コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

溝井義信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
溝井義信
時代 戦国時代 - 安土桃山時代
生誕 天文元年(1532年
死没 天正18年(1590年
別名 六郎右衛門
主君 石川昭光
氏族 溝井氏
テンプレートを表示

溝井 義信(みぞい よしのぶ)は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将陸奥石川氏の家臣。

略歴

[編集]

天文元年(1532年)誕生。

石川昭光家老を務めた。天正18年(1590年)、豊臣秀吉奥州仕置により昭光が領地没収となった際、義信は豊臣軍との決戦を主張した。しかし容れられず、昭光と嫡男・義宗が城を退出した後、三芦城中に火を放ち自刃した。享年59。