為藤五郎
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為藤 五郎(ためとう ごろう、1888年(明治21年)2月1日[1] - 1941年(昭和16年)7月4日[2])は、日本の教育者、政治家。
経歴
[編集]福岡県築上郡三毛門村(現在の豊前市)出身[3]。福岡県師範学校を経て、1911年(明治44年)に東京高等師範学校を卒業[3]。福岡県小倉師範学校教諭、鹿児島県師範学校教諭を経て、「東京日日新聞」記者となる[3]。後に博文館に転じ、雑誌「中学世界」主筆、「太陽」編集長を務めた[4]。関東大震災後、東京府嘱託となり、『大正大震災史』の著述に当たった[3]。その後、教育週報社社長・主筆を務めた[4]。
また社会民衆党中央執行委員となり、東京府会議員、東京市会議員に選出された[4][5]。そのほか、衆議院議員総選挙にも2度出馬したがいずれも落選した[1]。
その他、帝国教育会理事、帝都教育会理事、茗渓会理事を務めた[6]。
著書
[編集]- 『大正新立志伝』(大日本雄弁会、1906年)
- 『民衆政治講座』(クララ社、1929年)
- 『現代農村の教育 教育村「神興」の真髄』(東洋図書、1930年)
- 『教育の社会性』(自由社、1931年)
- 『教育小説 訓導の上京』(東洋図書、1935年)
脚注
[編集]- ^ a b “豊前人物誌 > 為藤五郎”. 豊前市公式ホームページ. 2024年8月23日閲覧。
- ^ 20世紀日本人名事典 2004.
- ^ a b c d 在京福岡県人物誌 1930, pp. 144–146.
- ^ a b c 大衆人事録 1939.
- ^ 人事興信録 1931.
- ^ 人事興信録 1943.
参考文献
[編集]- 石田秀人編『在京福岡県人物誌』我観社、1930年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第13版』帝国秘密探偵社、1939年。
- 『20世紀日本人名事典』日外アソシエーツ、2004年。