瀬野汽船
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瀬野汽船・四国開発フェリー本社 | |
種類 | 株式会社 |
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市場情報 | 非上場 |
本社所在地 |
日本 〒794-0024 愛媛県今治市共栄町2丁目3-1 |
設立 | 1954年8月 |
業種 | 海運業 |
法人番号 | 2500001011794 |
事業内容 |
船舶貸渡業(船主) 船舶管理業 |
代表者 | 代表取締役社長 瀬野洋一郎 |
資本金 | 3,100万円 |
売上高 | 380億円(外航部門)[1] |
従業員数 | 陸上 25名・海上 1,500名[1] |
主要子会社 |
四国開発フェリー株式会社 東予産業株式会社 |
瀬野汽船株式会社(せのきせん)は、愛媛県今治市共栄町に本社を置く日本の海運会社である。
概要
[編集]1956年に愛媛県で初めて外航船を建造した企業であり[2]、四国開発フェリー等とともに東京-大阪-那覇間を定期運航するRO-RO船「しゅり」を共同保有し、その運航を近海郵船物流に委託するなど[3]、船舶貸渡業を営んでいる。
また、前述の四国開発フェリー株式会社の主要株主であり[4]、四国開発フェリーの関連会社の九四オレンジフェリー株式会社等ともに企業グループを形成している。本社所在地にはかって富士貯蓄信用組合(1999年に伊予銀行に吸収合併)の本店が置かれていた。
社団法人日本船主協会[5]、及び、社団法人日本海運集会所[6]の会員である。
沿革
[編集]- 1946年 - 瀬野政次郎と利一が300トン積みの機帆船で事業開始(九州の炭鉱で買い付けた石炭を坂出の塩田まで運び販売していた)[7]。
- 1954年 - 「瀬野汽船有限会社」設立[7]。
- 1956年 - 「瀬野汽船株式会社」に組織変更[7]。
- 1970年 - 四国開発フェリー株式会社を設立。
- 1972年 - 四国開発フェリーが東予~大阪間にフェリー航路を開設。
- 1977年 - 大型遠洋船(36,000トン積み)に挑戦[8]。
- 1978年 - 自動車専用船(4,500台積み)に挑戦[8]。
- 1985年 - ケープサイズバルカー(140,000トン積み)に挑戦[8]。
- 1986年 - ニューヨーク航路コンテナ船(2,500個積み)に挑戦[8]。
- 1987年 - 内航RO-RO船(10,000トン型)に挑戦[8]。
- 1993年 - 国内電力向け石炭船(69,000トン積み)に挑戦[8]。
- 2003年 - 九四オレンジフェリーが九四フェリーボートの事業を継承し、八幡浜~臼杵間にてフェリー航路の運航を開始。鉱炭船(200,000トン積み)に挑戦[8]。
- 2008年 - 鉱石専用船(300,000トン積み)に挑戦[8]。
- 2004年 - 現在地に本社移転。
- 2020年 - 新社屋が新築落成。
グループ会社
[編集]- 四国開発フェリー株式会社(海運業)
- 九四オレンジフェリー株式会社(海運業)
- 石鎚株式会社(飲食業)
- 長山産業株式会社(陸運業)
- ひうち物流株式会社(陸運業)
- 東予産業株式会社(船舶貸渡業)
脚注
[編集]- ^ a b いよぎん地域経済研究センター(2023年)『THE COMPANY 愛媛の経営者が語るターニングポイント そして未来へ』、アトラス出版、82頁。
- ^ 海運業の発達と現状 世界に誇れる地場産業『愛媛船主』の概要 (PDF) (p.39) - 愛媛銀行(船舶ファイナンス室 日野満 著、2012年8月付、同年9月25日閲覧)
- ^ 会報「中小型造船」 No.349 日本財団図書館(電子図書館)
- ^ 四国開発フェリー オレンジフェリー 会社概要
- ^ メンバー会社の紹介 社団法人日本船主協会
- ^ 業種別会員名簿-海運 社団法人日本海運集会所
- ^ a b c いよぎん地域経済研究センター(2021)『IRC Monthly』、2021年2月号(No,392)、3頁。
- ^ a b c d e f g h いよぎん地域経済研究センター(2023年)『THE COMPANY 愛媛の経営者が語るターニングポイント そして未来へ』、アトラス出版、83頁。