焼山駅
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焼山駅 | |
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やけやま Yakeyama | |
◄砂川 (3.9 km) (4.4 km) 文珠► | |
所在地 | 北海道砂川市焼山 |
所属事業者 | 北海道旅客鉄道(JR北海道) |
所属路線 | 歌志内線 |
キロ程 | 3.9 km(砂川起点) |
電報略号 | ヤケ |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1961年(昭和36年)12月25日[1] |
廃止年月日 | 1988年(昭和63年)4月25日[1] |
備考 | 歌志内線廃線に伴い廃駅 |
焼山駅(やけやまえき)は、かつて北海道(空知管内)砂川市焼山に置かれていた、北海道旅客鉄道(JR北海道)歌志内線の駅(廃駅)である。電報略号はヤケ。事務管理コードは▲131606[2]。
歴史
[編集]年表
[編集]- 1947年(昭和22年):保線員のため、1日2往復停車の仮乗降所が設けられる[3][注 1]。
- 1948年(昭和23年)7月1日:大曲線路班(起点3.8 km)として一部停車[1]。
- 1955年(昭和30年)6月1日:焼山線路班(起点3.8 km)に名称変更[1]。引き続き一部停車[1]。
- 1961年(昭和36年)12月25日:砂川 - 文殊間の起点3.9 kmに、旅客駅として開業[1][4]。気動車の旅客のみを取り扱う駅員無配置駅[5]。
- 1965年(昭和40年)10月:待合室を設置[1]。
- 1986年(昭和61年)11月:乗車券の発売を停止。
- 1987年(昭和62年)4月1日:国鉄分割民営化により、JR北海道に継承[1]。
- 1988年(昭和63年)4月25日:歌志内線の廃線に伴い、廃駅となる[1]。
駅名の由来
[編集]駅名は所在地の地域名から採られた。なお、地域名が「焼山」となった説については諸説ある。蒸気機関車の煤煙が原因で山火事がしばしば起こったからという説や、1892年(明治25年)に開拓民が初めてこの地に入地した時に列車の煤煙で山火事になったからという説[6]、さらには、空知線の敷設工事が進められていた1888年(明治21年)にたまたま付近で山火事があり、鉄道建設関係者により通信上の渾名としてこの地点を「焼山」と名付けたことによるという説[7]もある。
駅構造
[編集]廃止時点で、単式ホーム1面1線を有する無人駅であった。片流れ屋根の待合室は、ホームから少し離れて置かれていた。
周辺施設
[編集]- 北海道道627号文珠砂川線
- 道央自動車道
- 砂川市立焼山小学校(閉校)
- 砂川希望学園
代替交通
[編集]→「歌志内線 § 代替交通」も参照
歌志内線の廃止に伴い、北海道中央バスの焼山線が新設され、当駅付近には「焼山」停留所が設置されていた。しかし2019年4月1日のダイヤ改正で廃止となり[8][9]、当駅付近を通る路線バスは消滅した(歌志内線の他の駅付近については、北海道中央バスの「歌志内線」が経由する)。
隣の駅
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 従業員だけでなく周辺住民も利用していたとのこと。
出典
[編集]- ^ a b c d e f g h i 石野哲 編『停車場変遷大事典 国鉄・JR編 II』(初版)JTB、1998年10月1日、843頁。ISBN 978-4-533-02980-6。
- ^ 日本国有鉄道営業局総務課 編『停車場一覧 昭和41年3月現在』日本国有鉄道、1966年、222頁。doi:10.11501/1873236 。2022年12月10日閲覧。
- ^ 砂川市史 1971年発行 P1523
- ^ 「日本国有鉄道公示第593号」『官報』1961年12月22日。
- ^ 「通報 ●歌志内線焼山駅の設置について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1961年12月22日、4面。
- ^ 砂川市史 P374。
- ^ 砂川市史 P186。
- ^ “2019年4月1日夏ダイヤ改正に伴う 路線廃止のおしらせ”. 北海道中央バス. 2019年9月22日閲覧。
- ^ “中央バス「焼山線」の廃止について”. 歌志内市. 2019年9月22日閲覧。