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瀧川家住宅

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
瀧川家住宅
情報
構造形式 木造瓦葺[1]
建築面積 125 m² [1]
階数 平屋建[1]
所在地 愛知県新城市出沢字中ケ谷4
座標 北緯34度56分27.8秒 東経137度32分17.5秒 / 北緯34.941056度 東経137.538194度 / 34.941056; 137.538194 (瀧川家住宅)座標: 北緯34度56分27.8秒 東経137度32分17.5秒 / 北緯34.941056度 東経137.538194度 / 34.941056; 137.538194 (瀧川家住宅)
文化財 登録有形文化財
指定・登録等日 2005年2月9日[1]
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瀧川家住宅(たきがわけじゅうたく)は、愛知県新城市出沢字中ケ谷4にある邸宅

瀧川家は代官を務めた家であり、旗本の設楽氏の陣屋を移築して主屋としている[2]。主屋・長屋門・祠が登録有形文化財。同じ出沢(すざわ)集落には登録有形文化財として龍泉寺の5件や八平神社の2件もある。

歴史

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瀧川家

鎌倉時代末期の延慶年間(1308年~1311年)、現在の出沢集落を含む地域は瀧川郷と呼ばれていた[2]

戦国時代の天正3年(1575年)に織田・徳川連合軍と武田軍が戦った長篠の戦いでは、瀧川助義(瀧川源左衛門)が笠井満秀一騎打ちを行い、相打ちとなって戦死したとされる[3]。天正13年(1585年)には瀧川郷が5か村に分割され、この際に出沢村ができたとされる[2]

延宝年間(1673年~1681年)、瀧川家は設楽家から大名主に任じられた[2]。元禄11年(1698年)には設楽家三河領の代官に任じられ、明治維新まで代官を世襲した[2]。文化11年(1814年)には瀧川一清が竹廣陣屋を建てた[2]明治維新期の1869年(明治2年)、竹廣陣屋を現在地に移築して瀧川家の主屋とした[2]

太平洋戦争後の1952年(昭和27年)には主屋が茅葺から桟瓦葺に改められた[2]。1959年(昭和34年)9月の伊勢湾台風では建物の一部に被害が出たために修理を行った[2]

文化財

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市指定文化財

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  • 亦谷中世墓地
    • 瀧川家の墓地。長篠の戦いで戦死した瀧川助義(瀧川源左衛門)の墓などがある。1978年(昭和53年)11月22日、新城市指定文化財(史跡)に指定された。

登録有形文化財

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  • 主屋
    • 文化11年(1814年)、旗本の設楽氏の陣屋として建てられた[1]。1869年(明治2年)に瀧川家の主屋として移築された[1]。2005年(平成17年)2月9日、登録有形文化財に登録された[1]
    • 東西に長い敷地の東寄りに南面する[1]。江戸時代の典型的な陣屋とされる[2]。現存する旗本陣屋の建築は貴重とされる[1]
  • 長屋門
    • 宝暦13年(1763年)竣工[4]。2005年(平成17年)2月9日、登録有形文化財に登録された[4]
    • 切妻造、桟瓦葺の長屋門[4]。桁行6間半、梁間2間[4]。主屋の南にある[4]。江戸時代の代官屋敷の典型的な長屋門とされる[2]

脚注

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  1. ^ a b c d e f g h i 瀧川家住宅主屋 文化遺産オンライン
  2. ^ a b c d e f g h i j k l 瀧川家住宅主屋 新城市
  3. ^ 滝川一美『滝川家伝記』滝川一美、1983年
  4. ^ a b c d e 瀧川家住宅長屋門 文化遺産オンライン
  5. ^ a b c d 瀧川家住宅祠 文化遺産オンライン

参考文献

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  • 滝川一美『滝川家伝記』滝川一美、1983年

外部リンク

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