滝兵右衛門
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四代目 滝 兵右衛門 | |
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生誕 |
1843年6月11日 尾張国丹羽郡東野村 (現・愛知県江南市) |
死没 | 1918年1月27日 (74歳没) |
職業 | 政治家・実業家 |
四代目 滝 兵右衛門(たき へいえもん[1]/ひょうえもん[2]、瀧 兵右衛門、1843年6月11日(天保14年5月14日[3]) - 1918年(大正7年)1月27日[1])は、明治から大正時代前期の政治家、実業家。貴族院多額納税者議員。タキヒヨーの始祖。
経歴
[編集]尾張国丹羽郡東野村(現・愛知県江南市)出身[2]。1875年(明治8年)名古屋へ進出し、先代が築いた呉服太物商絹兵を拡張し滝兵右衛門商店とした[2]。さらに京都、東京に支店を出し1912年(大正元年)11月[3]滝兵商店(現タキヒヨー)を組織した[2]。
ほか、名古屋銀行頭取、愛知織物、帝国撚糸各社長、尾張紡績取締役、関西鉄道監査役、名古屋市参事会員、同市会議員などを歴任した[4]。1897年(明治30年)愛知県多額納税者として貴族院議員に互選され、同年9月29日[5]から1904年(明治37年)9月28日まで在任した[4]。
親族
[編集]- 二男:平沼延治郎 - 平沼専蔵の養子となる。横浜銀行役員[6]。投機の失敗により自死した[7]。
- 三男:滝徳三郎(柳瀬義明) - 愛媛県今治の旧家・柳瀬家の娘・広子の婿養子となり柳瀬義明に改名、家業の綿織物業「興業舎」の社長となる[8]。同社は今治タオルの草創期を代表する大企業だった[9]。長男・次男が生まれたが、義明もその息子たちも若くして病没した[8]。養子に妻広子の姉と横井時雄夫妻の四男・柳瀬存、その妻芳子(山口財閥幹部坂野兼通の娘)の兄坂野通夫は坂野惇子(レナウン創業者佐々木八十八の娘でファミリア創業者)の夫[10]。
- 四男[3]:滝信四郎 - 実業家。4代目滝兵右衛門を継いで滝家の5代目当主となった。滝実業高校(現在の滝中学校・高等学校)の創立者[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 201頁.
- ^ a b c d e 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 1991, 499頁.
- ^ a b c 『財界物故傑物伝』下巻、72-74頁。
- ^ a b 衆議院、参議院 編 1960, 208頁.
- ^ 『官報』第4275号、明治30年9月30日。
- ^ 平沼延治郎『人事興信録』初版 [明治36(1903)年4月]
- ^ 平沼専蔵『財界物故傑物伝. 下巻』実業之世界社、1936年
- ^ a b 『柳瀬義之遺稿集』柳瀬義之·石橋為之助、1921
- ^ 今治綿織物業者「興業舎」の明治から昭和の社業変遷の一面藤本雅之、愛媛県総合科学博物館研究報告,11,35-46,(2006)
- ^ 柳瀨存『人事興信録』第8版 [昭和3(1928)年7月]
参考文献
[編集]- 実業之世界社編輯局編『財界物故傑物伝』下巻、実業之世界社、1936年。
- 衆議院、参議院 編『議会制度七十年史 第1』大蔵省印刷局、1960年 。
- 愛知県姓氏歴史人物大辞典編纂委員会 編著『愛知県姓氏歴史人物大辞典』角川日本姓氏歴史人物大辞典23、角川書店、1991年。ISBN 4040022300。