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濱村ゆかり

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
濱村 ゆかり
Yukari Hamamura
ビックカメラ高崎ビークイーン #15
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 千葉県船橋市
生年月日 (1995-06-23) 1995年6月23日(29歳)
身長・体重 171cm
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 投手
選手経歴
国際大会
代表チーム  日本
世選/W杯 20162018[注 1]
アジア大会 2018


濱村 ゆかり(はまむら ゆかり、1995年6月23日 - )は、千葉県船橋市出身の女子ソフトボール選手(投手)。ビックカメラ高崎ビークイーン所属。元ソフトボール日本代表。2022年JDリーグ東地区・最高殊勲選手(MVP)。

経歴

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13歳の時にソフトボールを始める[1]。中学3年生(2010年)の時に関東大会に出場し、全国女子ジュニア育成研修会(NTS U-16)では最優秀選手に選ばれた。多くのオファーの中から木更津総合高等学校に進学し、高校3年生(2013年)の全国選抜大会では全国優勝を遂げた[2]

2014年に日本リーグ1部のルネサス高崎[注 2]に入団。2年目の2015年には6勝1敗・防御率2.70の成績を残し、新人賞を受賞。翌2016年はエースの上野由岐子が長期離脱をする中、8勝3敗・防御率0.54の活躍を見せ、最優秀投手賞[注 3]とベストナイン賞を受賞した[3]。2021年には、2度目の最優秀防御率賞(0.65)を受賞した。

JDリーグ初年度となった2022年は、上野由岐子がコンディション不良により一度も投げられない中、濱村は21試合[注 4]に登板。13勝2敗・防御率0.81の成績を残して最優秀防御率賞のタイトルを獲得した。さらにポストシーズンでは、ダイヤモンドシリーズ(準決勝・決勝)の2試合を1人で投げ抜き、ビックカメラ高崎ビークイーンJDリーグの初代チャンピオンに導いた。この年、濱村は自身初となる最高殊勲選手賞(MVP)を受賞した[2][4]

日本代表には2014年に初選出されて以降、世界選手権[注 5]2016年2018年[注 1])やアジア競技大会2018年)をはじめ、多くの国際大会に出場した[5]東京オリンピック[注 6]に向けた直前の国内強化合宿メンバー(20名)にも招集されていたが[6]、最終メンバー(15名)からは選外となった[7]

選手としての特徴

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「火の玉ストレート」の異名を持つ最速111キロのストレートと、ライズボールシュートを武器としている[2]

感情を表に出して投げるタイプではなく、「常に冷静に、でも心は熱く」という気持ちで投げている。たとえカウントが悪くなっても、ファウルで粘られても、確実にコースを突いていく投球を信条としており[4]、座右の銘は『強い弱いは執念の差』[3]

人物・エピソード

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兄の影響で、小学3年生の時に地元の少年野球チームに入団。当時はピッチャー・ファースト・センターなどを守っていた。中学進学を機にソフトボールに転向し、1年生の秋くらいから本格的にピッチャーに取り組むようになった[2]

登場曲はゆずの『栄光の架橋[1]

詳細情報

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[8]

日本リーグ個人表彰

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  • 2015年 - 新人賞(投手)
  • 2016年 - 最優秀投手賞[注 3](0.54)、ベストナイン賞(投手)
  • 2021年 - 最優秀防御率賞(0.65)

JDリーグ個人表彰

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  • 2022年 - [東]最高殊勲選手賞、[東]最優秀防御率賞(0.81)

背番号

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  • 15(2014 - )

脚注

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注釈

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  1. ^ a b 2018年大会は負傷のため出場機会なし。
  2. ^ ルネサスエレクトロニクス高崎(2010年-2014年)→ビックカメラ高崎(2015年)→ビックカメラ高崎ビークイーン(2016年- )とチーム名変更。
  3. ^ a b 「最優秀防御率賞」の旧称。
  4. ^ レギュラーシーズンは29試合。
  5. ^ 後のWBSCワールドカップ。
  6. ^ 新型コロナウイルス感染拡大の影響で実際に開催されたのは2021年。

出典

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外部リンク

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