瀬川村 (長崎県)
表示
せがわむら 瀬川村 | |
---|---|
廃止日 | 1957年3月31日 |
廃止理由 |
新設合併 西海村、瀬川村 → 西海村 |
現在の自治体 | 西海市 |
廃止時点のデータ | |
国 | 日本 |
地方 | 九州地方 |
都道府県 | 長崎県 |
郡 | 西彼杵郡 |
市町村コード | なし(導入前に廃止) |
総人口 |
6,538人 (国勢調査、1955年) |
隣接自治体 | 西彼杵郡西海村、大串村 |
瀬川村役場 | |
所在地 | 長崎県西彼杵郡瀬川村大字川内丹納郷 |
座標 | 北緯33度03分53秒 東経129度41分21秒 / 北緯33.06481度 東経129.68911度座標: 北緯33度03分53秒 東経129度41分21秒 / 北緯33.06481度 東経129.68911度 |
ウィキプロジェクト |
瀬川村(せがわむら)は、長崎県の西彼杵半島にあった村。西彼杵郡に属した。1957年(昭和32年)に南西隣[1]の西海村と合併し、あらためて発足した西海村の一部となった。
現在の西海市西海町の北東部にあたる。
地理
[編集]- 島嶼:浄土島、八ノ子島
- 河川:高地川、木場川、面高川
- 港湾:瀬川港、横瀬浦、巣喰ノ浦
沿革・歴史
[編集]- 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行により、横瀬村と川内村が合併し西彼杵郡瀬川村が発足。
- 1956年(昭和31年)8月27日 - 竜巻が発生。71戸が全壊[2]。
- 1957年(昭和32年)3月31日 - 西海村と合併して改めて西海村が発足し、瀬川村は自治体として消滅。
地名
[編集]郷を行政区域とする。また、郷の名称に大字(川内・横瀬)を冠する[3][4]。
- 大字川内
- 太田原郷
- 木場郷(こば)
- 丹納郷
- 本郷[5]
- 大字横瀬
- 本郷[6]
- 水浦郷
名所・旧跡
[編集]脚注
[編集]- ^ 市町村変遷パラパラ地図 完全版 長崎県 1957年3月22日
- ^ 日外アソシエーツ編集部編 編『日本災害史事典 1868-2009』日外アソシエーツ、2010年、113頁。ISBN 9784816922749。
- ^ 西海村との合併時に大字が廃止され、郷のみの表示となった。
- ^ 『西彼杵郡現勢一班』瀬川村現勢内容のうち「五、大字及郷」の項目では、下記の6郷以外に存在する郷として大字川内に石田郷・江里郷・日守郷・開田郷・濱郷・古里郷・高地郷、大字横瀬に畑下郷・小郡郷・横瀬東上郷・横瀬東下郷・横瀬西上郷・横瀬西下郷・寄船郷の各郷名が記載されているが、いずれも村内における行政上の地区分けとみられる。
- ^ 西海村との合併時に川内郷に改称。
- ^ 西海村との合併時に横瀬郷に改称。