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潮田神社

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
潮田神社
潮田神社拝殿
拝殿
地図
所在地 神奈川県横浜市鶴見区潮田町3ー131ー3
位置 北緯35度30分15.6秒 東経139度41分19.8秒 / 北緯35.504333度 東経139.688833度 / 35.504333; 139.688833座標: 北緯35度30分15.6秒 東経139度41分19.8秒 / 北緯35.504333度 東経139.688833度 / 35.504333; 139.688833
主祭神 国常立尊五十猛命素盞嗚命豊受比売命市寸島比売命岐久理比売命誉田別命菅原道真
社格 旧村社
創建 伝・景行天皇40年
例祭 6月第1金曜日〜日曜日
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鳥居

潮田神社(うしおだじんじゃ[1])とは、神奈川県横浜市鶴見区潮田町にある神社。

概要

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景行天皇40年、日本武尊東夷征伐の航海の途中、旧・西潮田村海岸近くの古杉老松の森に小祠を建て、国常立尊、豊雲野命、国狭槌命を奉斎し、征途の無事案内を祈願したと伝承される[1]

中世に至り、潮田村は小田原北条氏の領地に属し、正親町天皇の御世、永禄3年(1561年)の頃、北条氏の寵臣で太田道灌曽孫太田新六郎康資の知行の時、東潮田村の杉山神社、西潮田村の御嶽神社を領地神社として、社殿を改築し社頭を整備した[1]

江戸時代の正保年間(1644年~1648年)に至り地頭松下孫十郎が幕府の命により、社殿を改築、寛文10年(1671年)幕府社領一段四畝二十歩を寄進したとされ、延享元年(1744年)の鳥居、寛政元年(1789年)の拝殿の棟札等から、当時の模様がうかがい知れる[1]

明治時代に入り、

を西潮田村の御嶽神社に合祀、

を東潮田村の杉山神社に合祀した[1]

大正初期、京浜工業地帯の一大発展に伴い、耕地整備・区画整理による街造りのため、1920年(大正9年)に東潮田村の杉山神社と西潮田村の御嶽神社を合併し、潮田地区の中心地点である現在地に鎮座、潮田神社と改称された[1][2][3]

1923年(大正12年)関東大震災により拝殿倒壊、1945年昭和20年)戦災により社殿焼失と被害を被る[1]1984年(昭和59年)現社殿を造営、1989年(平成元年)社務所を新築、1993年(平成5年)鳥居を建立、2006年(平成18年)宮神輿を製作[1]2020年(令和2年)鎮座100年を記念した飾り獅子を製作[3]

祭神

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祭事

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脚注

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外部リンク

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