源師季
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時代 | 鎌倉時代前期 |
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生誕 | 寿永4年(1188年) |
死没 | 不明 |
官位 | 正三位・侍従・周防権守 |
主君 | 後鳥羽天皇→土御門天皇→順徳天皇→仲恭天皇→後堀河天皇→四条天皇→後嵯峨天皇 |
氏族 | 村上源氏雅兼流 |
父母 | 父:源定忠、母:藤原定能娘 |
子 | 師成、師行、季房、土御門通行室 |
源 師季(みなもと の もろすえ)は、鎌倉時代前期の公卿。村上源氏雅兼流、右少将・源定忠の子。官位は正三位・侍従・周防権守。
『尊卑分脈』には「赤松流」と注釈があり、その子孫として赤松家範・則村へと系譜が引かれている[1]ことから、播磨守護大名となった赤松氏の祖とする説がある。
官歴
[編集]- 建久9年(1198年)1月6日、叙爵[2]
- 正治元年(1199年)12月9日、侍従
- 建仁3年(1203年)4月25日、近江守、同年10月24日には近江守を止。同日、従五位上
- 元久2年(1205年)1月20日、右少将、同年10月解任
- 承元3年(1209年)4月14日、右少将に還任
- 建暦元年(1211年)1月14日、兼備中権介
- 建暦2年(1212年)4月9日、正五位下
- 建保2年(1214年)1月5日、従四位下
- 建保5年(1217年)1月28日、左少将に転任
- 建保6年(1218年)1月13日、兼播磨介
- 承久元年(1219年)1月5日、従四位上[3]、同月22日、左中将に転任
- 承久3年(1221年)1月13日、正四位下
- 嘉禄元年(1225年)1月23日、兼美作介
- 貞永元年(1232年)1月30日、従三位
- 嘉禎2年(1236年)2月30日、侍従
- 暦仁元年(1238年)11月23日、正三位
- 仁治元年(1240年)1月22日、兼周防権守
- 寛元元年(1243年)、出家または薨去か[4]