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瀧浪貞子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

瀧浪 貞子(たきなみ さだこ、1947年8月 - )は、日本の日本古代史学者。学位は、博士(文学)筑波大学論文博士・1992年)(学位論文『日本古代宮廷社会の研究』)。京都女子大学名誉教授。専攻は飛鳥時代奈良時代平安時代の日本古代史[1]

略歴

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大阪府生まれ。大阪府立高津高等学校を卒業して京都女子大学文学部に進み、1971年、同学部東洋史学科を卒業する[2]。同学大学院で研究を続け、1973年、日本史専攻修士課程を修める。1992年筑波大学より博士(文学)の学位を授与された[3][2]

樟蔭中学校講師などを経て[1]、1982年より母校の京都女子大学文学部専任講師を務めると、助教授(1986年)、教授に就任(1994年)[2]。研究活動を続け著作の発表、書評を手掛ける[注釈 1]。2013年に教授職を定年で退き名誉教授となる[2]

古代参議制

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初期参議の職掌を国政の審議 ・合議で進む「参議朝政」とした通説に対して、瀧浪は「待問参議論」を展開した[6]

主な著作

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共編著・監修、解説

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  • 「京都御苑と京都御所」(原田伴彦ほか編、講談社、『京都千年 4』、103頁) 1984 doi:10.11501/9575575国立国会図書館内/図書館送信。
  • 「別業の世界」(吉田光邦, 森谷尅久編、至文堂、『文化複合体としての京都』) 1985
  • 「平安京再現」(高橋曻共著、平凡社、『太陽』第32巻第3号 (通号393)、17頁) 1994.3
  • 「書評と紹介 目崎徳衛著『貴族社会と古典文化』」(日本歴史学会編、吉川弘文館、『日本歴史』第573号、110-112頁) 1996.2 、doi:10.11501/7910630、ISSN 0386-9164。国立国会図書館内限定公開。
  • 『宮城図』(村井康彦共解説、陽明文庫編、思文閣出版、陽明叢書 記録文書篇 別輯) 1996
  • 源氏物語を読む 歴史と古典』(編、吉川弘文館) 2008
  • 『旧石器?平安時代』(山岸良二, 朧谷寿共監修、ポプラ社、日本の歴史1) 2009

脚注

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注釈

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  1. ^ 教授時代の執筆活動には『最後の女帝孝謙天皇』(吉川弘文館〈歴史文化ライブラリー〉)、『帝王聖武 天平の勁き皇帝』(講談社)〈選書メチエ〉)、『女性天皇』〈集英社新書〉ほか随想[4][5]がある。

出典

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  1. ^ a b 『持統天皇』/瀧浪貞子インタビュー”. Web中公新書. 中央公論新社. 2021年12月13日閲覧。
  2. ^ a b c d 瀧浪貞子「瀧浪貞子教授 略年譜・著作目録」『史窓』第070巻、京都女子大学史学会、2013年2月、67-78頁、ISSN 0386-8931NAID 120005284917 
  3. ^ 滝浪貞子『日本古代宮廷社会の研究』 筑波大学〈博士 (文学) 乙第819号〉、1992年。doi:10.11501/3072500NAID 500000102577NDLJP:3072500https://hdl.handle.net/2241/4307 
  4. ^ 瀧浪貞子「忙中閑筆 道鏡の“復権”」『歴史と旅』第21巻19 (通号323)、秋田書店、1994年12月、310-31頁、doi:10.11501/7947500 コマ番号0159.jp2、国立国会図書館書誌ID:000000025897
  5. ^ 1996, pp. 110–112.
  6. ^ 乕尾達哉『古代参議制の研究』 京都大学〈博士 (文学) 乙第9485号〉、1997年。doi:10.11501/3123533NAID 500000144409https://hdl.handle.net/2433/202254 
  7. ^ 三浦 充喜「書評 瀧浪貞子「光明皇后」」『国体文化 : 日本国体学会機関誌』第1127号、日本国体学会、武蔵野市、2018年4月、22-24頁、ISSN 2187-5030国立国会図書館書誌ID:028931697 
  8. ^ 木本 好信「書評 瀧浪貞子著『光明皇后』」『竜谷史壇』第147号、龍谷史学会(編)、京都、2019年2月、41-52頁。 掲載誌別題『The journal of history of Ryukoku University』。