瀬戸山兼斌
表示
瀬戸山 兼斌(せとやま けんびん[1]、1885年(明治18年)4月29日[1] - 没年不明)は、明治時代後期から昭和時代前期の台湾総督府官僚。旧姓は加藤[1]。
経歴・人物
[編集]加藤里志の三男として[1]鹿児島県大島郡東方村(現・瀬戸内町古仁屋)に生まれ[2]、瀬戸山瀬助の養子となる[1]。1904年(明治37年)大島郡古仁屋村外12箇村立戸長役場に奉職し、学務係および衛生係主任を務めたのち[2]、1905年(明治38年)渡台し、澎湖庁雇として通信事務員となり、1910年(明治43年)2月、府通信手に進んだ[1]。
ついで基隆郵便局勤務に転じ、府属秘書課勤務、台北州勤務、台北州海山郡守、高雄州旗山郡守、新竹州中壢郡守を歴任し、1932年(昭和7年)3月、退官する[1]。1935年(昭和10年)11月、台北市会議員選挙に当選し、1939年(昭和14年)11月に再選した[1]。ほか、台湾法制研究会長を務めた[1]。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 原幹洲 編『南進日本第一線に起つ新台湾之人物』拓務評論社台湾支社 勤労富源社、1931年 。
- 興南新聞社 編『台湾人士鑑』呂霊石、1943年 。