コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

渦巻 (小説)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
渦巻
上 / 中 / 下 / 続
著者 渡辺霞亭
発行日 1913年 - 1914年 全4巻
発行元 隆文館
ジャンル 小説家庭小説
日本の旗 日本
言語 日本の旗 日本語
公式サイト opac.ndl.go.jp
[ ウィキデータ項目を編集 ]
テンプレートを表示

渦巻』(うずまき)は、1913年(大正2年)に発表された渡辺霞亭による日本小説。名家の家督相続をめぐる紛争(お家騒動)を描いた家庭小説で、『大阪朝日新聞』に連載され、人気を博した。

同作を原作として、1913年に日活向島撮影所敷島商会サイレント映画を製作・公開した。その後、1922年(大正11年)に日活向島撮影所が『うずまき』のタイトルで、1932年(昭和7年)に新興キネマが『渦巻』のタイトルで、それぞれリメイクを行った。

解説

[編集]

小説『渦巻』の初出は、渡辺霞亭の勤務先が発行する『大阪朝日新聞』紙上で、1913年(大正2年)に掲載され、翌年まで続いた。連載途中の同年から翌年にかけて、東京の隆文館から『渦巻』上中下続全4冊が刊行されている[1]。テーマとしては「お家騒動」という江戸時代以来のもの[2][3]ではあるが(取り換え子という趣向も同様である[4])、従来の芝居の人物類型を意識しつつもより現実的な人物像を創造する工夫が行われている。また、民法という近代法が大きな役割を果たす点が新しい特徴である[3][注釈 1]

本作は、連載開始とともにたいへん人気となった。大阪の浪花座伊井蓉峰喜多村緑郎らによる上演が行われたほか、「渦巻染」「渦巻人形」をはじめ、渦巻模様の織物・袋物・小間物といった関連商品が発売されたという[6][注釈 2]

映画化もすぐに企画されている。日活向島撮影所では、人気の女形立花貞二郎と、人気俳優関根達発が主演して、前篇・後篇に分けられて公開された[8]。1922年、1932年にもリメイクが行われている[8]

映画『渦巻』『うずまき』は、いずれのヴァージョンも、東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されていない[9]

小説『渦巻』は、2009年(平成21年)12月現在、すべて絶版である。青空文庫には収録されていない[10]が、国立国会図書館の「近代デジタルライブラリー」にはデジタル画像で公開されており、閲覧・ダウンロードが可能である[11]。 ⇒ #ビブリオグラフィ

あらすじ

[編集]

京都の大富豪である東大路家は子爵家の分家という名家であるが、当主の昌重には一人娘の数江しかおらず、婿養子(入夫)として大津の旧家出身の高昌を迎える。しかし昌重死後に当主(戸主)となった高昌は放蕩をはじめ、妾として政子を囲う。高昌と数江の間には喜美子という娘が生まれるが、時をほぼ同じくして数江は光子という娘を生み、また政子の従妹である早苗子金杉哲夫との間にという息子を生む。

金杉は法律知識を悪用して東小路家の財産を狙う。金杉と協力した政子は、数江の不貞を高昌に吹き込み、数江を家から追い出すことに成功する。喜美子は数江と引き離され、一時は政子の手許に置かれるが、乳母の兼子が喜美子を守り育てることになる。

東大路家に入り込んだ政子は、自らが産んだ娘である光子を早苗子に預け、代わりに早苗子の子である弘を引き取る。弘を東大路家の家督相続人とすることによって、自身の地位を安泰とするためである(明治民法において、家督相続は男子が優先であった)。政子は弘を自らの子と偽り、それを信じた高昌は弘を庶子として認知し、家督相続人となることを承認した。

その後、政子とその協力者たちの悪事が暴かれる。数江と喜美子の親子は東大路家の本宅に戻る。また、取り換えに巻き込まれた弘と光子も、数江に引き取られて育てられることになる。

フィルモグラフィ

[編集]

1913年 日活版

[編集]
渦巻
前篇 / 後篇
監督 不明
脚本 篠山吟葉
原作 渡辺霞亭
出演者 立花貞二郎
関根達発
製作会社 日活向島撮影所
配給 日活
公開 日本の旗
前篇 1913年11月5日
後篇 1913年11月24日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

渦巻』(うずまき)は、1913年(大正2年)製作・公開、日活向島撮影所製作、日活配給による日本のサイレント映画女性映画である。前篇・後篇に分けて公開された。

スタッフ・作品データ

[編集]

キャスト

[編集]

1913年 敷島版

[編集]
渦巻
監督 不明
脚本 不明
原作 渡辺霞亭
出演者 不明
製作会社 敷島商会
配給 敷島商会
公開 日本の旗 1913年11月15日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

渦巻』(うずまき)は、1913年(大正2年)製作・公開、敷島商会製作・配給による日本のサイレント映画、女性映画である。

スタッフ・作品データ・キャスト

[編集]

1922年版

[編集]
うずまき
監督 不明
脚本 不明
原作 渡辺霞亭
出演者 不明
製作会社 日活向島撮影所
配給 日活
公開 日本の旗 1922年5月20日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

うずまき』は、1922年(大正11年)製作・公開、日活向島撮影所製作、日活配給による日本のサイレント映画、女性映画である。

スタッフ・作品データ・キャスト

[編集]

1932年版

[編集]
渦巻
監督 印南弘
脚本 山内英三
原作 渡辺霞亭
出演者 森静子
撮影 鷲田誠
製作会社 新興キネマ
配給 新興キネマ
公開 日本の旗 1932年11月10日
製作国 日本の旗 日本
言語 日本語
テンプレートを表示

渦巻』(うずまき)は、1932年(昭和7年)製作・公開、新興キネマ製作・配給による日本のサイレント映画、女性映画である。

スタッフ・作品データ

[編集]

キャスト

[編集]

ビブリオグラフィ

[編集]

国立国会図書館蔵書[1]

  • 『渦巻』上・中・下・続編、渡辺霞亭隆文館、1913年 - 1914年
  • 『新渦巻 光子の巻』、渡辺霞亭、隆文館、1914年
  • 『大悲劇名作全集 第8巻』、中央公論社、1934年
  • 『うづまき』、渡辺霞亭、清文堂書店、1947年

脚注

[編集]

注釈

[編集]
  1. ^ ただし、作中の民法の説明には法的に誤ったものも見られる[5]。これについては、霞亭が正確な民法の描写よりも、通俗小説の読者層に「法律の悪用によって苦しむ者がいる」あるいは「民法の誤った内容を吹聴して人々を惑わせる者がいる」ことを伝えることを重視したという解釈もできる[3]
  2. ^ なお、「渦巻」というタイトルは複雑な人間関係の比喩として付けられたタイトルとみられ、作中で別段に渦巻模様の意匠が登場するわけではない[7]

出典

[編集]
  1. ^ a b OPAC NDL 検索結果、国立国会図書館、2009年12月2日閲覧。
  2. ^ 真銅正宏 1998, pp. 37–38.
  3. ^ a b c 頼松瑞生 2018, p. 53.
  4. ^ 真銅正宏 1998, pp. 38–39.
  5. ^ 頼松瑞生 2018, p. 54.
  6. ^ 真銅正宏 1998, pp. 36–37, 48–49.
  7. ^ 真銅正宏 1998, p. 49.
  8. ^ a b 渡辺霞亭、日本映画データベース、2009年12月2日閲覧。
  9. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2009年12月2日閲覧。
  10. ^ 渡辺霞亭青空文庫、2009年12月2日閲覧。
  11. ^ 国立国会図書館デジタルコレクション、国立国会図書館、2009年12月2日閲覧。
  12. ^ 真銅正宏 1998, pp. 40–44.
  13. ^ 頼松瑞生 2018, p. 3.

参考文献

[編集]

外部リンク

[編集]