”へ」『MSN産経west』2013年9月11日。オリジナルの2013年10月24日時点におけるアーカイブ。2020年4月23日閲覧。
- ^ a b “G高木勇だけじゃない“遅咲きの男たち” JR東日本の左腕、33歳・片山投手 (1/2ページ)”. ZAKZAK (2015年6月4日). 2022年12月31日閲覧。
- ^ 「Final Report」『BASEBALL FEDERATION OF JAPAN』(PDF)、2012年12月4日。2022年12月31日閲覧。
- ^ “首位打者の東芝・石川は若獅子賞も、久慈賞にJR東・片山”. スポーツニッポン (2013年7月23日). 2022年12月31日閲覧。
- ^ “「もう一度 野球で輝け」 元日本代表左腕が監督、福島・いわきで始動”. 毎日新聞. (2023年12月13日) 2024年5月12日閲覧。
- ^ “侍ジャパン社会人代表 派遣選手変更 並びに直前強化合宿予定のお知らせ”. 一般財団法人 全日本野球協会 (2014年9月9日). 2022年12月31日閲覧。
外部リンク
[編集]- 片山純一 - 野球日本代表 侍ジャパンオフィシャルサイト