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源 宗治(みなもと の むねはる、元応元年(1319年) - 康永4年/興国6年(1345年)2月)は、南北朝時代の公家。後嵯峨源氏、宗尊親王の孫、早田宮真覚の子。後醍醐天皇の猶子。官位は従三位・左近衛中将。
臣籍降下して源朝臣姓を与えられ、後醍醐天皇の猶子となる[1]。左近衛中将を経て、建武政権末の建武3年(1336年)正月に従三位に叙せられ公卿に列し、宮三位中将と称された[2]。
建武政権瓦解後は九州地方で南朝方として活動するが[2]、 康永4年/興国6年(1345年)2月に薨去。享年27。
『公卿補任』による。
- ^ 『尊卑分脈』
- ^ a b 赤坂[2020: 230]
- 日本史史料研究会監修、赤坂恒明著『「王」と呼ばれた皇族』吉川弘文館、2020年
- 『尊卑分脈 第三篇』吉川弘文館、1987年