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片山 知的(かたやま ちてき、生年不詳 - 嘉永3年(1850年)頃)は、江戸時代の山形藩士で囲碁棋士。秋元但馬守家臣で、安井知得仙知門下、六段。[1]
江戸詰めで浜町に住し、文化13年(1816年)に四段に進み、後六段となる。長坂猪之助、関山仙太夫とともに武家三強とも呼ばれる。
打碁は約50局、奥貫智策と12局、佐藤源次郎と13局などが残されている。文化4〜6年に知得に二子で数局、文化9年に三段で井上幻庵因碩(服部立徹)に向先、文政3年(1820年)に同じく因碩(井上安節)に五世井上因碩追悼碁会での先相先先番がある。
- ^ 『坐隠談叢』には、出雲の人で本姓鈴木との記述もある。