瀬頭弥八
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瀬頭 弥八(瀬頭 彌八[1]、せとう やはち、1877年(明治10年)2月[1] - 没年不明)は、日本の醸造家、銀行家、政治家、長崎県多額納税者[2][3]。長崎酒造組合長[1]。諫早銀行取締役[1][3]。諫早市会議員[3]。族籍は長崎県平民[4]。
人物
[編集]佐賀県・瀬頭太次の五男[1][4]。瀬頭平八の弟[2]。1908年、兄・平八方より分家し[1]、佐賀県より諌早に酒造業を創業[5]。酒造業を営み[1][2][4]、諫早市参事会員である[1]。
趣味は碁、園芸[3]。宗教は真宗[3]。住所は長崎県北高来郡諫早町[4](現・諫早市[3])。
家族・親族
[編集]- 瀬頭家
- 兄・平八(1860年 - ?、瀬頭酒造、五町田酒造各代表)[1][6] - 住所は佐賀県藤津郡五町田村[6](のち藤津郡塩田町五町田、現・嬉野市塩田町五町田)。
- 妻・ヨウ(1886年 - ?、佐賀、原誠助の妹[1][2]、原栄助の三女[4])
- 長男・大治[3](1913年 - 1973年、黎明酒造社長) - 住所は諫早市八坂町。
- 娘[1]
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『人事興信録 第14版』セ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月20日閲覧。
- ^ a b c d 『人事興信録 第8版』セ8頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月20日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』長崎9頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月21日閲覧。
- ^ a b c d e 『人事興信録 第7版』せ3頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月20日閲覧。
- ^ “長崎市場と需要開発について” (PDF). 醸協. 2023年8月20日閲覧。
- ^ a b 『人事興信録 第9版』セ6頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年8月20日閲覧。
参考文献
[編集]- 人事興信所編『人事興信録 第7版』人事興信所、1925年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 人事興信所編『人事興信録 第9版』人事興信所、1931年。
- 人事興信所編『人事興信録 第14版 上』人事興信所、1943年。
- 帝国秘密探偵社編『大衆人事録 第14版 近畿・中国・四国・九州篇』帝国秘密探偵社、1943年。