久米良作
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久米 良作(くめ りょうさく、慶応4年7月20日(1868年9月6日) - 昭和9年(1934年)2月9日[1])は、明治から昭和の実業家。東京瓦斯社長などを歴任した。
経歴
[編集]武蔵国児玉郡児玉(現・埼玉県本庄市)出身[2]。久米六右衞門の長男。久米彌太郞の従兄。1891年(明治24年)東京法學院(後の中央大学)を卒業する。1896年(明治29年)、家督を相続する。前名松太郞を改める。1897年(明治30年)日本鉄道会社取締役、1898年(明治31年)理事委員として、東北本線・高崎線・常磐線などの鉄道拡張に尽力した。1906年(明治39年)副社長となり、鉄道国有法施行に向けた移管手続きに当たった。東京瓦斯に移った後、1910年(明治43年)副社長、1914年(大正3年)社長となった[2]。
久米同族会社社長、日本工業倶楽部理事、國際信託會社長などを歴任した。