煕明親王
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煕明親王(ひろあきらしんのう、? - 貞和4年/正平3年1月8日(1348年2月7日)[1])は鎌倉幕府第8代征夷大将軍久明親王の皇子。後深草天皇の皇孫。品位は三品、役職は兵部卿[1]。
背景と生涯
[編集]当時、持明院統と大覚寺統で皇統が分かれていた。さらに、その持明院の中でも分かれており、久明親王の兄の煕仁親王が伏見天皇として践祚し、そのまま皇統が続いていたので、新宮家を作ることもなかった。また、征夷大将軍の職は久明親王の第1王子の守邦親王が継いだので、その職につくこともなく、そのまま生涯を終えようとしていたが、五辻宮守良親王が嘉暦2年(1327年)に継嗣を煕明親王に譲ったため、2代五辻宮となった。しかし、五辻宮は煕明親王の代で断絶した。