渡部明美
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渡部 明美(わたべ あけみ 1943年2月17日 -)は、イラストレーター。別名義に、わたべあけみ、ワタベナツコがある。
略年譜
[編集]- 1943年2月17日豊島区生まれ。富士屋ホテルの食堂天井画を分担制作した日本画家・渡部浩年は祖父にあたる。
- 1960年、17歳の時、イラストレーターの長沢節が校長を務めるセツ・モードセミナーに入学。
- 1960年、セツ・モードセミナーの講師をしていた河原淳の薦めにより、「小学3年生」(小学館)にイラストを寄稿。
- 1961年、「装苑」(文化出版局)でファッション・イラストレーターとして正式デビュー。「若い女性」(講談社)等でも活躍する。
- 1961年、髙島屋宣伝部の新聞部にイラストレーターとして入社(デザイナーの平野甲賀やのちに写真家になる宮崎皓一が在籍していた)。高島屋のキャラクター「ローズちゃん」をイラスト化して評判を得た。
- 1965年~1966年、「花椿」[1](資生堂)でカットイラスト、ワコールの広告(コピー:草森紳一、デザイン:宮崎皓一)を担当。この頃、日立製作所のエアコン「白くまくん」の初代キャラクターを描いたが、のちのキャラクターとは違い、リアルな絵柄を求められたという。
- 1967年、高島屋を退社。
- 1968年、「週刊セブンティーン」[2][3](集英社)の創刊にあたりカバーイラストを担当。長沢節は、渡部明美の印象を次のように記している。「歳若くして出世してしまった。セツ・モードセミナーでは高木弓[:ja]につぐ才女である。(中略)C調な世渡りが出来ない人だから、それだけに実力もあり、苦労もしている(略)」(「スタイル画の世界」ダヴィッド社)。また、広告やイラストレーションに造詣の深い評論家の草森紳一は、渡部明美と「週刊セブンティーン」のカバーに描かれた少女たちのイラストが発する印象に注目し、次のように記した。「「セブンティーン」の表紙などにみる彼女の少女たちは、ボケッとしたけだるさと、フワッとした肉感をその動作にうかばせている。彼女本人にもそういった「感じ」がふわふわ浮かんでいるのである。」(「フェーマス」1969年8月25日)
- 1970年、長男(父親は草森紳一)を出産[:ja]。これを機にフリーに。以降、東海銀行、[:en]Time Life関連の仕事の他、医薬品会社の協和発酵が発行するカレンダー、「マミール」(佼成出版社)、「朝日中学生新聞」(朝日学生新聞社)など。高島屋時代から子供の絵を描くことが多かった。
- 1980年代、「青春小説コバルト」(集英社)の挿絵、SEKIGUCHI CREATIVE HOUSE制作の人形シリーズ「マリコ」等のデザインを担当。
- 1994年、「ワタベナツコ」名義で、原宿のペーターズギャラリーにて個展を開催。
イラスト担当著書
[編集]- 「ポエムレター詩集 夜のバラード」(山梨シルクセンター出版部)、1970年、(挿絵)
- 佐伯千秋「愛あるとき」(集英社コバルト・ブックス)、1971年、(カバー、挿絵)
- 富島健夫「いのちの旅路」(集英社コバルト・ブックス)、1975年、(カバー、挿絵)
- 「リサの おつかい」(TBSブリタニカ)、1977年、(わたべあけみ名義)
- 酒井チエ「いつもあなたに」(サンリオ)、1977年、(わたべあけみ名義)
- 角野栄子「はいこちらはがき新聞社 (文研子どもランド)」(文研出版)、1982年、(わたべあけみ名義)
- 角野栄子「おばあちゃんはおばけとなかよし (こみね幼年どうわ)」(小峰書店)、1983年、(わたべあけみ名義)
関連書籍
[編集]- 「装苑」(1963年3月号 記事:「ファッション人物散歩:渡部明美さん」)、文化出版局
- 「スタイル画の世界」長沢節監修、穂積和夫・河原淳共編、ダヴィッド社、1976年
- 「イラストレーション」[:ja](1994年5月号 記事:「クリエーターズ・ギャラリー ワタベナツコ)玄光社