渡辺治右衛門
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(渡邊治右衞門から転送)
9代渡辺 治右衛門(渡邊 治右衞門、わたなべ じえもん、1848年1月3日(弘化4年11月27日[1])- 1909年(明治42年)11月15日[2][注釈 1])は、日本の実業家、政治家。貴族院多額納税者議員。幼名・新太郎[1]。
経歴
[編集]武蔵国江戸日本橋の豪商、明石屋・8代渡辺治右衛門の長男として生まれる[1][3]。慶応3年(1867年)家督を相続し9代・治右衛門を襲名[4]。
その後、多くの企業の設立に参画し、東京商社頭取、通商司北海道産物掛頭取、第二十七国立銀行頭取、東京商法会議所議員、東京商工会創立委員、水産伝習所参事員、(有) 東京湾汽船会社相談役、深川電灯評議委員、東京馬車鉄道取締役、磐城炭鉱取締役、浦賀船渠取締役、東京瓦斯監査役などを務めた[4][5]。
その他、東京府会議員、日本橋区会議員を歴任し、1890年(明治23年)9月29日に貴族院多額納税者議員に任じられ[6]、1897年(明治30年)9月28日まで在任した[5]。
1909年11月15日、静養中の神奈川県大磯町の別荘において、喘息に心臓麻痺を併発して死去[2]。
親族
[編集]脚注
[編集]注釈
[編集]- ^ 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』229頁では12月15日。
出典
[編集]- ^ a b c d 『人事興信録 第2版』396-397頁。
- ^ a b 『新聞集成明治編年史 第十四卷』171頁。
- ^ 小川「金融恐慌と機関銀行破綻」40-42頁。
- ^ a b 小川「金融恐慌と機関銀行破綻」42頁。
- ^ a b 『議会制度百年史 - 貴族院・参議院議員名鑑』229頁。
- ^ 『官報』第2179号、明治23年10月2日。
- ^ 『明治東京畸人伝』229-230頁。
- ^ a b 小川「金融恐慌と機関銀行破綻」48頁。
- ^ 『明治東京畸人伝』230-231頁。
- ^ 佐藤守弘「鉄道写真蒐集の欲望──20世紀初頭の日本における鉄道の視覚文化──」(PDF)『京都精華大学紀要』第39巻、京都精華大学、2011年、49-72頁。
- ^ 『特殊鋼の父 渡邊三郎』20-21頁。