滝雅美
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名前 | ||||||
カタカナ | タキ マサミ | |||||
ラテン文字 | TAKI MASAMI | |||||
基本情報 | ||||||
国籍 | 日本 | |||||
生年月日 | 1972年6月28日(52歳) | |||||
出身地 | 東京都 | |||||
監督歴 | ||||||
年 | チーム | |||||
2009-2010 | タイ・ホンダFC | |||||
2014-2015 | タイ・ホンダFC | |||||
2020 | チェンライ・ユナイテッドFC | |||||
2020-2021 | ラヨーンFC | |||||
2021 | PTプラチュワップFC | |||||
■テンプレート(■ノート ■解説)■サッカー選手pj |
滝 雅美(たき まさみ、1972年6月28日 - )は、東京都出身の元サッカー選手、サッカー指導者。
来歴
[編集]中京大学在学時にサッカー選手としてプレーしていた。1995年から2001年までセレッソ大阪アカデミーでコーチを務める[1]。その後、FC琉球ユース監督を経て、2009年にタイ・ホンダFCの監督に就任。タイ・リーグ史上初の日本人監督となる。2010年に一度退任するが、2014年に再びタイ・ホンダFC監督に就任。2016年、監督を退任し、ゼネラルマネージャーに就任。[2]。2017年、タイ・ホンダを退団[3]。その後は2017年にパタヤ・ユナイテッドFCのゼネラルマネージャー、2018年に藤枝MYFCの強化部兼アカデミーダイレクター、2019年にセレッソ大阪サッカースクールのコーチを歴任する[1]。
2019年12月11日、タイ・リーグ1優勝クラブのチェンライ・ユナイテッドFCの監督に就任[4][5]。海外のクラブを率いてAFCチャンピオンズリーグを戦う初の日本人監督となった。しかしリーグ2位につけていたにも関わらず、権限、役割、責任などの面で条件が折り合わず、同年10月に契約満了でクラブを退団[6][7]。
2020年11月、タイ・リーグ1で最下位に低迷していたラヨーンFCの監督に就任した[8]。
2021年3月30日、PTプラチュワップFC監督に就任[6][9]。しかし、2021-22シーズンのタイ・リーグ1で13試合を終えて2勝3分9敗で降格圏の14位に沈んでいることから11月15日に解任された[10]。
注釈
[編集]- ^ a b “子どものサッカースクール:セレッソ大阪スポーツクラブ”. セレッソ大阪. 2019年12月11日閲覧。
- ^ 本多辰成 (2017年2月10日). “【現地レポート】タイ人が主役の日系クラブ「タイ・ホンダFC」の新たな挑戦”. サッカーキング. 2019年12月11日閲覧。
- ^ 渡辺功 (2019年4月11日). “藤枝36歳DF秋本倫孝の心に刺さった、タイの地で戦う日本人の姿。”. Number. 2019年12月11日閲覧。
- ^ “Japan's Masami gets top job at Chiang Rai United”. バンコック・ポスト (2019年12月12日). 2019年12月22日閲覧。
- ^ 本多辰成 (2019年12月11日). “史上初! 日本人監督がタイのクラブを率いてACL本戦へ。タイ王者チェンライUの監督に滝雅美氏が就任、鹿島or川崎と対戦か”. フットボール・タイランド. 2019年12月11日閲覧。
- ^ a b 本多辰成 (2020年5月12日). “【アジア最前線:タイ #11】日本人監督のニーズが高まる一方、長期政権を阻害する要因も”. サッカーキング. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 中野吉之伴 (2021年1月18日). ““J監督経験ゼロの日本人指導者”がタイ強豪&弱小クラブの救世主? 滝雅美の物語が濃すぎる”. 2021年5月22日閲覧。
- ^ 本多辰成 (2020年11月17日). “滝雅美氏がタイ1部ラヨーンFCの監督に就任…「大変なことは理解している」”. サッカーキング. 2021年1月18日閲覧。
- ^ “เปิดตัวทากิแทนโค้ชวัง!พีที ประจวบฯแต่งตั้งโค้ชทางการแล้ว” (タイ語). siamsportnews (2021年3月30日). 2021年5月22日閲覧。
- ^ “ประจวบ แยกทางทากิ ตั้งอิสระ ศรีทะโร คุมแทน” (タイ語). SIAMSPORT (2021年11月15日). 2021年11月15日閲覧。
外部リンク
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