渡辺雄二 (ボクサー)
基本情報 | |
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本名 | 渡辺 雄二 |
階級 | ライト級 |
国籍 | 日本 |
誕生日 | 1970年5月2日(54歳) |
出身地 | 東京都練馬区 |
親戚 | 高山涼深(甥) |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 31 |
勝ち | 25 |
KO勝ち | 23 |
敗け | 5 |
引き分け | 1 |
渡辺 雄二(わたなべ ゆうじ、1970年5月2日 - )は、日本の元プロボクサー。東京都練馬区出身。斉田ボクシングジム所属で、元日本スーパーフェザー級、OPBF東洋太平洋フェザー級、同ライト級王者、WBA世界フェザー級・スーパーフェザー級1位。
来歴
[編集]スーパーフェザー級
[編集]1991年10月14日、日本スーパーフェザー級王者赤城武幸に挑み、2回KO勝ち[1]。王座奪取に成功し、赤城に替わって世界戦線入りを果たす。1992年1月11日には苦しみながらも鈴木敏和を下し初防衛に成功、6月8日付で王座返上した[1]。
世界初挑戦
[編集]1992年8月10日、スティーブ・クルス(米国)とノンタイトル10回戦を行い、2回TKO勝ち[1]。世界ランキングもWBAスーパーフェザー級1位まで上昇。
1992年11月20日、東京体育館においてWBA世界スーパーフェザー級王者ヘナロ・エルナンデス(米国)指名挑戦者として対戦。技巧派王者の前に得意の強打を発揮できず。開始早々から一方的に打ち込まれ、6回レフェリーストップによるTKO負け[1]。王座獲得に失敗し、プロ初黒星を喫した。
1993年8月30日、東京体育館で行われた再起2戦目でマルコス・ゲバラ(ベネズエラ・世界6位)との世界ランカー対決(渡辺は7位)に臨むが、7回TKO負け[1]。この敗戦で世界戦線から脱落。その後、1年余りリングから遠ざかる。
フェザー級
[編集]1994年9月12日の再起戦以降は1階級下のフェザー級で戦うようになる。
1995年5月8日、OPBF東洋太平洋フェザー級王者クリス・サギド(フィリピン)とノンタイトル戦を行い、10回判定勝ち。9月11日、今度はタイトルマッチとしてサギドと再戦し、4回TKO勝ちで返り討ち[1]。王座獲得に成功し、その後2度防衛し、王座返上。世界ランキングもWBAフェザー級1位に浮上。
2回目の世界挑戦
[編集]1997年3月30日、再び指名挑戦者として両国国技館において4年4か月ぶりとなる2回目の世界挑戦。3階級制覇のWBA世界フェザー級王者ウィルフレド・バスケス(プエルトリコ)に挑むが、マック・クリハラ直伝のアウトボクシングを試みたことが逆効果となってしまう。2回に2度のダウンを喫してさらに顎を骨折、結局都合3回目のダウンを喫した5回31秒KO負けを喫した[1]。
スーパーフェザー級復帰
[編集]1998年8月26日の再起戦以降は階級をスーパーフェザー級に戻す。
1999年2月6日、OPBF東洋太平洋スーパーフェザー級王者長嶋健吾に挑戦するも、10回TKO負けで王座獲得に失敗。
ライト級
[編集]2000年1月10日、白鐘権の王座返上に伴うOPBF東洋太平洋ライト級で王座決定戦に出場。柳昇呼(韓国)と対戦するが、フルラウンドの死闘の末、引き分けで王座獲得ならず[1]。
2000年4月10日、OPBF東洋太平洋ライト級王座決定戦再出場。ステュワート・パターソン(オーストラリア)と対戦し、2回TKO勝ちで王座獲得に成功。東洋太平洋王座2階級制覇を達成した[1]。
2000年10月2日、初防衛戦で柳昇呼と再戦し、3回KO負けで王座陥落。試合後のリング上で引退を表明した[1]。
引退後
[編集]現在もトレーナーとして斉田ジムに留まり、後進の指導に当たっている。
獲得タイトル
[編集]脚注
[編集]関連項目
[編集]外部リンク
[編集]前王者 赤城武幸 |
第27代日本スーパーフェザー級王者 1991年10月14日 - 1992年6月8日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 赤城武幸 |
前王者 クリス・サギド |
第30代OPBF東洋太平洋フェザー級王者 1995年9月11日 - 1996年5月13日(返上) |
空位 次タイトル獲得者 サミュエル・デュラン |
空位 前タイトル保持者 白鐘権 |
第36代OPBF東洋太平洋ライト級王者 2000年4月10日 - 2000年10月2日 |
次王者 柳昇呼 |