澤宣種
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時代 | 江戸時代後期 - 明治時代 |
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生誕 | 弘化4年4月29日(1847年6月12日)[1] |
死没 | 不詳 |
主君 | 明治天皇 |
氏族 | 澤家 |
父母 | 父:澤為量、養父:澤宣嘉 |
兄弟 | 藤子、延子、宣種、忠子、岩倉久子 |
妻 | 松平里子(松平斉韶の娘) |
子 | 養子:宣量 |
経歴
[編集]参議・澤為量の三男として生まれる[1]。父の養嗣子(娘婿)となっていた澤宣嘉の養子となる(更に宣嘉の嫡男・宣量を養子とした)[1]。よって、姉小路公知は義従兄弟にあたる。妻は松平斉韶の娘・里子(のち離縁して細川行真の後室となる)。廷臣二十二卿列参事件加担者の一人。主水正、大学大丞を歴任[1]。
1873年(明治6年)9月の養父の死後は、実父の為量が再度家督を継承し[2]、1876年(明治9年)9月21日に廃嫡[1]。1889年(明治22年)2月6日に分家した[1]。